本論文の目的は、ブリティッシュ・エイジアン音楽(以下、エイジアン音楽)と呼ばれるポピュラー音楽の諸実践を包括する「エイジアン」というカテゴリーの意味世界と、そのカテゴリーの境界が維持されるメカニズムを社会学的に解明することである。論文は全7章から構成される。

 

序章では問題設定を行う。エイジアンとはイギリスでは南アジア諸国からの移民ならびにその子孫を指し、エイジアン音楽は在英南アジア系アーティストの作る、南アジア各地にルーツを持った様々な音楽実践を含みうる。しかし実際には、特定の地域の言語やスタイルに基づいた音楽、とりわけバングラーというパンジャーブ地方発祥のパンジャービー音楽が常に前景化してきた。先行研究では、エイジアン音楽という枠組がイギリスの主流(白人)社会との相互作用を通じた弁別化の観点から捉えられる傾向が強かった。これに対し本論文は、その枠組がエイジアン音楽産業内部の(多様な背景を持つ)南アジア系の人々の相互交渉からも維持されるという観点から、「エイジアン(音楽)」にまつわる慣習や知識の共有や、かれらの取り結ぶ関係性の力学に着目する。また、サブ・エスニシティの概念を導入し、他のエスニック集団との弁別としてのエイジアンという包括的エスニシティと、その内部の様々なサブ・エスニシティの両面から、音楽の担い手や実践を取り巻く包摂と周縁化のメカニズムを分析する。

 

第1章では、エイジアン音楽という文化的圏域の境界を考察する上での理論・分析枠組を提示する。「場」(Bourdieu)と「界」(Becker)概念の整理から、マクロな社会構造に埋め込まれた「客観的諸関係の空間」としての「場」はその内部の(Beckerが「界」概念から論じる)ミクロな相互作用からも維持されうるという視座を示す。本論文はここから、イギリス社会の人種・エスニシティという「客観的諸関係」に裏打ちされたエイジアン音楽の「場」内部における、行為者たちの意味づけや相互作用から場の構成原理を描き出す作業を行う。分析枠組には、エイジアン音楽を方向づける価値基準として、表現の内容に関わる「真正性」の指標(〈伝統的象徴〉、〈アンダーグラウンド〉)と、音楽の担い手自身の社会的布置に関わる「正統性」の指標(〈エスニシティ〉)を用いる。〈エスニシティ〉指標には、エイジアンという包括的エスニシティと、個別のサブ・エスニシティという2つの方向性が含まれている。この枠組に、音楽産業論の「生産の文化」(Negus)アプローチやエスニシティの商品化の視座を接続させ、参与者のエスニックな文化資本や社会関係資本がどのように利用されることで音楽場内部での支配的な位置取りがもたらされるかを分析する。

 

第2章では、在英南アジア系移民の歴史や基本情報を概観し、エイジアン音楽の発展の流れとその多様性、産業の特徴を整理した上で、先行研究の検討を行う。先行研究では、バングラーが「エイジアンの文化」という象徴的な意味を付与されることで、それ以外の言語やスタイルによる音楽実践の不可視性が自明とされがちだった。また、1990年代のエイジアン・アンダーグラウンド(以下、AU)と呼ばれる音楽実践が、西洋的サウンドとの融合により白人の消費の対象となったことをポストコロニアルの視座から批判的に論じる研究は、エイジアンの客体化を問題視する一方、南アジア系のアーティスト自身が行使するエイジェンシーの視点が希薄だった。本論文の独自性は、エイジアン自身のエイジェンシーによって様々な音楽実践がエイジアン音楽場において位置づけられる様相を描き出すことにある。

 

第3章から第5章では、エイジアン音楽の業界関係者計26名を対象とした半構造化インタビューの結果から分析を行う。

第3章では、バングラー、ボリウッド(映画)音楽、AU、デーシー・ビーツ、南アジア的要素を欠いたヒップホップやR&Bの各音楽的スタイルが、音楽場の参与者たちにどのように意味づけられているかの分析から、音楽の真正性指標がもたらす場の構成原理を考察する。北インド的な〈伝統的象徴〉の性格が強いバングラーとボリウッド音楽は、エイジアンの社会的プレゼンスを象徴的に示したり、南アジア系の多様なサブ・エスニシティの緩やかな結節点となったりすることが期待されてきた。一方、南アジア的サウンドとクラブ・ミュージックを融合したAUやデーシー・ビーツは、〈伝統的象徴〉と〈アンダーグラウンド〉の両方向性からエイジアンの音楽的「伝統」を刷新し、またエイジアンの「誇り」を示す手段としての意味も持っている。デーシー・ビーツ(南アジア的要素を含んだヒップホップやR&B)は、表現の〈アンダーグラウンド〉性が強まって音楽のエスニック性を担保する〈伝統的象徴〉の要素を欠くと、主流の音楽産業に参入する上で有利となると考えられる。しかし実際にはそこでの成功は難しく、アーティストは楽曲にパンジャービー・北インド的要素を付加し、まずはエイジアン音楽として売るよう促される。また、南アジア系メディアはこうした音楽を、〈伝統的象徴〉からではなくアーティストのエイジアンという属性を根拠に〈エスニシティ〉指標からエイジアン音楽場に包摂する「救済措置」を提供する。こうしたゲットー化によって、かれらのヒップホップやR&Bはバングラーなどと同様にエスニック財としての性格を帯びる。

