研究の背景と目的 社会的侵害場面とは、ある主体が他者の資源や権利、あるいは社会規範を著しく害するような状況を指す。このような状況は、被害の与え手(侵害者)と受け手(被害者)のみならず、当事者ではない個人(以下、非当事者)の心理にも大きく影響を及ぼす。なぜなら、不当な侵害行為を知覚することは、非当事者が内在化する道徳的な規範や価値観への脅威となるためである。その結果、非当事者は、直接的な被害を受けていなくとも、怒りをおぼえ、公正の回復に動機づけられる。代表的な公正回復の方略が、侵害者に罰を与えることで応報的公正の達成を目指すというものである。一方で、侵害者が示す謝罪などを通して、侵された道徳的価値観の地位が回復することでも、公正回復は成される。そのような形での公正は修復的公正と呼ばれ、その達成は個人を寛容へと動機づける。本研究は、以上の2種類の公正回復プロセスにもとづく個人の反応(すなわち制裁と寛容)に着目し、その規定因を明らかにすることを目的とした。

 ひとくちに非当事者といっても、侵害状況との接点が全く存在しない第三者である場合と、その成り行きや当事者に対して「口出し」できる立場にあると個人が知覚する場合が存在する。その違いは、個人の制裁や寛容に関する判断に、どのような影響を及ぼすか。その点を説明するため、本研究が焦点をあてたのは、人々が判断時に知覚する勢力感(sense of power)である。勢力感とは、個人が他者の行動ないし資源をコントロールできる程度に関する感覚を指す。既存の研究を通して、高勢力を知覚する個人は、低勢力者に比べて、状況的に優勢な目標への注意を焦点化し、その目標に沿った反応を強く表出する傾向があることが議論されている。そのような理論的枠組みに則り、本研究は、個人の中で応報的公正と修復的公正のいずれの目標が優勢的な喚起されているかに応じて、勢力は、制裁も寛容も、ともに促進する効果があると仮定した。より具体的には、謝罪の有無が目標喚起を左右すると想定し、高勢力者は低勢力者に比べ、謝罪を知覚しないときには制裁に動機づけられ、謝罪を知覚する場合には寛容に動機づけられると予測した。以上の予測について、以下の6つの研究から実証的に検討した。

 研究1 犯罪被害場面を題材に、人々が日常的に経験する個人差としての勢力感が、加害者への態度に与える影響を検討した。加えて、研究1では個人の特性的な寛容性を取り上げ、分析に用いた。ウェブ上の調査に参加した一般サンプルによる回答を分析したところ、特性的に他者への寛容傾向の低い個人において、勢力感が高いほど、加害者への制裁に動機づけられていた。一方で、加害者が反省の意を表明するという想定のもとで、その人物を許すかと尋ねた項目については、勢力感が高い個人ほど寛容的な態度を示していた。以上より、勢力は、応報と寛容のどちらの目標が特性的ないし状況的に優勢であるかによって、個人の制裁的反応と寛容的反応をともに促進することが確認された。

 研究2 企業不祥事を題材に、個人が侵害状況に対して知覚する勢力感を実験的に操作し、企業への態度に及ぼす効果を検証した。同時に、個人の中で優勢的に喚起される目標が応報的なものか修復的なものであるかを分ける状況的手がかりとして、謝罪の有無を操作した。実験では、高勢力条件の参加者に、企業への評定が(実際は架空の)公的機関を通じて企業の処遇に影響を与えると教示し、低勢力条件の参加者には、回答内容にそのような影響力はないと教示した。実験の結果、企業の謝罪は、低勢力条件の参加者に態度変容をもたらさず、高勢力条件の参加者の寛容的な態度を強く促進することが判明した。特に、予測を支持し、高勢力者ほど、謝罪がない場合には非寛容的に反応し、謝罪がある場合は寛容を強めることが認められた。

 研究3 企業の処遇への直接的なコントロールのみでなく、勢力感覚のみをプライミングすることでも企業謝罪への反応が変化するかを検討した。参加者は二人一組で実験に参加したが、課題に関する説明の中で、一方の参加者には相手に指示を与える役割を担ってもらうと伝え(高勢力条件)、もう一方の参加者には相手の指示下にある作業者の役割を与えると教示した(低勢力条件)。以上の役割意識を喚起することで勢力感をプライムした上で、それとは無関連な課題と称して企業不祥事事例への態度評定を求めた。その結果、プライミングの効果が認められ、やはり高勢力条件において、企業の謝罪が参加者の寛容的な動機づけを促進し、低勢力条件においてはそのような変化が見られなかった。

