本論文の目的は、特定非営利活動促進法(NPO法)の制定・改正をめぐる立法運動の分析を通して、政策過程と社会運動の動態的な相互作用を明らかにすることである。1998年のNPO法制定以降、NPO法人は5万団体以上に増加し、20分野で活動を展開している。この間、NPOについては実践的研究が蓄積される一方、新自由主義との共振を捉える批判的研究等が影響力を持ってきた。その中で、社会運動論からはNPOを運動の制度化として捉えることに活路を見出してきた。だが、いずれもNPO法の存在を自明視する点に限界があった。NPO法はそもそも、シーズ=市民活動を支える制度をつくる会(シーズ)等の立法運動のもと制定・改正された点に特徴がある。本論文が着目するのは政治体の境界線上で展開した立法運動であり、市民団体の法人格と税制優遇をめぐってどのような政策過程が進展し、社会運動がどのような戦略を駆使し、政治と運動および運動内部でどのような連携が繰り広げられ、どのような帰結をもたらしたのかを明らかにする。

第1章では、本論文の目的を提示し、NPO法・認定NPO法人制度の概要とNPOとNPO法に関する先行研究を整理して、本論文の立場を明確にした。第2章では、政策過程論におけるアドヴォカシー連合論と、社会運動の連携、ロビイング戦略、帰結に関する議論を検討し、本論文の分析枠組みを示した。また、研究方法としてインタビュー調査と文書資料分析の詳細を述べた。そして第3~11章では、1990年代初頭に立法運動が発生してから1998年のNPO法制定までを第Ⅰ部(第3~6章)、2001年の認定NPO法人制度制定を経て2011年にNPO法改正・新寄付税制が成立するまでを第Ⅱ部(第7~10章)と区分し、それぞれの政策過程と社会運動の連携、ロビイング戦略、帰結を分析するとともに、第11章で運動の長期的な帰結について考察した。各章の主な知見は以下の通りである。

第3章では、NPO法制定期の政策参加者連合の相互作用を分析した。まず、阪神・淡路大震災前に各連合が揃い(第Ⅰ期)、震災を機に与党3党、新進党、省庁でせめぎ合いが始まり、省庁連絡会議が退いた(第Ⅱ期)。1996年秋の総選挙前に自民党が社会党・さきがけに譲歩し(第Ⅲ期)、総選挙後、民主党も交えて与党3党で修正協議が繰り広げられ、衆議院で市民活動促進法案が可決された(第Ⅳ期)。参議院では自民党保守派から抵抗が起き、院外から経団連が交渉に当たった。参議院労働・社会政策委員会では全党派による修正協議が行なわれ、1998年3月に特定非営利活動促進法として成立に至った(第Ⅴ期)。

第4章では、NPO法制定期の立法運動の組織間連携について、シーズと福祉系団体、文化・芸術系団体を分析した。まず、第Ⅰ期には先行する社会的紐帯として1980年代の市民活動と、アメリカ視察等を通した理念の共有が連携の要因となった。第Ⅱ期には省庁連絡会議への反対という理念を共有したが、第Ⅲ期には争点をめぐって分野間に障壁があり、独自の運動が展開された。第Ⅳ期に与党法案の衆議院提出を受け、3つのグループの主張が歩み寄る。そして第Ⅴ期、法案通過を目前に連立政権解消という危機が存在したときに、大きな連携が形成された。このように、NPO法制定過程が市民団体間の連携を拡大させる契機となっており、その過程で各分野の法人制度への要求や理念の相互理解が図られた。

第5章では、NPO法制定期のシーズのロビイング戦略を分析した。第Ⅰ期に運動の基盤を固め、第Ⅱ期以降、アウトサイド戦略として新聞各紙への働きかけや、集会を通した一般市民への認知拡大等を実施した。インサイド戦略としては政党ヒアリングへの出席と要望書提出が挙げられるが、さらに非公式の回路を使ったインサイド戦略も実施した。以上の戦略の背景には、国会審議以前からロビイング戦略と目指す法案を定めていたこと、資源として情報公開法運動の経験やアメリカのNPO法の知識が蓄積されていたこと、政治家から代表性を付与されたことと、自民党・社会党から新たな支持基盤として注目されたことが挙げられる。

第6章では、NPO法制定をめぐる政策過程と社会運動の帰結としての政策志向的学習を分析した。まず第Ⅰ期にさきがけが報告書を発表し、法案の原型となった。第Ⅱ期には議員立法で法案は準則主義とすること等が固まった。第Ⅲ期には、与党3党で「公益性」「低廉性」「政治活動の制限」等について議論が展開し、第二次与党合意に至った。第Ⅳ期は、「政治上の主義」と「政治上の施策」の区別等が合意され、税制優遇措置は附帯決議で妥協がなされた。そして第Ⅴ期に参議院で法案の名称変更、団体委任事務の明記等の修正がなされて、特定非営利活動促進法が成立した。

