古代末期中東の医学教育はガレノスのいわゆる「十六書」が中心であり、「十六書」が医学の正典となっていたと言われる。多数のギリシア語文献をアラビア語やシリア語に翻訳したフナイン・ブン・イスハーク(Ḥunayn ibn Isḥāq, 873年没)による『学生のための医学問答集(Al-Masāʾil fī al-ṭibb li-l-mutaʿallimīn)』(以下『医学問答集』)は、医者に必要な基礎知識を問答形式でまとめた著作であり、これも「十六書」の1点であるガレノス『医術(Ars medica)』と、「十六書」に依拠したアレクサンドリア集成という文献群に基づいて編纂されたと考えられてきた。しかし、これらの見解は11世紀のイブン・リドワーン(Ibn Riḍwān)が古代末期アレクサンドリアの医学教育に関して残した証言に基づいたものである。4世紀以上も遅い時代の証言であり、その真偽は改めて検討すべき課題である。

イスラーム圏でも初心者向けの入門書として高く評価され、またそのラテン語訳が中世ヨーロッパで大学医学部の必修書として扱われるなど、医学史上で非常に重要な文献であるにもかかわらず、『医学問答集』は未だ解明が不充分である。本研究は、その実態を明らかにするものである。『医学問答集』の分析は、医学者フナインを中東の医学伝統に位置づけるのみならず、中東の医学教育の実態を解明するにあたって大きな貢献となる。

本論文は序文と結論を除いて5章から成る。最初の2章は、本格的な分析に入る前に研究対象の情報を整理・確認するためのものである。まず第1章では、フナインとその一派の経歴や活動を概観する。『医学問答集』はフナインの著作として知られるが、フナインの没後にその弟子のフバイシュ(Ḥubaysh ibn al-Ḥasan, 9世紀末に没)が増補して完成したと伝えられているため、共著者フバイシュについても確認する必要がある。またそれに加えて、フナインが残したガレノス著作の翻訳リストから、『医学問答集』を執筆する際に利用可能であったガレノス著作と、それらに対する同時代の評価を見る。

第2章は『医学問答集』に関する情報の確認に当てられる。『医学問答集』は10の章から成っており、その大まかな構成を見る。この著作にはアラビア語以外の言語の版があり、また複数の注釈や要約が作成されたため、それらについても確認しておく必要がある。そして、『医学問答集』の構造分析のために重要な比較対象であるアレクサンドリア集成の特徴を、ガレノスの原典や同時代の他のガレノス注釈との比較から確認する。

第3章以降では『医学問答集』を以下の3つの観点から考察する。まずは『医学問答集』の由来、その構造と出典という観点である(本論文第3章)。その内容をアレクサンドリア集成やガレノス著作と比較し、この著作がガレノス『医術』やアレクサンドリア集成に基づくという説の真偽を問う。これによって、『医学問答集』の複雑な構造を解明するとともに、9世紀以前の中東の医学教育で本来重視されていた分野に光を当てる。次に、『医学問答集』の別の版との比較を行う(本論文第4章)。アラビア語で書かれた『医学問答集』には、シリア語版とラテン語訳が存在する。構造分析の結果に加えて『医学問答集』の異なる版の比較を通じてそれらの関係を探り、『医学問答集』の本来の姿を明らかにする。最後に、『医学問答集』の痕跡を辿る(本論文第5章)。すなわち、後代の医学に対する影響に焦点を当て、この著作で新たに語られた見解がいかに受容されたかを検討する。そして、その医学史上の意義を問う。

これらの調査の結果、以下のことが明らかとなった。まず、『医学問答集』は従来考えられているような、ガレノスの「十六書」のみに依拠した文献ではないことである。『医学問答集』には確かにガレノスの『医術』で語られる医学区分に依拠した記述が見られ、「十六書」に基づくアレクサンドリア集成に並行する記述が多数見つかる。第1章から第5章はそのような説明が可能である。しかし、『医学問答集』には「十六書」では語られていない内容も明らかに存在する。『医学問答集』第6章にはガレノスの『単純薬品について』、『薬品複合について』の文章に類似した記述が見られる。それらは内容のみならず、文章表現の点でも密接に対応しているため、ガレノスのギリシア語の文章に直接依拠したものと考えられる。また、第9章と第10章はガレノスの「十六書」やアレクサンドリア集成とは直接関係のない由来をもつ。発熱を扱う第9章は過度に複雑な構造であるが、その記述の流れも内容もガレノスの著作からは説明できない。第10章の主題である尿診もまたガレノスの真作には見つからないが、ガレノスに帰せられて伝わる『尿について』の記述と、その説明の順序や内容の点で大きく重なる。これらの事情から、『医学問答集』の構造は従来考えられてきた以上に複雑であり、前半(第5章前半まで)と後半(第5章後半から)という区分で、その構成や、出典との対応関係に差があることが判明した。また、ここで挙げられたガレノスおよび偽ガレノスの著作は「十六書」には含まれていないが、それらが『医学問答集』執筆の際に参照されていることから、フナインの時代に「十六書」と並んで高い評価を受けていた医学文献が他にもあったことが明らかとなった。

