本論文は、1980年代よりテレビ局の内部で段階的に台頭してきた組織システムである「編成主導体制」が、制作現場の「自律性」を制約し、番組制作過程に多大な影響を及ぼしている実態を、「送り手」と「作り手」を分離する視座から考察した。

 1980年代以降、テレビの制作部門を中心とする「作り手」と、非制作部門を中心とする「送り手」の関係は大きく変化している。テレビ放送開始から1970年代までの初期段階では「作り手」を主体とする「制作独立型モデル」が主流であったが、1980年代以降は「送り手」を主体とする「編成主導型モデル」が主流となりつつある。この「制作独立型モデル」から「編成主導型モデル」への移行による影響は、視聴率の番組制作過程への浸透という形態で明確に現れている。実際に、「編成主導型モデル」の組織では、視聴率が獲得できないと判断された番組や「作り手」が淘汰され、類似番組の氾濫を助長する傾向が見られる。結果として、テレビ番組は「多様性」を喪失し、若年層を中心に「テレビ離れ」と言われる現象の拡大が指摘されている。

しかし、これまでのテレビ研究では、「送り手」と「作り手」が明確に区別されてこなかったため、テレビ局の組織における編成と制作の働きが混同されてしまい、こうした「編成主導体制」の確立が番組制作過程に及ぼす影響を適切に認識することは困難であった。視聴率至上主義批判が繰り返される一方で、その根底にある「編成主導体制」の問題点そのものは見過ごされてきたとも言える。

そこで本論文では、「作り手」と「送り手」を混同してきた従来のテレビ研究の枠組みを再検討し、この二つを分離した視座を採用した。そして、番組制作過程における編成の影響力増大の歴史と、「編成主導体制」がもたらすテレビへの弊害を指摘し、「作り手」の「自律性」回復に向けて新たな組織モデル構築の必要性を提起した。

 まず、第1章では本論文の先行研究を検討した。「受け手」論の豊富さに比較して、手薄と指摘される「送り手」論の系譜を確認し、そこに「作り手」論への視点が包括されてきたことを明らかにした。現在までの「送り手」論の先行研究では、明確に「作り手」を「送り手」から分離して考察する文献は見受けられない。1970年代後半までの「送り手」論を検証すると、「送り手」という概念に共通項が存在せず、「作り手」と「送り手」の概念が区別されない状態で、各種「送り手」論の議論自体が噛み合わない状態にあり、その後は、テレビの「送り手」論自体が衰退している。

 もちろん、「作り手」論の要素を含む示唆的な研究として、後藤和彦の編成研究や、稲葉三千男の生産過程研究、井上宏の組織研究などがあり、これらは「送り手」論の一環として1960年代より議論されてきた。しかし、1970年代後半でその系譜は、ほぼ断絶している。その原因の一つとして、当時の「送り手」の定義に共通概念が存在していなかったことが挙げられる。その結果、個々の研究が分断され、大きな潮流を形成するに至らなかったと考えられる。

 第2章では、こうした限界を乗り越え、「編成主導体制」の影響を明らかにするために、「作り手」を「送り手」から独立させたテレビ研究の枠組みを新たに設定した。まず、「作り手」と「送り手」をテレビ局の組織図や具体的な職制に基づいて、それぞれに定義した。そして、この「作り手」と「送り手」を分離した視座を用いて、民放キー局と準キー局を対象に、「作り手」と「送り手」の関係性を分析するための類型モデルを提示した。具体的には、「作り手」が「送り手」から「自律性」を確保した1980年代以前の「制作独立型モデル」と、「作り手」が「送り手」に吸収された1980年代以降の「編成主導型モデル」の二類型に分類した。

 第3章以降は、上記の理論的考察から導き出した類型モデルを使って、歴史分析や事例分析を行った。研究方法としては質的調査法を採用し、文献調査に加えて、「作り手」や「送り手」の実務者に対するインタビュー調査を実施した。具体的には、2004年9月から2015年11月の間に、制作現場に従事するエキスパートを対象に、主に半構造化インタビューによる聞き取り調査を実施した。

