本論文は、『源氏物語』の時間設定をめぐって、次の二点を考察し、論じようとするものである。一つは、『源氏物語』が物語に流れる時間をいかに構築し、物語内部の時間の持続感や一貫性を確保しているのかという、物語の時間設定上の模索と戦略、すなわち「時間設定の方法」の検討、いま一つは、物語が設定した時間そのものが、物語展開上の方法としていかに用いられているのか、「物語の方法としての時間設定」の獲得と、「方法としての時間設定」が反復されることでどのような方法的な深化が認められるのかについての考察である。全四部・八章と付録から成る。

 第一部「人物造型と時間設定」では、人物の年齢や、人物に関わる時間設定が人物相互の対照性の中で提示され、時に一度設定した時間設定と矛盾する設定がされたり、年齢が明示されるまでの間、年齢の印象を場面に応じて操作したりする例を挙げながら、源氏物語の戦略的な人物対照の方法と、それに連動する時間設定の方法について考察した。

 第一章「六条御息所の人物造型と時間設定」では、光源氏との関係を共に「似げなし」と感じている年上の女君として類型的に登場する六条御息所と葵の上が、紅葉賀巻で葵の上が「四年ばかりがこのかみ」であることが示されて以降、生霊化する側と生霊に取り憑かれる側である両者の類同性を示しつつ、葵の上の優位性を明らかにしていく様相を追う。さらに、六条御息所が様々な作中人物と対照されながら、一貫した人物像を保ち得ている理由を、対照の組み替えの巧みさの点から論じる。年齢設定の問題を端緒として、より広く作中人物の対照的な造型と、人物造型の一貫性の保持について考察を試みたものである。

 第二章「浮舟物語の人物造型と時間設定」では、浮舟物語の東屋巻から手習巻までの巻々に三ヶ月ごとの時間の区切りが設定されている可能性を指摘した上で、対照的に造型されている薫と匂宮が、それぞれ三ヶ月ごとの時間を割り当てられながら浮舟と向き合っていること、さらに、手習巻の中将にも浮舟に対する三ヶ月の求婚期間が設けられた可能性を論じた。一人の女君に対して複数の男君が求愛する際に、同一の時間が割り当てられる例としては、求婚者たちに三年ごとの時間が与えられた『竹取物語』の例があるが、浮舟物語においては、三ヶ月ごとの時間の区切りが意識的に設けられることで、浮舟に対する男君たちに等しく三ヶ月の時間が与えられるのみならず、三ヶ月間の服喪の時間、浮舟が小野に病臥する三ヶ月間など、複雑で重層的な時間を構築することが可能になった。

 第二部「源氏物語の時間設定をめぐる文学史的考察」では、『源氏物語』が先行する作品から引き継いだ時間設定の方法について検討した。第三章「「新春の哀傷」という発想――私家集から源氏物語へ」では、『源氏物語』に四回繰り返される、前年に亡くなった近親者を正月に哀悼する場面の発想と表現――Ⅰ年が改まっても悲しみは改まらない、Ⅱ正月を迎えた周囲のよろこびから疎外されて悲しみに暮れている、Ⅲ正月なのに悲しみのあまり「こと忌み」が出来ない、といった発想とそれに伴う表現が、先行する、もしくは同時代の私家集にも認められることを指摘した。第四章「求婚譚における時間設定の方法と展開――あて宮求婚譚から玉鬘求婚譚へ」では、Ⅰ求婚譚におおよそ「三年」の時間の枠が設けられていること、Ⅱ「三年」前後の求婚譚の時間の枠組みの中で、二つの物語がそれぞれの方法で年中行事や描かれる季節の景物などの重複を避けようとしていること、Ⅲ五月と九月に結婚が忌まれる「結婚忌月」への意識が両作品に認められ、特に結婚忌月が終わってしまうことに対して、有力ではない求婚者が焦燥を感じることが両方の作品に描かれること、など、二つの求婚譚の時間設定上の共通点を指摘し、考察を試みた。

 第三部「源氏物語の方法としての「喪」の時間」では、『源氏物語』に書かれた作中人物死後の時間に焦点を当てる。『源氏物語』は作中人物の死後の追悼儀礼に伴う時間軸――忌籠りの三十日間、四十九日法要、一周忌法要、死者との関係の深さによって異なるが、重服の場合は一年間の服喪期間――を繰り返し物語に取り込んでいる。死の穢れを宮中に伝搬させないために、死穢に触れた男君は三十日間の忌籠りが必要とされたこと、一年間の重服期間中の結婚が社会慣習上禁忌とされていたことなどから、作中人物の死後一周忌までは、時間に対する意識がとりわけ先鋭化される期間であったのである。『源氏物語』は、作中人物死後の追悼儀礼に伴う時間の流れを当時の慣習に従ってほぼ正確に刻むことで、作中人物死後の時間を進行させ、服喪期間という特殊な状況下に起こる様々な問題を描いていく。『源氏物語』の死と哀傷の類型としては、〈女君を亡くした男主人公が哀傷する型〉がこれまでに指摘されて来たが、親を亡くし、一年間の服喪である重服中の女君に男君が求婚する物語をもう一つの類型として指摘したい。第三部では、この〈服喪中の女君が求婚される物語〉の型が見える、一連の物語を分析している。

