本論文は、石川淳初期作品から五作を取り上げ、しばしば近代日本文学の様式の主流ともみなされる写実的リアリズムへの根本的な挑戦を示すものとしてとらえ論考するものである。それゆえ、石川の経歴、石川と「私小説」との関係、作品に見られる「反体制的」な政治性などに注目する傾向にある従来の石川淳研究の枠組みを超えることを目指している。そして、石川がミメーシスの概念が近代日本文学の基本原則となっていると見ており、初期の執筆活動はその概念の批判を直接の目的とし、また、その代替となる様式を作り出そうという試みとして考えることができることを示すものである。

 本論考は、まず序論において石川初期作品の大まかな概要、その受容、そして近代日本における写実的リアリズムの起源と発展について示す。次に本論部分において初期短篇小説作品から「佳人」(1935)と「山桜」(1936)の二作、また、批評作品「文章の形式と内容」(1940)、「短編小説の構成」(1940)、そして「江戸人の発想法について」(1943)を論ずる。これら五つの作品は、主題、文体が多岐にわたるものとなるが、写実的リアリズムへの挑戦という共通の目的によって相互に関連し合っていると言える。二つの短篇作品はそれぞれのやり方で、小説の主たる目的は既存の世界を鏡に反射させるように正確に映し出すことである、というミメーシスの概念を超えるフィクションの可能性を模索したものであり、三つの評論は、それぞれ異なる角度から写実的リアリズムへの独自の批評、洞察、結論を示したものと考えられる。

 第1章では処女作「佳人」が、文学的媒介(literary mediation)の多用、あるいはウィリアム・タイラーが「多層化」と呼ぶ手法を通して自伝的リアリズムの規範に挑戦している作品であることを論じていくため、作中に見られる四つの媒介の形に注意を払いながら解釈していく。第一の表層媒介(surface mediation)は、作中に見られる明白な他の文化及び文学作品への言及であり、ミメーシス理論に基づく読み方や反映主義的文学論の特質を保証する透明性、無媒介性、真実らしさ、といったものを混乱させる働きをもっている。第二の深層媒介(deep mediation)は、作品が先行する小説ジャンル、つまり芸術家小説と憑依小説を構造の基礎とすることによってなされる媒介である。第三の自己言及的媒介(reflexive mediation)は、作品にみられる自己言及性あるいはメタ・フィクションの要素のことであり、語りの再帰性、自己言及的語り手の採用、皮肉めいた作者と語り手の間の距離の取り方などが含まれる。これらの要素は、いわゆる「私小説」の読み方の基礎となっている作者と語り手の間の推定上の関係を引き裂く働きをもっている。最後に象徴的媒介(figurative mediation)は、テクストに深みを与え象徴的及び寓意的意味をもたらす様々な文学的要素や仕掛けであり、作品を作者の自伝としてとらえるような読み方の前提を覆す効果をもつ。本論ではこれら四つの媒介の手法を検証しながら、他の文化及び文学作品への言及により多層を成し、間テクスト性の関係の網がめぐらされ、自己言及性が染み込み、象徴や比喩に富む作品を生み出すことによって、石川が、暗に、しかし基本原則として確実に存在していた自伝的写実主義的読み方という前提を覆そうとしていることを示していく。

 第2章では、「山桜」を、写実的リアリズムの規範に挑戦するためにファンタジーというジャンルを用いた作品として論じる。本作は、ツヴェタン・トドロフの示す「ファンタスティック」(“the fantastic”)の定義を拡大すると、ファンタジー、あるいは、より厳密に言えば「寓意的ファンタジー」としてとらえることが可能である。「山桜」と「佳人」には、ある種の寓意的探究を行う一人称の語り手を採用していること、その語り手が制御不能の強迫的欲求に駆り立てられながら彷徨っていること、作品が表象の不可能性という近代主義の主題を取り扱っていることなどの共通点がある。しかし、「山桜」における語り手「私」は、「佳人」の「私」が牧羊神、つまり性的衝動に取り憑かれているのとは異なり、「私」自身の過去におけるある特定のトラウマ的経験に取り憑かれている。両作品とも語り手が物語の中心となる一人称の独白のかたちをとってはいるが、それぞれ異なるやり方で、自伝的写実主義の直接性や透明性といった限界を超えることを目指しているのである。

