本論文は、20世紀前半のロシアの詩人/小説家ダニイル・ハルムス(1905-1942)を主題として研究した、日本では最初の博士論文である。彼はロシア・アヴァンギャルドの影響下で詩作をはじめ、なかでもロシア未来派の発明したザーウミ(理知を超えた言語/概念)の詩学を継承し、発展させた。ところが従来の研究では、ロシア・アヴァンギャルドの文脈内で論じられるというよりは、不条理という別の領域に進出した作家としてしばしば評価されてきた。第一に、戦後の不条理文学の先駆者として、第二に、彼が生きたソ連社会の非人道的な不条理を風刺ないし予見した作家として括られてきた。しかしながら、このようにハルムスを先駆者や予言者とみなす視座からは、彼が多大な影響を受けた同時代のロシア・アヴァンギャルド、とりわけロシア未来派の伝統は克服された過去として把捉されてしまう。

そこで本論文では、ハルムスをロシア・アヴァンギャルドの文脈に改めて置きなおし、その時代の文学的/文化的事象、および彼自身の様々なテキストと照らしあわせることで、その詩学の全体像を浮かびあがらせた。彼は未来派詩人から不条理作家あるいは風刺作家へと変貌したのではなく、あくまでロシア未来派の詩学を独自の手法で達成しようとしたのである。

このような視点を可能にしたのは、第一に、狭義では新造語を指すロシア未来派の発明したザーウミという手法を、概念や理念のレベルとしても把握した点にある。第二に、その手法を音のザーウミと意味のザーウミに二分した点にある。この二つの手続きを踏むことによって、彼が音のザーウミから意味のザーウミへ手法の軸足を移動させ、さらには「出来事」や「妨害」といった手法を用いることで、理知を超えるというザーウミの基本理念の実現を目指していたことを立証することに成功した。

理知を超えたものを志向したハルムスの創作を詳らかにすることは、一見すると彼の理念に背いているようにみえるかもしれない。なぜなら、それはザーウミを理知の領分に還す行為にも等しいといえるからである。だが本論文は決してザーウミ的なものを合理的に理解しようとするものではない。まずは、何が分からないのか、どのように分からないのかを明確にしたうえで、解明しうるものと解明しえないものとを区別する。そして前者には解を与え、後者については、なぜ分からないように書かれているのかを追究する。『エリザヴェータ・バーム』を例に出せば、プロットは解明しうるが、劇中で用いられているザーウミは解明しえない。しかし、それがなぜ解明しえないものとして持ちだされているのかを説明することは可能だろう。晦渋さが知識や分析の不足にのみ起因しているテキストを、ハルムスの詩学に照らしながら詳らかにしてゆけば――いわば理知の領土を開拓してゆけばそれだけ、彼の求めた超-理知の領域を正確に計測することができるようになるはずである。

第1章「変貌するザーウミ」では、まずザーウミという手法を音のザーウミと意味のザーウミの二つに峻別する。前者が新造語としてのザーウミであるのにたいし、後者は新造語を用いずに既存の単語だけを非慣習的に組み合わせることによって理知を超えた内容を獲得したザーウミである。ここでは、芸術家グループ「オベリウ」結成以前のハルムスが、音のザーウミから意味のザーウミへ手法の軸足を移してゆく様子が捉えられている。

この時期の彼の詩作品にはロシア未来派の影響が色濃く出ている。とりわけ文学の師となった未来派詩人トゥファーノフから受けた影響は絶大だった。しかし、やがてハルムスが師のもとから離れてゆくのと軌を一にして、詩作にも変化の兆しがあらわれてくる。それこそが音のザーウミから意味のザーウミへの移行である。いかなる意味をも拒絶しているかのような最初期のザーウミ詩から、意味の地層が露わになったザーウミ詩へと、彼の創作は趣を変えはじめる。

第2章「音のザーウミへの鎮魂歌」では、オベリウ時代のみならず生涯を通じての代表作となった戯曲『エリザヴェータ・バーム』を論じている。ここで着目するのは、戯曲の源泉となったと思しき5つの題材――広くヨーロッパの地に伝わるレノーレ譚、未来派詩人クルチョーヌィフの詩および詩論、フレーブニコフの『ザンゲジ』、鐘の音、そして画家エリザヴェータ・ビョームである。

最初の2つの源泉が明らかにするのは、この戯曲がロシア未来派の編みだした手法=音のザーウミへの鎮魂歌として機能していることである。次の3つの源泉は、エリザヴェータ・バームという名前の由来を明らかにしている。これらの源泉によって、戯曲が当時のロシア文学/文化の状況ときつく結びついていることに加え、それが今後のハルムスの方向性を示唆していることも確認される。