〈服喪中の女君が求婚される物語〉においては、重服期間中の結婚が禁忌であることが大きな問題として取り上げられる。とりわけ第五章「夕霧物語の服喪と結婚」で論じた夕霧巻では、母を亡くした落葉の宮が重服期間中に夕霧に結婚を強いられるという作中唯一の例が見え、注目される。第五章においては先ず、同時代の歴史史料で、儀式婚の日取りを重服中に設定することが批判されていたこと、親を喪った女性のもとに男性が私通する例があったこと、を確認し、服喪中に結婚する側の立場の弱さを指摘した。夕霧は落葉の宮と強引に通じるが、この時落葉の宮が喪服から婚礼用の装束に着替えさせられ、一時的に服喪を中断させられている。他の重服中の結婚の例では、喪服姿のまま結婚していることが確認出来、異例のことだと考えられる。夕霧は落葉の宮の母の葬儀や法要を熱心に支援する一方、落葉の宮の母のための服喪を全うしたいという気持ちに寄り添うことは出来ない。『源氏物語』では後見を亡くした女君に対し、自らの保護のもと肉親の服喪を滞りなく全うさせることを男主人の美点として重要視する視点が認められるが、性急に落葉の宮を手に入れようとする夕霧の行動は夕霧の〈非主人公性〉を象徴するものと結論づけた。第六章「大君物語の服喪と結婚」では、大君物語が大君の父八の宮の死後薫が大君に求婚する前半と、大君の死後、薫が悲嘆にくれる後半に分けられることから、大君物語を〈服喪中の女君が求婚される物語〉と〈女君を亡くした男主人公が哀傷する型〉を組み合わせた物語と捉え、それぞれの方法について検討した。大君物語前半では八の宮ための一年服喪期間が明けた後、一ヶ月の軽服に服す大君に対し、薫が結婚を強行しようと大君を喪服から婚礼用の装束に着替えさせる場面がある。同時代史料から、重服の後の軽服が正式な服喪期間とは認められていなかったことを確認し、重服後の軽服中に薫が大君に結婚を迫る場面が夕霧巻を意識しながらも、薫が夕霧ほどの強引さを持ち合わせていないことを示し、薫と大君が結ばれない物語を描くための方法となっていると論じた。また、女君の服喪と除服を管理するのは後見の役割であるため、中の君の後見として薫を中の君と結婚させたい大君と、大君と結婚して大君と中の君両方を後見したい薫との中の君の服喪をめぐる攻防について考察した。大君死後の薫は大君を看取って死穢に触れたため、八の宮邸に忌籠る。他史料に見える、妻の死穢を避ける例を挙げ、薫の大君を哀傷する思いの強さを指摘し、さらにこの忌籠りによって、大君が薫の公的な妻であると都の人々に認識されていく様相を検討した。

 第七章「二つの「喪」の時間の物語としての蜻蛉巻」は、浮舟四十九日までの時間と、蜻蛉式部卿宮薨去後、姪である明石中宮が軽服する三ヶ月の時間という、同時期に始まる二つの「喪」の時間が組み合わせて構成された蜻蛉巻の時間を考察したものである。明石中宮は叔父の軽服のため三ヶ月間六条院に里下がりするが、服喪中の后妃たちの宮中滞在は、死穢の伝搬を避ける忌籠りの三十日間の後は、禁忌ではなかったことが同時代史料の調査で分かった。蜻蛉巻には、服喪もままならず父宮の四十九日過ぎには女房としての出仕を余儀なくされる式部卿宮の娘、宮の君が登場しており、実の娘よりも姪の服喪が丁重であるという皮肉な構図が構えられている。また、蜻蛉巻の三ヶ月間は手習巻で浮舟が小野に病臥する時間とほぼ一致し、都で宮の君たち女房が男性を誘う花とされる女郎花に喩えられるのとほぼ同時期に、床上げした浮舟が小野を訪ねてきた中将に女郎花に喩えられており、主題と時間の一致が認められることを指摘した。

第四部「方法としての時間設定」第八章「方法としての「日付表現」」では時間を表す表現そのものがどのように物語の方法となっているかを論じた。具体的には、「○日ばかり」「○日あまりのほど」など『源氏物語』に頻出する日付表現ではない、「○日」と断定的に示される日付に認められる傾向を探った。「○日」と断定的に示される日付の中でⅠ明石一族に関連する日付、Ⅱ朧化されていた日付が具体的になる例、Ⅲ吉日が選ばれた例、Ⅳ紫の上の死と葬送に関する日付、について考察し、日付の断定が物語の方法として意識的に用いられている様相が確認された。

 最後に原則「歩かない」とされている平安貴族女性が例外的に歩いた例を集め、検討を加えた付録「平安貴族女性が歩くとき」を付した。