『医学問答集』のアラビア語版とシリア語版、およびラテン語版との比較からは、以下のような関係が明らかとなった。アラビア語版とシリア語版を比較すると、シリア語版では多くのギリシア語音写が含まれているが、アラビア語版ではそれらの大半が単なる音写ではなくなり、アラビア語の表現に置き換えられている。シリア語版では1語で表されている事柄が、アラビア語版では2語(以上)で表現されている事例が頻繁に見出される。そして、シリア語版には無いがアラビア語版には存在するという記述が散見される。これらのことは、シリア語という言語の特徴を示しているだけではなく、シリア語版がアラビア語版に先行していること、それらが同一の著者によって作成されたことを意味している。

一方、アラビア語版とラテン語版『医学入門(Isagoge)』を比較すると、『医学問答集』のうち第5章後半、第6章、第7章、第8章後半、第9章の大半、第10章が翻訳されておらず、全体として半分以上が欠けていることが分かる。ラテン語版の最後は、シリア語版写本でフナインの執筆箇所の末部として伝えられる箇所と一致しているため、フナインの執筆部分はその箇所つまり第5章前半まで、フバイシュの増補部分は第5章後半以降であると判断できる。また、ラテン語版にもアラビア語版には無い記述が追加されている箇所がある。その追加記述は的外れなものではなく、ラテン語版翻訳者の医学知識が反映されたものである。そのため、ラテン語版がアラビア語版の全体に対応していないことは、翻訳者の不注意や失策ではなく、その元になったアラビア語版写本の状態が理由であると考えられる。そして伝承とは異なり、ラテン語版に翻訳されている第8章前半のアラビア語はフナインの文体の特徴を有していることから、その不完全なアラビア語版写本はフナインが作成した全体を有し、未だフバイシュの手が加わっていないものであったと考えられる。

最後に『医学問答集』の後代への影響として、「自然精気」および「非自然要素」という概念の変遷を辿った。ここから判明したのは、『医学問答集』の後代のイスラーム医学に対する影響が強いことである。人間の身体を構成する自然要素の7番目として『医学問答集』で加えられた3種類の精気の1つである自然精気は、他の2種類とは異なり、ガレノスやアレクサンドリア集成では明確には語られていない。これは、自然要素のうち能力・機能・精気をそれぞれ自然的・動物的・精神的の3層構造に組み立てるために、フナインによって初めて規定されたと考えられる。この構造が後代の医学者に受け継がれ、自然精気の実態が語られないまま、3種類の精気という構造だけが維持されていくこととなった。非自然要素についてもまたガレノスの著作に由来するものの、実際には見出せない理論である。これが定式化されたのは、『医学問答集』に原因があると考えられる。『医学問答集』で別々の箇所で語られる「必然的原因」と「自然でない要素」が共に6つと数えられているため、それぞれ別々の事柄が挙げられているにもかかわらず、それらが同一の概念であると後代の医学者によって誤解された。その結果、身体の状態を変化させる必然的原因としてガレノスが語る6つの事柄と、人間の自然要素ではないが意思に基づくものである「自然でない要素」という概念が重なって、整理されていくこととなった。その際には、『医学問答集』で挙げられた合計で8つの事柄が、その問答で規定された6という数を維持するようにまとめられていった。また、アラビア語の医学書がラテン語に翻訳される過程で、「自然でない要素」は深く根付いていくこととなる。このように、問答形式による『医学問答集』はイスラームや中世ヨーロッパの医学理論の発展に道筋をつけたのである。

フナインとフバイシュは翻訳者としてガレノスの著作をアラビア語圏へ伝えただけではない。彼らはガレノスの「十六書」より広い範囲の文献から素材を集め、新たな見解と合わせて、『医学問答集』という1冊の文献にまとめて提供した。これによって彼らは、その発展の道筋をつけたという意味でもイスラームの医学へ貢献をなしたことが、本研究によって明らかとなった。