 

第4章では、正統性指標としての〈エスニシティ〉の作動の様相を、包括的エスニシティの例としてR&B歌手のJay Sean、サブ・エスニシティの例としてバングラデシュ系とスリランカ系の歌手やDJの実践から検討する。主流の音楽市場で成功したSeanのR&Bは、楽曲に〈伝統的象徴〉を欠いていても本人のエイジアンという包括的エスニシティからエイジアン音楽として範疇化されることがあり、彼自身によるエスニシティの記号的な利用を通じたエイジアン産業への同一化やDJのリミックスによる音楽加工によっても包摂が生じる。一方参与者のサブ・エスニシティは、楽曲の〈伝統的象徴〉とともに作動し、パンジャービー・北インド系の人々が音楽場における「代表性」を獲得しているのに対し、バングラデシュ系やスリランカ系といった人々はエイジアンとしての包括的エスニシティから参入資格を有していても、サブ・エスニシティに基づくスクリーニングによって場内部の周縁に置かれやすい。このためかれらは、バングラーへのアプローチや北インド系の関係者などとのネットワーク構築を通じて、橋渡し型の社会関係資本ならびにパンジャービー・北インド的な〈伝統的象徴〉という文化資本を獲得する。またかれらは同時に、同じサブ・エスニックなマイノリティのアーティストとの密接な関係性によって結束型の社会関係資本を蓄積し、場の構造への適応を試みる。一方で、自身のサブ・エスニックな〈伝統的象徴〉を志向する音楽実践もあり、メディアによる救済措置などから、音楽場において周縁化されながらも緩やかに包摂されている。

 

第5章では、エイジアン音楽チャートと南アジア系フェスティバルのメーラー(Mela)に着目し、セグメント化されたエイジアン音楽のサブ・ジャンルをひとつの文化的編制へとまとめ上げる「媒体」の機能から、エイジアン音楽場における包摂と周縁化のメカニズムを浮かび上がらせる。一般的なエイジアン音楽チャートのランキングは各メディアが独自に決定しており、その決定基準は必ずしも明らかではなく、ラジオ局とアーティストとの密接な関係性がランキングに影響を与えているとの声も聞かれる。また、イギリス各地で夏に催されるメーラーの出演アーティストの決定には様々な要素があるが、全体的傾向としてパンジャービー音楽がかなりの割合を占め、それ以外のアーティストの出演機会は少ない。「多様性」の理念を基盤にアーツカウンシルや自治体から助成を受けることの多いメーラーは、分かりやすい南アジア性を提示することを期待されるため、バングラーは南アジア性を象徴的に提示する「代表性」の意味を帯びやすくなり、それがパンジャービー・北インド系関係者中心の結束型社会関係資本とともに作用することで、音楽的な偏りを招いていると考えられる。しかし近年では、バングラデシュ系やスリランカ系などのサブ・エスニックなマイノリティのアーティストもチャートやメーラーに登場してきており、パンジャービー音楽の「代表性」はこれらの媒体を通じて再帰的に強化されうると同時に、オーディエンスの態度やアーティストのマネージメント体制などによってそれに揺らぎがもたらされる可能性もある。

 

終章では、以上の議論から得られたエイジアン音楽場の構成原理についてまとめ、本論文の意義と今後の展望ならびに課題を示す。南アジア的サウンドという〈伝統的象徴〉がある局面では同一化(同調化)を担保し、別の局面ではヒップホップやR&Bの実践に差異化をもたらしているように、エイジアン音楽場は、再帰性の強まる現代社会で要請されるエスニシティへの自己言及という状況に合致した、同一化と差異化という2つの相反する欲求を合流させる現場ともなっていると言える。場に固有の構造がもたらす文化的秩序は、音楽ジャンルとしての緩やかな「一体性」を保持しながらも、その内部における多様な差異の交差によって時に揺らぎうるという、均質化と差異化の両方のベクトルへと向けられている。これらの知見をもとに、アーティストのジェンダー、宗教、カーストといった他の属性と結びついた音楽実践が参与者たちにどのように意味づけられ、翻って場の構成原理に作用するかを、イギリス/南アジア本国というナショナルな枠組に規定し尽くされない南アジア系ポピュラー音楽の文化的越境や商品化の視座からも把握し、経験的に考察する作業が今後の課題である。