 第3章と第4章では、編成の影響力が次第に増大していく過程を歴史的に明らかにした。まず、第3章では前提となる基礎知識として「視聴率」の歴史や制度を検証し、テレビ内部で最重要ファクターとして機能してきたシステムを概観した。その上で、テレビ放送開始直後から、編成を中心とする「送り手」が視聴率の構造的な仕組みを解読する方法により放送適合枠を徐々に拡大させ、現在の「全日放送」に昇華させた歴史を考察した。

 次に、第4章ではテレビの「作り手」と「送り手」の関係性を、「制作独立型モデル」から「編成主導型モデル」への変遷を基軸に、第一期から第五期までに分類して考察した。第二期のTBS「制作独立型モデル」に対して、1980年代に第三期のフジテレビが「初期編成主導型モデル」を導入し、まず組織的に編成の「送り手」が制作現場の「作り手」を吸収した。続いて、1990年代に第四期の日本テレビが番組制作過程にも編成の影響力を強化し、「編成主導型モデル」を確立させ、高視聴率獲得に向けてより効果的と思われる組織システムを完成させた。その後、民放キー局では「編成主導体制」が主流となり、現在も熾烈な視聴率競争を展開している。この「制作独立型モデル」から「編成主導型モデル」への移行による、番組制作過程への影響に焦点を当て、「作り手」と「送り手」を分離した視座により、編成の影響力増大の実態とテレビにもたらす作用を検証した。

 第5章と第6章では個別番組を対象として、「編成主導体制」がテレビ番組の制作過程にもたらす影響について事例分析を展開した。具体的な事例分析の対象番組としては、まず第5章では、編成を中心とする「送り手」の影響により、番組制作現場における意思決定過程や企画段階で「作り手」の「自律性」喪失が顕在化した「編成主導型モデル」の典型例として、関西テレビ『発掘!あるある大事典2』とテレビ朝日『ザ・スクープ』の2番組を検証した。そして、第6章では編成の番組制作過程への影響を最小限に抑制して、制作現場の「作り手」の「自律性」回復に成功した、現在では数少ない「制作独立型モデル」の事例として、テレビ朝日『相棒』とテレビ東京『勇者ヨシヒコと魔王の城』の2番組を対象に分析した。その際に、第5章、第6章ともに、当該番組の企画段階から制作過程までの意思決定過程の際の、編成を中心とする「送り手」と制作現場の「作り手」の力関係を、質的調査により検証した。

このように、本論文では「送り手」対「受け手」という従来のマスコミュニケーション過程の枠組みに「作り手」を加えて考察する方法で、テレビにおける「編成主導体制」の浸透を指摘し、その問題点を明示した。しかし、本論文では「作り手」の対象範囲を出演者や構成作家などを含まないプロデューサーやディレクターを中心に設定したため、広義の「作り手」までは網羅することができなかった。出演者や構成作家などの番組制作過程に対する影響は強力であり、本論文では未達の部分となったが、今後の研究で詳細な考察が必要であり、テレビ「作り手」論の適用範囲の拡大を将来的な課題としたい。

 今後もテレビにおいて重要になるのは、視聴率から過度の制約を受けない番組制作過程の堅持であり、「編成主導型モデル」においても、「作り手」と「送り手」の境界線上での制作現場の「自律性」の確保が、「受け手」に対する番組の多様性保持に向けて必要となると想定される。終章では、制作現場の「作り手」の「自律性」回復に向けて最適な組織モデルとして、最終的に「初期編成主導型モデル」を修正した組織形態を提唱した。本論文は、放送文化の多様性に寄与する実践的な政策科学を目指すと同時に、1970年代後半から系譜が中断されている編成研究や生産過程研究などの「送り手」論の再興に繋がる、今後のテレビ研究の方向性を提示した。