本論文の目的は、新宿歌舞伎町の維持、再生産のメカニズムを経験的なかたちで明らかにすることである。

 序章では、新聞紙上で繰り返し報道されてきた歓楽街の「一斉摘発」や「浄化」が、歌舞伎町においても頻繁に実施されているという単純な事実を提示した。こうした取締りによって横浜市黄金町からは売春が一掃されたほか、静岡県の熱海は地域経済の衰退によって歓楽街としての性質を失った。つまり、歌舞伎町が今日見られるような歓楽街としての姿を保っていることは、実は自明な事柄ではない。

 第1章では、歓楽街に関連した統計を簡単に押さえたのち、歌舞伎町を社会学的な研究の俎上に載せるために必要な作業として、「地域社会」という概念の検討を行った。従来の地域社会学、都市社会学の諸研究が依拠していた「地域コミュニティ」概念の枠組みには、「空間(地域)」、「居住」、「コミュニティ」という3つの要素の癒着があり、こうした癒着を引き剥がさなければ、歌舞伎町のような地域を適切に対象化することは困難であった。そこで、「空間(地域)」を「居住」と「コミュニティ」から分離した上で、その「場」に「出入り」する人びとを含めた諸主体の、「活動」を焦点化するという「地域社会」概念による戦略を提示した。ここには、歌舞伎町を研究対象とするに当たって、社会関係よりは「空間性」を、居住や定着よりは「移動性」を、主体の再生産よりは「活動」の再生産を、それぞれ重視するという思惑があった。よって第3章以下で見るように具体的な調査は幅広い対象に対して実施され、参与観察も行った。

 第2章では歌舞伎町に関する入手可能な公的統計を見たのち、2000年前後までの歌舞伎町の歴史を概観した。歌舞伎町に関する統計は相互に食い違いを見せており、その内容を評価することはしばしば困難であった。このことは、統計の前提となる調査が、歌舞伎町においては困難であることを示していた。であればこそ、質問紙等の構造化された調査以前に、対象において注目すべき要素とその構造的連関じたいを析出、探索するような、フィールド調査の有効性に光が当てられる。

 西暦2000年ごろまでの歌舞伎町の歴史は、歌舞伎町が歓楽街になる歴史であった。1948年に起立した歌舞伎町であったが、1960年前後までは現在のゴールデン街付近に当たる「花園街」という地名が、売防法(1958年施行)いぜんからの旧青線街として歓楽街のイメージを担っていた。しかしその後、歌舞伎町の発展は急速に進み、60年代半ばには「新宿の繁華街の中心」の地位を占め、70年代半ば以降は多様化した風俗産業が集積して「日本一のピンクゾーン」と呼ばれるに至った。歓楽街としての爛熟を見せた歌舞伎町において、商店街振興組合や業界団体は組織率を低下させ、警察は風営法改正に伴って査察能力を奪われ、自治体は同法改正をもってして歌舞伎町から後退した。

 第3章で取り上げたのは「地域」と「雑居ビル」という領域であった。第3章末では、この領域における諸主体による活動が、「雑居ビルの整序されない細分性を背景とした、イメージをめぐる相互交渉」であると述べた。本来は店舗空間の内実と不可分であるはずの「地域イメージ」は、歌舞伎町では映画のPRイベントや路上の美化活動などにおいて店舗空間からは遊離した位相で諸活動の対象とされていた。警察は査察の権限を持つため、店舗空間の内部にも介入することが可能な主体であるが、その警察であっても歌舞伎町に関与するのは刑法犯の認知件数増大や検挙率の低下といった「治安」のイメージに関連してのことである。そうした意味で、警察、自治体、振興組合という各主体が「地域」というある意味で抽象的な枠組みにおいて歌舞伎町に関わるとき、その「地域」とは「イメージの領域」とでも呼ぶべき空間として立ち現れる。「地域」に関わる各主体の活動は、歌舞伎町が「地域」としてどのようなイメージを表示し発信するのか、に関する共犯的かつ対抗的な相互交渉なのである。

 第4章で取り上げたのは「店舗」という領域である。具体的に取り上げたのは、接待系風俗営業の2つの業態と、店舗型性風俗、無店舗型性風俗であった。これら風俗産業で提供されるサービスの特質に加えて、店舗空間は「地域」や「ストリート」に比して圧倒的に閉鎖性が高いこともあり、各店舗の内部では客と従業員、あるいは従業員同士のあいだで、濃密な相互行為が繰り広げられていた。それは、各店舗において相対的に完結したインフォーマルな制度にまつわる意味づけの濃密さである。接待系風俗営業においては「指名」と「売上」に関連した「ヘルプ」や飲酒の実践がこれに当たる。性風俗においては店長ら経営陣と従業員の関係において、店舗への定着に関する相互交渉があった。