『エリザヴェータ・バーム』ののち、ハルムスは独自の詩学の構築に真正面から取り組むようになる。そのなかで、彼は少しずつ創作方法を変えてゆく。その試行錯誤と手法の変遷がはっきり反映されているのが、劇詩『報復』と『フニュ』である。第3章「ファウストの軌跡」では、この二つのテキストを中心に、1930年前後のオベリウ期の様々なジャンルにおよぶハルムスのテキストを論じている。オベリウ期の創作はザーウミと日常語の混淆によって際立っているが、『報復』では両者の共存が図られるのにたいして、8ヶ月後に書かれた『フニュ』では日常語への志向性が明確に打ちだされている。

二種類の手法=言葉(ザーウミと日常語)のあいだで揺れているハルムスの思想上の迷いは、上記の二作に多くみられるモチーフの対比(天と地、水と火、自然界と俗世間など)に反映されている。これらのモチーフをつぶさに検証することで、そこに重ねあわされている彼の手法と思想を解き明かすことが可能になった。

第1章から第3章までは、ハルムスが純粋なザーウミから脱却して、ある種の意味の構築を、ザーウミ的な=理知を超えた意味の構築を目指すようになってゆく変遷を観察している。これにたいし、第4章「分散と結合」では、視線を後者の「意味の構築」に固定し、ザーウミ的な世界を目指した後期ハルムスの散文小品を分析対象に据えている。『出来事』である。1930年代に書かれた30篇の散文テキストをまとめたこのアンソロジーは、断片性と統合性という二面性を有している。そこで、分散かつ結合する粒子として一篇一篇のテキストを捉え、異なる相のもとに『出来事』を観察した。この視座のもとで、後期ハルムスの創作の機構が詳らかにされている。

第4章で焦点化される「出来事」という概念はハルムスの創作において重要な位置を占めている。理知に侵される前の――物語にされる前の剝きだしの事実を意味する「出来事」は、ロシア未来派の考案した新造語としてのザーウミが追求する理知を超えた=ザーウミ的なものであると同時に、音のザーウミや意味のザーウミにかわってそれを表現するための新たな手法でもある。彼は「出来事」という独自の哲学を築いているのである。

第5章「ハルムスは間違える」では、彼の創作のなかで最長の散文『老婆』が「これ」「妨害」「あれ」という三位一体の概念を用いて読み解かれる。これらの用語は、第一に、友人の哲学者ドゥルースキンの「小さな過ちを伴うある平衡」をめぐる考察に、第二に、彼の提案した「これ」「あれ」という用語に立脚している。ハルムスは彼の哲学を参考に用語体系を構築しているのだ。この友人によれば、矛盾のない哲学体系はトートロジーに堕すため、そこには理性や論理を超えた「小さな過ち」が内在していなければならない。この理知を超えた=ザーウミ的な「小さな過ち」が「妨害」に対応している。一方、ハルムスの考えでは、「これ」と「あれ」は世界の異なる部分であり、相補的な関係にある。そして「これ」と「あれ」をまさに異なる部分にしてしまうものこそ「妨害」だという。「妨害」が世界を「これ」と「あれ」に分割することで世界は創出されるというのだ。したがって、理知を超越したザーウミとしての「妨害」とは、存在するものすべての発端となる根源的な要素を意味することになる。

このような理論が言語のレベルで実践されているテキストが『老婆』である。そこでは言葉(指示するもの)と対象(指示されるもの)との関係が破綻している。双方を「これ」と「あれ」に、指示関係を分断する作用とその効果を超-理知的な「妨害」に見立てることで、このテキストがザーウミの詩学を原動力にしていることを明らかにすることができる。「これ」「妨害」「あれ」という三竦みの概念は、言語に適用されたとき、理知を超えたもの(「妨害」)は言語に本質的に内在しているという結論を導出する。つまり、ザーウミ的なものは日常語とは別の場所にあるのではなく、むしろ日常語のなかに潜在していることになるのだ。こうしてハルムスはザーウミ的なものを、ザーウミから最も遠い場所にあるはずの日常語のうちに、それを存在させるのに必須の要素として見出すのである。

こうして彼の創作の外貌は時を経るにしたがい著しく変化してきた。そのため、のちに彼はロシア未来派の伝統を脱した先駆的な不条理作家として評価されるようになるだろう。しかし、詩学の本質まで変化したわけではない。ハルムスはザーウミの詩学を終生守りつづけたのだ。本論文が描きだすのは、ハルムスが初期から後期までの創作において、手法とジャンルを変化させながらも、人間の理知を超越しようと様々な実践をおこなってゆく、その軌跡である。