本論文は、地域の社会関係資本と犯罪の関連について、複数の実証データを用いて多角的に検討したものである。社会関係資本とは、「人々の相互利益のための協調と協力を促進する、ネットワーク、信頼、互酬性の規範といった社会組織の特徴」(Putnam, 1995)であり、これらが豊富な地域では住民の安全や健康が向上することが多くの先行研究により明らかにされてきた。それらの研究では、地域の特徴(i.e.社会関係資本の多寡)によってそこに住む人々の安全や健康が異なる、といういわゆる文脈効果が、マルチレベルモデルの観点から検討されてきた。犯罪研究の分野においては、地域の社会関係資本は、ともすれば社会の要塞化を招く恐れのある「防犯まちづくり」とは異なる、新たな犯罪抑制要因として注目されている。

しかし、マルチレベルモデルに基づいた研究は、どのような地理的範囲を“地域”の定義として用いることが住民の安全や健康を予測するうえで適切なのか、という可変地域単位問題(Modifiable Areal Unit Problem: MAUP)を常にはらむ。そこで、本論文では地理情報システム(GIS)と空間統計を用いることにより、この問題へのアプローチを試みた。また、本論文は地域の犯罪件数や防犯のあり方によって住民の社会関係資本が影響を受けるという、逆の因果関係についても検討した。これらの分析を通じて、本論文は日本における社会関係資本と犯罪・防犯の関連を包括的に理解するための新たな知見を提供することを目的とした。

理論編(第1章)に続く第2章(研究1、2)では、社会関係資本により促進される近隣の集合的な協力行動による犯罪抑制効果に焦点を当てた。研究1では、郵送調査データおよびマルチレベルモデルを用いて、街区レベルの社会関係資本が住民の地域管理活動(清掃活動や自治会への参加)を促進し、街区レベルで集積された地域管理活動が犯罪被害を抑制する、というパスモデルを検討した。研究1の主眼は、社会関係資本による犯罪抑制効果が日本においても確認されるのかどうかを検討することであった。分析の結果、街区レベルの社会紐帯と信頼は、有意に住民の地域管理活動を促進し、また、街区レベルの管理活動は侵入窃盗の被害を有意に抑制するということが確認された。しかし、個人レベルの地域管理活動は侵入盗被害と関連していなかった。これは、「個人の協力行動単体では地域での安全に影響を与えられない」ことを意味しており、ここには協力行動を抑制しうる社会的ジレンマの要素が含まれていると考えられた。そのため、研究2では社会調査データを用いて、地域での協力行動(自主防犯活動への参加)に対するコスト感、無効性感覚、危機感と、活動への参加や継続との関連が検討された。また、社会関係資本がそれらの社会的ジレンマ的認知を解消するかどうかについても検討された。分析の結果から、社会関係資本は協力行動へのコスト感、無効性感覚を低め、危機感を高めることによって、社会的ジレンマ状況を解消しうることが示唆された。ただし、防犯活動への参加はコスト感、無効性感覚とのみ関連しており、危機感とは関連していなかった。さらに、活動への継続的な参加については、コスト感の解消のみが効果を持っていた。

第3章(研究3、4)では、分析に用いる“地域”の地理的範囲を変動させることによって、地域の社会関係資本による犯罪抑制効果が変わるかどうかについて検討された。これらの研究では、GISと空間分析手法を援用することにより、従来の地域研究で指摘されてきた可変地域単位問題(MAUP)への対処を試みた。すなわち、“場所”ではなく“空間”に焦点を当てることにより、社会関係資本の“正味の”近隣効果を検出し、犯罪予防にとって理論的および実践的に有用な知見を提供することを目的とした。研究3においては、郵送調査回答者の居住地の地理情報を用い、彼らの位置関係をGIS上にプロットした。そして、彼らの間の物理的距離に焦点を当て、“地域”の定義を「各回答者の周囲60メートル以内に居住する他の回答者」から「周囲500メートル以内の他の回答者」まで、10メートルずつ“地域”の範囲を変えながら、社会関係資本による犯罪抑制効果が最もよく検出される地理的定義を検討した。分析の結果、信頼、互酬性の規範は分析に使用される地域の地理的範囲が大きいほど、犯罪抑制効果が大きくなることが示された。また、信頼は、地域の地理的定義が小さな場合にも比較的強い犯罪抑制効果を示した。これらの結果から、地域住民の信頼による犯罪抑制効果は、ある一定の地理的範囲内で複数の犯罪抑制メカニズムを持つことが示唆された。研究3の結果を受け、研究4では、狭い近隣においては、信頼は地域住民との“草の根的”な地域管理活動(清掃活動や自治会での話し合いへの参加)を促進することにより犯罪抑制効果を持つという「占有のサインモデル」が、広い近隣においては、信頼が住民同士の社会的統制だけでなく、警察によるフォーマルな社会的統制も利用しやすくするために犯罪が抑制されやすくなるとする「システミックモデル」が、それぞれ作用していると考え、研究3と同様の分析的枠組みを用いて検討した(ただし、地域の範囲は50~1,000メートルの間で10メートルずつ変動させた)。分析の結果から、予測どおり、占有のサインモデルにおいては、近隣の地理的範囲が小さいほど信頼による犯罪抑制効果が大きくなることが示された。反対に、システミックモデルにおいては、近隣の地理的範囲が大きくなるほど信頼による犯罪抑制効果が大きくなることが確認された。これらの研究からは、分析に用いる地域の範囲によって有効な犯罪抑制理論が異なることが示された。そして、これは従来の行政区界に依存したマルチレベルアプローチでは見落とされていた点であった。