 本稿の関心は、個別の店舗の消長とは差し当たって独立した、サービスの再生産の過程にある。歌舞伎町では店舗の流動性が高く、また業態のレベルで見ても目新しい業態が次々と出現しては消えている。それでも一貫して歌舞伎町が歓楽街としての姿を保っている事態を、本稿では、「サービス」という抽象性において再生産が実現していると見る。店舗や業態は、この「サービス」を具体化する枠組みなのである。そこで、店舗が安定した経営を実現する側面よりも、サービス提供を担う従業員が持続的に供給され、一定期間店舗に定着することが可能になっているメカニズムの探究として、サービスの再生産過程にアプローチしたのであった。

 そこでは、従業員の恒常的不足と待遇の悪さが、店舗による定着努力と結びついていること、ならびに従業員供給に関して歓楽街という集積の効果がポジティブに影響している可能性が示された。

 歌舞伎町において風俗産業で提供されるサービスは、「接待サービス」と「性的サービス」の2つに大別できる。これらのサービスは店舗空間の閉鎖性と相即しており、その意味でもこの空間を「サービスの領域」であると言うことができる。店舗空間の閉鎖性がこれらサービスの提供を可能にし、これらサービスの提供が閉鎖性を要求している。

 最後に第5章では「ストリート」という領域を取り上げた。ストリートにおける諸主体の活動はいずれも「仲介」が焦点に据えられていたため、これを「仲介の領域」と捉えることが出来る。

 第5章ではじめに分析した、振興組合によるパトロール活動は、来街者が歌舞伎町に訪れる際に通るメインストリートである「セントラルロード」における客引きやスカウトを問題視し、これらへの対抗策として実施されていた。つまり、客引きやスカウトはメインストリートを通じての来街者の回遊を妨害する存在であると見なされていたのである。他方、第2節、第3節で取り上げた客引き、スカウトらは、ストリートにおける人びとの「需要」を店舗へと仲介する行為として自らの活動を意味づけていた。

 パトロールは、客引きやスカウトを問題視する一方で、ストリートをイメージのメディアとして捉えることで、「あまり悪質な客引き(スカウト)行為でなければ問題ない」といったように、態度を軟化させてもいた。これは、ストリートの空間が外部に向かって開かれており、イメージを表示する高い性能を備えていることと関わっている。

 しかし、「地域」がその抽象性において「イメージの領域」たりえたのとは対照的に、「ストリート」はきわめて具体的な空間を指示している。そこでは現実に人びとが足繁く行き来しており、客引きやスカウトにとってそうした人びとは領有されるのを待つ資源なのである。第5章で分析されたのは、これらの職業の活動内容と、各当事者によるそれへの意味づけである。

 第6章では以上の内容から、諸活動の再生産にかかわる相互作用のエッセンスとして媒介=分離という要素を指摘した。行政と風俗産業を媒介する振興組合、振興組合とテナントを媒介する不動産業者、店舗とキャストを媒介するスカウトらは、それぞれ二者を媒介すると同時に二者の分離を安定的なものにしたり、二者関係への内閉を流動化させるような働きをしていた。

 こうした媒介=分離が活動の再生産に資する背景には、歌舞伎町の「場」の特性があった。雑居ビルとそこに入居する店舗の特性である「整序されずに流動する細分性の集積」がそれである。この特性は、主体にとっては不透明性として現象する。この不透明性を透明化する行政機関のはたらきを、微妙なバランスに留め置いていたのは、第一には店舗の流動する集積性であったが、第二には振興組合の存在があった。そして、こうした不透明性に振興組合が対処するのに貢献していたのが不動産業者による媒介=分離である。風俗産業の営業は不透明性に内閉することで成り立っているが、それには無視できないネガティブな要素もあり、そうした内閉性を相対化することにスカウトの働きは貢献していた。

 「整序されずに流動する細分性の集積」が風俗産業の再生産に貢献していることは、歓楽街のなかにあるからこそ風俗産業が存続できる、ということを示している。これまで、歓楽街を風俗産業の集積した地区であるとしてきたが、事態はむしろ逆なのだ。不規則で細切れな大量の営業が頻繁に交替を繰り返しているからこそ、個別の店舗は消長しても、サービスは再生産されていくのである。歌舞伎町という地域社会の存続は、諸活動の再生産と「場」とのあいだの以上のような相互作用によって実現していた。

 最後に、以上の分析を経た事後的な方法的考察として、内容自由な「地域社会」という枠組みの有効性を確認し、調査データの分析の結果明らかとなった「『地域社会』の代替可能性」という論点を、今後の検討課題として提示した。