第7章では、NPO法改正期の政策参加者連合の相互作用を分析した。まず、NPO法制定後にNPO議員連盟が登場するが、加藤の乱によって連合間のバランスが崩れ、自民党税調・大蔵省を中心に認定NPO法人制度が制定された(第Ⅵ期)。これ以降、NPO議員連盟とシーズ、NPO/NGOに関する税・法人制度改革連絡会(連絡会)が、毎年度の税制改正に合わせて働きかけをした(第Ⅶ期)。2009年の政権交代によって自民党税調・財務省連合の勢力が弱まり、民主党政権がアジェンダを設定した(第Ⅷ期)。民主党政権のみの法改正が困難になると、NPO議員連盟が再始動し(第Ⅸ期)、民主党政権・NPO議員連盟・全国知事会で調整が進められ、衆議院法制局等が政策ブローカーとして働いた。東日本大震災という外的要因を受けながら、シーズを政策ブローカーとして各党の調整が進められ、NPO法改正と新寄付税制が実現した(第Ⅹ期)。

第8章では、NPO法改正期の立法運動の組織間連携を分析した。まず、先行する紐帯として第Ⅴ期までの連携があり、各地で結成されたNPO支援センターが運動の担い手となった。第Ⅵ期に連絡会が結成され、当初は分野間の連携が基盤だったが、その後は各地のNPO支援センターの地域間連携という性格が色濃くなった。そしてシーズと全国各地のNPO支援センターが、フォーマルかつ短期の連携を、毎年更新しながら続けた(第Ⅶ~Ⅹ期)。この機能として、運動への各地のNPOの動員、地元選出議員に対するアジェンダ・セッティング、中央から地方への知識の伝播、がある。ただし、その背後で進んだ法律の履行段階では、地域ごとに異なる運用状況が発生し、その争点を連絡会として一致して取り組むことは困難だった。

第9章では、NPO法改正期のシーズのロビイング戦略を分析した。第Ⅵ期に税制改正に合わせたロビイングのサイクルが形成され、以降も毎年繰り返された。第Ⅵ・Ⅶ期ではアウトサイド・インサイド戦略が組み合わされ、アジェンダ・セッティングと政策的履行の監視に力を発揮した。ただし政策決定アリーナにアクセスすることは困難であり、政策達成は部分的であった。その間にアウトサイド戦略は相対的な重要度が低下するが、インサイド戦略は一貫して維持された。そして第Ⅷ~Ⅹ期に民主党政権の政策決定アリーナにも直接アクセスし、議員連盟の再結成にも関与して、目標とする政策を達成した。その背後には、与野党に合わせて要求を調整するシーズのロビイング戦略と、継続的なロビイングによって議員から付与された正統性があった。

第10章では、NPO法改正をめぐる政策過程と社会運動の帰結としての政策志向的学習を分析した。まず、第Ⅵ期には税制優遇制度が実現したが、認定基準が厳しい等の問題を抱えた。第Ⅶ期には毎年度の税制改正で議論がなされるが、2003年の相対値基準引き下げとみなし寄付金制度導入を除くと抜本改正に至らず、連絡会の要望の一部が徐々に改正されていった。政権交代後、第Ⅷ期に専門家とともに政策志向的学習が進められ、税額控除導入やPST絶対値基準の導入等の大枠が固められ、第Ⅸ期に細部が調整された。第Ⅹ期に寄附金税額控除や絶対値基準が導入され、NPO法改正の政策志向的学習も同時に進展し、認定機関の地方移管や仮認定制度導入等も加わった。

そして第11章では、NPO法制定・改正をめぐる政策過程と社会運動の長期的な帰結について考察を行った。イシューにとっての帰結として、簡便な法人格制度と税制優遇制度を掲げたシーズの運動目標は達成された。ただし、2008年の公益法人制度改革によって一般社団法人も登場し、NPO法人制度が今なおどのような意味を持っているのか、引き続き検証の必要がある。また、分野ごとにNPO法の帰結も異なっており、地域という面では全国に登場しているものの東京一極集中の傾向は強く、分野・地域ごとの比較分析が引き続き必要だろう。運動にとっての帰結として、2011年以降の法改正をめぐる運動は、中央と地方で別々に運動を展開していくこととなった。中央-地方のコンセンサスが取れないまま、中央の団体が強くなり、寡頭制と過重負担が進行したとも言える。

最後に終章で、本論文の結論と意義を整理した。政策過程論にとっては20年間にわたる市民団体と政党・政府等の相互作用を描いた点、社会運動論にとってはロビイング・組織間連携・帰結という枠組みを展開させた点に意義がある。また、1990年代~2010年代の社会運動の同時代分析として、新たな視座を提供できた。さらに、NPO法を再帰的に制定・改正されてきたプロセスとして動態的に描いた点に、NPO研究への意義がある。今後の課題としては、NPO法人制度・認定NPO法人制度の及ぼした影響について実証していくこと、他のイシューとの比較を交えて立法運動の知見を深めていくことが残された。