第4章では、犯罪が社会関係資本に与えるインパクトについて、2つの研究を通じて検討された。先行研究においては、犯罪の増加は地域住民の社会関係を毀損するという結果と、反対に、犯罪に対抗するために住民の結束が促されるという結果が混在していた。研究5では、これらの先行研究から、治安の悪化は友人のような親密なネットワークを増加させる一方、それ以外の単なる知人の数は減少させる効果を持つという仮説を立て、それを検証した。人々の地域内の社会的紐帯の数と社会参加を測定した郵送調査データと、町丁目ごとの刑法犯認知件数のデータを用いてマルチレベル分析を実施した結果、地域の窃盗犯罪件数は地域内の知人数と負の関連を持つことによって間接的に住民の社会参加を抑制することが示された。一方で、犯罪件数は友人数と正の関連を持つことによって間接的に人々の社会参加を促進することが確認された。これらの結果から予想される社会的帰結は、治安が悪化すると人々は安心を担保するために開放的なネットワークを縮小させる可能性があるということである。すなわち、人々は安心できるネットワーク内だけのつきあいに人間関係をクリーク化させていくのかもしれない。このような現象はまさに“犯罪不安社会”の弊害ということができる。研究6においては、犯罪不安社会の弊害の一例として、監視が社会にもたらす効果を検討した。現在の防犯まちづくりの特徴として、地域コミュニティへの監視カメラの設置のような、監視の要素を含む方略がある。しかし、このような監視は排他的・閉鎖的社会の形成につながるといった懸念や、地域での疑念を増長することによって社会的凝集性や結束を脅かしうるといった批判も提起されている。一方で、監視のシステムは他者の犯罪行動を抑制することによって他者への信頼(安心)を強化する効果を持つとも考えられる。本研究では、実際に居住地域内に監視カメラが多数設置されている自治体の住民を対象とした郵送調査データを用いて、地域に設置された監視カメラへの曝露が人々の地域に関する認知(凝集性、信頼)にどのような影響を与えるのかを検討した。分析の結果から、地域内の監視カメラに曝露している人は、地域の社会的凝集性を低く見積もる一方で、他者への高い信頼を報告することが確認された。この結果から、犯罪への反応としての監視は、凝集性を低め、他者への信頼を高めるというアンバランスな効果を持つことが示唆された。

本論文の一連の研究は、日本においても社会関係資本による犯罪抑制が有効であることを示している。社会関係資本を起点とした、地域の管理活動や社会的統制による犯罪抑制は、都市の「監視化」や「要塞化」とは異なる方向の防犯まちづくりを提案しうる。本研究で示された社会関係資本の性質は、相対的に低下した警察力を背景に「検挙に勝る防犯はなし」という考え方から「予防に勝る防犯はなし」という考え方にシフトした現在の警察政策にとっても有益である。さらに、研究対象や行政・警察が介入対象とする地域の地理的範囲によって、念頭に置くべき犯罪抑制理論が異なることがわかったことも、学術的・政策的・実践的に有用な知見であった。また、逆に犯罪が社会関係資本に影響を与え、人間関係をクリーク化する可能性があることも示唆された。また、それに関連して監視社会は住民の安心・安全を確保する代わりに、人々の社会的つながりを犠牲にする可能性があることも示唆された。これらの結果は、監視の要素を含む防犯まちづくりを過度に進めるのではなく、社会関係資本による犯罪予防という概念を防犯まちづくりに持ち込むことの有用性の、間接的な証左といえよう。