 第3章では、「文章の形式と内容」を、写実的リアリズムの基本信条への異論を示すための文学論として論じる。石川の理論は、1)文章一般についての記述的理論、2)純粋散文(エクリチュール)とは何かを示す規範的理論、3)長きにわたり定着していた文章の「形式」と「内容」の二項対立を「意識されざる内容」と呼ぶ全く新しい範疇によって解決しようとする美学論、以上の三つに分けることができる。ある作品の外的要因に由来する明白な「意識される内容」とは異なり、「意識されざる内容」は作者の文体から有機的に派生する、つまり言葉(文字)そのものから自然発生する内容のことを言う。石川によれば、それこそがテクストの「美」が宿る場所なのである。

 第4章では、「短篇小説の構成」について論じるが、この評論がそのタイトルに反し暗に小説とは何かという命題について考察するものになっていることに注目する。ここで「暗に」と言うのは、石川は、小説ではないもの、つまり評論の文字通りの表題である短篇小説について論じることによって、間接的に小説とは何かという理論を示しているからである。よって、本章の目的は二つの部分に分けられる。一つは、評論の明白な主題である短篇小説について、既存の小説の長さに基づく分類法への批判とそれに代替する小説の「出来方」に基づく分類法の提示、この出来方に関する俗信への批判と石川が出来方の「実際の過程」と考えるものの説明、二つの様式(コントとヌウヴェル)から成る短篇小説の系統学、さらにより広い写実的芸術の支配体制への批判などを考察することである。二つ目は、それら短篇小説に対する主張を解読あるいは反転させることによって、暗に示される小説とは何かという問いについての主張を導き出すことである。

 最後に第5章では、「江戸人の発想法について」を、石川による同時代人の発想法への批判として論じる。この「発想法」とは石川の全ての初期作品が標的としている写実的リアリズムという支配的形態を意味している。石川は、ほとんど忘れ去られた江戸時代の俳諧文学、とりわけ天明期の狂歌や狂詩を、永井荷風やその他江戸信奉者のように懐古趣味に耽るためではなく、写実的リアリズムを批判しその代替となる一つの文学形式として取り込むために注目しているのである。本論ではまず、石川のいわゆる「江戸留学」を1930~40年代に起きた文化的運動「日本回帰」という文脈のなかに位置づけながら、石川による江戸の記憶という言い回しと江戸懐古趣味者のそれとの明確な区別を指摘する。次に、この評論の二つの重要な用語、「転換」と「俳諧化」について説明する。そして、石川が「俳諧化」の基礎を構成するものとして考える五つの「転換の操作」について論じる。

 本論文が目指すところは、とりあげる五つの作品を同時期に発表された他の作家の作品と比較し論ずることではない。また、これら五つの作品を歴史的な出来事の中に埋もれさせ歴史化することでもない。実際、昨今文学作品を「歴史化」しようとする研究が標準的となっているきらいも見られるが、そのような取り組みはテクストそのものを解明することを怠っていると言わざるを得ない。また、本論文では、石川自身の個人の人生に照らし合わせてこれら五つの作品を説明することからもはっきりと距離を置く。多くの先行研究は作品の内容を作者自身の生涯の反映とすることに解釈を限定してしまっているが、石川自身が、執筆、読み方解釈どちらにおいてもあらゆる自伝的要素の介入の可能性を否定する立場をとることを考えると皮肉とも言える。一方、本論の目標とするところは単純で地味なものと言っていいかもしれない。五つの作品を、作品それ自体があるがままに考察すること、個々の作品の明白な内容を詳らかにし、それによって暗に意図された内容を解読すること、そしてテクスト自体が指し示す執筆、読解、思考の新しい手法を明らかにすることである。そして、五つの作品の解釈を提示するに留まらず、石川の戦中、戦後作品群全体、あるいは同時期の日本の他の文学作品の理解や評価を行うための基準を示すことを望んでいる。

 最後に、石川の初期作品はリアリズムそれ自体を打倒したり、あるいはそれに置き換わったりすることを目指しているわけではなく、リアリズムの限界を露呈させ、それを変性させ、歴史の流れにおいて発生した偶然性を明らかにし、その意義や手法の幅を広げることを目指したものであることを注記しておく。石川によるリアリズムへの対抗言説は、リアリズムの概念の否定というよりもむしろ、リアリズムという用語を拡大させ、様々な代替となる手法を提示し、他の考え方、読み方、書き方がかつて存在し、また依然として可能であること認めようという企てなのである。石川はリアリズムそのものの全てに異論を唱えているのではなく、「現実」や「人生」からのみ生じるものとされ、言語の透明性や無媒介性を前提とし、作家が書くことができることを未知の可能性を無視した「この世に疑いようもなく存在する現象」のみに限定するような杓子定規のリアリズムに風穴を開けようとしているのだと言えるだろう。