本論文は、和漢比較研究という手法を通して、軍記物語、主として延慶本『平家物語』と『太平記』にみられる政治思想を究明したものである。

読み本系の古態をよく残したとされる延慶本『平家物語』と『太平記』では、中国由来の政治思想に関する語句を多用していることが事実である。しかし、その意味は必ずしも原典そのものではなく、ずれている場合が多く見受けられる。本論文は、その原典から軍記物語まで、またはそれ以降の受容と変容の実態を追い、それらの変化が文学作品の読解にどれほど影響したのかを究明したうえで、文学史・文化史的な視点からその意義を問うたものである。

本論文は、第一部、『平家物語』の政治思想、第二部、『太平記』にみられる政治思想、第三部、『平家物語』と『貞観政要』から構成されている。

第一部では、『平家物語』の天思想について考察した。第一章の、延慶本『平家物語』の「天人相関思想」では、延慶本『平家物語』が、安徳後日譚で安徳天皇の非業な死を説明する際に、中国由来、かつ日本風に変えつつあった「天人相関思想」を援用していたことを指摘した。延慶本『平家物語』の「安徳後日譚」は、安徳天皇の在位中に現れた「天変地妖」を虚実ともに集中させて描写している。それは治世中の怪異と災害で帝王の不徳を示す「天人相関思想」なるものと認められる。非業の死を遂げた幼帝安徳は、王となるべき血筋ではなく、正統の天皇ではないという危うい立場に立たされかねない。そのため、「天人相関思想」を援用し、帝位を全うできなかった原因を帝徳の欠如でかろうじて解釈し、安徳帝が天皇としての聖性を保ったまま悲惨な死を遂げたと解釈したことを指摘し、しかも、その「天人相関思想」は神仏思想とも混合しており、日本的な受容の流れを受けたことを明らかにした。第二章は、延慶本『平家物語』の全編にわたる「天」の思想を一義的に扱う研究史を受けながら、延慶本『平家物語』の「天」は、絶対的・権威的な天道のほか、地上の運命を決める人格神的な存在や、個人の運命を決める天帝など、実に多様に語られることをを明らかにしたものである。

第二部は『太平記』、主として「呉越戦の事」を中心に考察を加えたものである。第三章では、「会稽の戦」でみられる戦場の描写は実際の地理などに合わず、『太平記』なりに変換したことを明らかにし、それは「会稽の恥」という語彙にまつわる日本側の伝承とかかわって発生したことを指摘した。第四章は、呉越合戦で語られる君臣像を考察したものである。呉越合戦の語りでは、勾践と范蠡がそれぞれ明君と良臣に仕立てられた。ことに勾践像は原典のものよりもはるかに美化したことが認められる。それは後醍醐天皇に準えていることによる作為だと考えられることを指摘した。第五章では、『太平記』が、中国における政略的な美人である西施を、「中世史記」の伝承世界を介して、帝王と相思相愛の后として描き出し、さらに、『平家物語』などで広く語られる「二代后」から物語の原型を借用して作り出したことを指摘した。

第三部は延慶本『平家物語』と『貞観政要』を中心に考察を加えたものである。第六章では、延慶本『平家物語』における『貞観政要』の摂取を、君臣思想の面から考察を加えた。『平家物語』は治天の君である後白河院を中心に、「君は船也、臣は水也」、「魚水の契」、「船と棹」などの『貞観政要』ゆかりの語句を借用して、君臣関係の三つの典型を構築したことを指摘し、『貞観政要』の摂取が『平家物語』の君臣思想の構想に深くかかわったことを明らかにした。第七・八章では、それぞれ「君は船也、臣は水也」と「魚水の契」が、日本に伝来してからの、受容と変容の過程を、文学史・文化史的に考察した。「君は船也、臣は水也」という文辞は、原典の「水」であるはずの「民」を「臣」に置き換え、天皇や法皇らの治世の直接の対象である臣下、また、庶民への政治を直接に担う臣下という日本風の政治体制にふさわしい形で広く享受した実態を明らかにした。「魚水の契」は、原典では君臣の公的な良好な関係を例えるもので、しかも、水から離れられない魚のイメージから、臣下なしでは治世できない君主の一面が強調される。しかし、日本では「君臣合体」という語で象徴されるように、君臣の一体感、異心のなさが強調された。第九章では、『貞観政要』が実際中国でどのように享受されたかを、唐王朝に焦点を絞って究明した。その結果、唐王朝の皇帝たちのほとんどが、『貞観政要』を尊崇するスローガンを掲げたが実践の面に移していない、という事実が浮き彫りになった。それは『貞観政要』があまりにも理想的な君臣関係を説くため、君主に高い素質を要求してしまう面があるからである。第十章は、日本における『貞観政要』の受容、特に、北条政子の下命で菅原為長が著した和訳本『仮名貞観政要』の翻訳について考察を加えた。爲長は『貞観政要』を和訳する際、省略、特に難解な漢文熟語などを省略したり、意訳したりする傾向が著しくみられる。また、読者を想定して文意をわかりやすくするために語句を新たに増補して訳す行為も多くみられる。そのうち、特筆すべきなのは、詳細な人物注記をすることである。爲長の和訳本『仮名貞観政要』は、誤訳もみられるが、総じていえば、儒学博士の漢学素養に相応する質を有する訳本だと評価できる。それは武家政権の治世を助けるばかりではなく、『平家物語』やそれ以降の文芸に与えた影響も甚大である。