はじめに、本稿は現代の倫理・宗教について、両者が対立状況にあることを緩やかに概観し、両者に深く浸透していると思われる「悔い」という概念を取り上げる。「悔い」という概念は、現代ではもはや宗教的なものではないとも考えられているが、倫理的・政治的に用いられる「悔い」の場面には、実はなおも宗教的なものが生きているという指摘を取り上げ、論考の糸口とする。デリダの見方に従えば、たとえ高貴な目的のためであっても、目的のために供された赦しはもはや純粋ではありえず、また、赦しと悔いは互酬的な交換経済となってしまう。

 悔いと赦しの互酬的なエコノミーというこの問題を淵源にさかのぼって考察するため、本稿は旧約の一書、エレミヤ書に注目する。なぜなら、第一に、「悔い改め」を表すヘブライ語シューブは旧約中エレミヤ書に最も多く見られるからであり、第二に、エレミヤ書の成立時期に主題化されることとなった関心の一つが応報思想だと考えられるからである。

 第1章では、近年の旧約聖書学のなかでもっとも盛んに議論されている問題の一つである、申命記史家の問題について、導入的な記述を行う。申命記史家と呼ばれる編集者・神学者たちは「悔い改め」を中心的な概念としながら、パレスティナ移住から捕囚期までのイスラエルの歴史を記述しようとした。多くの研究者によってエレミヤ書にも申命記史家の編集の痕跡が認められるにいたっており、エレミヤ書について議論するためには、現在では申命記史家は不可避の問題となっている。本稿はまず、申命記史家という問題を初めて提唱したノート以来の研究史をごく大まかに振り返るため、レーマーによる申命記史家研究の成果を参照する。そこでは、クロスやスメントといった主要な研究者たちによる申命記史家研究の意義を振り返りながら、しかし相互に異なる両者の申命記史家像を統一する見方としての、レーマーの特徴的な見方の意義が再確認されるはずである。

 レーマーの成果に従うなら、おおよそ申命記史家に対する印象は、官僚主義的・冷徹・合理的な歴史記述を行う者たち、というものである。しかしこれは、イスラエルの歴史を神の介入による救済史と捉えようとする、古くから旧約学の領域で広くみられた歴史理解とはかけ離れていると言わざるをえない。ここに、レーマーの議論に内在的ではないが、レーマーの唱える申命記史家像に関連する第一の問題がある。さらに、申命記史家をエレミヤ書における申命記主義的編集と関連させるにあたっては、両者を同一視することに疑問を抱く意見がある。これが第二の問題となる。

 本稿はまず第二の問題について検証し、エレミヤ書に見られる神殿説教から、両者を同一視することに問題がないことを示す。

 そののち、第一の問題について考察するために、レーマーの申命記史家理解とは異なる傾向を持つと思われる研究を、レーマーに対置し、吟味する。そこで考察の中心になるのは、ヒッバードによる議論である。ヒッバードはエレミヤ書の申命記主義的編集句を取り上げながら、それらの意図が社会的・倫理的・宗教的改革にあることを主張する。それゆえ、ヒッバードの議論から推測される申命記史家像は、熱心でありつつ真摯な宗教家というものになる。

 本稿はヒッバードの議論の細かな点を検討しつつ、前八世紀の古典的な記述預言者における「悔い」の概念を確認することで、「悔い改め」と応報思想を結びつけた者たちが申命記史家であったことを確認する。

 第2章では、しかし、「悔い改め」と応報思想が結びつくことによって生じてしまう問題を検討していく。具体的には、エレミヤ書における申命記主義的編集句のもっとも原理的な表明であるエレミヤ書18章7-10節を取り上げ、これに関する議論を確認する。キャロルが心理学における認知的不協和理論を用いた研究を参照することによって、本稿は、申命記主義的編集句の掲げる悔い改めの条件法が持つ、ある欺瞞的な機能を炙り出す。ついで、イェレミアスによる研究を参看することで、真正な悔い改めと欺瞞的なそれとの間の差異を見出すことを試みる。その結果見出されるのは、悔い改める者とともに、悔い改めの説教を説く者自身が砕かれるという、両者の自己無化こそが真正な悔い改めの要素となるということである。

 ところが、悔い改める者が砕かれる一方、説教者・宗教家の側には自己無化が生じることがない場合が考えられる。これはどこか胡散臭さを感じさせるものになるが、その根が或る教義体系の自同性にあると考えられるとき、この自同性が単に宗教の忌避を招くという事態に留まらず、ある破滅的な帰結に至りうるということを、ハイデガーの存在-神-論とそれに加えられた批判、および、ホルクハイマー=アドルノによる反ユダヤ主義の分析から確認してゆく。