 研究4 対象とする葛藤場面を対人レベルのものとした上で、再び勢力感プライミングの効果について検討した。この研究では、実験参加者に、過去に他者に対する勢力を保持していた経験、あるいは他者の勢力下にあった経験を想起してもらうことで勢力感をプライムした。その上で、別部屋で実際に行われている課題の様子であると称し、実験に非協力的な学生が実験者に迷惑をかける映像を提示した。映像は事前に作成したものであり、その中で侵害者が謝罪を示すかが操作された。そして映像視聴後、「運試し」に関する実験の一環であるとして、映像内の侵害者が口にする可能性のあるシュークリームにカラシを入れるよう参加者に求めた。本研究では、このとき参加者が注入したカラシ量を、侵害者への非明示的な攻撃反応の指標として分析した。その結果、謝罪を行う侵害者に対して、高勢力条件の参加者が注入したカラシ量は低勢力条件の参加者に比べて少なかった。すなわち、謝罪に応じて高勢力者の方が寛容的にふるまうという傾向が、行動指標を通しても確認された。

 研究5 勢力感が人々の制裁や寛容といった反応を調整することが、どのような個人差の条件のもとで起こるかを検討するため、公正信念の変数を取り上げた。実験では、「職場内で発生した個人間の紛争」という架空の場面設定に対して、同じ職場で働く非当事者として人々がどのように反応するかを、勢力を操作しつつ検討した。高勢力条件の参加者には、侵害状況の当事者の処遇を左右しうる権限が与えられていると教示し、低勢力条件の参加者には、そのような影響力を持たないという情報を与えた。また、侵害者が謝罪を示すかも操作した。分析の結果、高勢力者ほど、謝罪がないと非寛容的に、謝罪があると寛容的に反応するという傾向が、特に公正信念が弱い個人において認められた。一方で、公正信念を強く持つ個人においては、勢力に関わらず、謝罪の提示が寛容的態度を促進していた。公正信念が弱い個人は、謝罪を知覚した際に修復的目標の強い喚起が生じにくく、応報的目標との目標競合が生じやすいと考えられる。そのようなときに、勢力の高まりによる目標焦点化と、その結果として生じる反応の促進が、もっとも効果として表れやすいと考えられる。

 研究6 研究5と同様の実験パラダイムを用い、さらには謝罪の有無のみならずその誠実さも操作し、勢力の効果が認められる条件についての検討を重ねた。研究6の結果、寛容的な反応に対する勢力による調整効果は、公正信念が弱く、かつ謝罪の誠実さが低い場合に顕著に認められた。謝罪が十分に誠実でないとき、それを知覚した個人の中では、侵害者を許すべきかという葛藤が生まれやすい。勢力は、やはりそのような目標競合時に、もっとも効力を発揮するといえる。

 総合考察 以上の6つの実証研究を通して、非当事者が侵害者に対して示す反応が、喚起される公正回復の目標とともに、個人が知覚する勢力の要因によって規定されるという点を明らかにした。本研究で示された結果として、まず、不公正を知覚し、かつ謝罪などの宥和要因が示されない場合、個人は侵害者への制裁反応を示すが、そのような動機づけは、高勢力を知覚する個人ほど強かった。一方で、侵害者による謝罪を知覚するときには、高勢力者は寛容への動機づけを強めていた。これらの結果を総合すると、応報的あるいは修復的な公正目標のいずれが優勢的に喚起されているかに応じて、高勢力状態は当該の目標に沿った反応を促進し、一方で、低勢力状態はその反応の抑制を引き起こすといえる。さらに、本研究は、そのような勢力にともなう反応の促進・抑制は、公正信念の弱さという特性的な条件や、謝罪の不誠実さという文脈的な条件のもとで生じやすいことを明らかにした。これらの知見から示唆されるのは、修復的公正の顕現化が弱いとき、すなわち侵害者を罰するべきか許すべきかの目標競合が生じるときに、勢力感は、目標に沿った反応を後押しする心理的機能を持つということである。

 本論文が提出する知見は、侵害状況の非当事者を、状況に対して主体的に働きかける道徳的エージェントとして捉えた際に、特に重要となる。そのような立場の個人においては、必然的に、不公正状況と自らの相対的な力関係に関する認知が生まれるが、本研究は、そのような関係性の認知に応じて、個人の反応が著しく変化することを浮き彫りにした。さらに、侵害場面の状況的要因(e.g., 謝罪)にもとづく情報の知覚ないし解釈の過程と、判断者自身の特性的要因(e.g., 公正信念)が判断に影響する過程をモデルに組み込み、それら各要因と勢力の要因の総合的な作用により、個人の態度がダイナミカルに決定される心理構造を明らかにしている。