 存在-神-論が持つ自同性の暴力を確認した上で、レーマーとヒッバードに代表される二つの申命記史家像に立ち戻ると、どちらが申命記史家像としてより適切かという問いは、史家の心情的な意図に近いかどうかという問題よりも、むしろ、史家の奉じる応報思想の構造が孕んでしまう危険に対する批判として設定し直される。

 第3章では、シューブというヘブライ語のエレミヤ書における用例を、それぞれ申命記史家とエレミヤの真正句に分けて、両者の思想的な偏差を探っていく。その結果として、申命記史家による編集句には、応報思想が深く刻印されていると言いうるとはいえ、これを乗り越えるような視座は史家には欠けているということが示されるはずである。

 これに対し、申命記史家的編集句との分離作業を経て示されるエレミヤの場合には、応報思想的発想がなく、むしろ悔い改めとは独立に赦しが布告されていることが観察される。エレミヤ書3章に基づいたこの観察は、エレミヤ書31章15-20節や15章10-21節にも確認される。特に後者には預言者自身の罪と断罪、また神の自己限定の痕跡が示唆される。後者に関して、さらに宮本による研究を参照するなら、そこに生じているものを、預言者自身の背教と立ち帰り、および罪咎にもかかわらずこれを赦すインマヌエルという働きとして特徴付けることができる。

 第4章は、悔い改めという概念から少し離れ、申命記史家とエレミヤのそれぞれにおいて、救済に対して人間が行いうる功績の有無について調べる。その結果、史家においては基本的にシナイ契約の遵守において救済が達成されると考えられていることが明らかとなるはずである。もっとも、律法の遵守は単に外形的な遵守にとどまるものではなく、むしろ内面的な側面が重視される。とはいえ、それでも、史家の救済の教説が持つ条件法的な語りは、史家の基本的なスタンスが、救済はつねに人間の自力的な努力によって達成されうるという姿勢にあることを裏付けるものとなる。

 これに対して、エレミヤの真正句では、たしかに、人間の善行によって救済が到来しうるということは原理的には表明されている。しかし、エレミヤの場合には、これはあくまで原理的なものに留まり、実際には不可能だと考えられていることが、救済に関するテクストに見られる皮肉から示唆される。すなわち、エレミヤにおいては、史家と異なり、自力救済の道が閉ざされていることが明らかとなるはずである。

 第5章では、第4章とは対照的に、災いの条件法がそれぞれのテクストにおいてどのように表現されているかを確認する。そこで確認されうることは、史家においては、悪因悪果の応報法則が破綻しているかに見える場面においても、なお応報法則の有効性は疑われていないということである。史家における応報思想信仰の硬さがここで確認される。

 これに対して、エレミヤの場合には、罰が下されるべき場合に下されないという、応報思想の破綻の経験が看取される。そこには、一面で応報思想の成就を願いつつ、他面でその破綻をも願うという非合理性があることが確認されるとともに、正義実現の欲求がこの預言者を復讐に駆り立ててやまない局面があることも見られるはずである。

 第6章では、これまでに確認してきたエレミヤの捉えがたさ、すなわち無条件的な赦しの布告と限りない復讐の願いという、エレミヤの極端な二面性が交わる点、エレミヤの到達点を求め、一般に「新しい契約」と呼ばれるエレミヤ書31章31-34節の解釈に挑む。第6章では先行研究を参照しながら、できる限り文献学的な作業を行うことで、「新しい契約」の構造が持つ意義を明らかとしていきたい。

 その上で、ともすればキリスト教的な視座からもてはやされがちな「新しい契約」に対する態度への反動として、過剰な意味づけを削ごうとした諸説を検討しつつ、「新しい契約」の中核の一点がどこに収斂されることになるのかを考察する。その結果導かれてくる「赦し」の思想に注目するとき、「新しい契約」の著者は、申命記史家ではないという主張がなされることになる。

 最後の第7章では、第6章を引き継いで、これを文献学的な側面からではなく、哲学的な側面から読み解くことを試みる。そのために、「赦し」をめぐる哲学的議論が参照される。参照される哲学者たちは、アーレント、ジャンケレヴィッチ、デリダ、そしてリクールである。彼らの議論に学びつつ「新しい契約」を読解するとき、「新しい契約」の持つ忘却、黙過、そして記憶という契機が、エレミヤ自身の預言者としての生涯とともに、ある一点で円環をなすことが確認されるはずである。