本研究の目的は,唐代の中国におこったいわゆる中国華厳宗の祖師のうち,後世において華厳教学の大成者と称された法蔵(643-712)の思想を主な考察対象とし,その独自性をこれまで以上に明瞭ならしめることである.大成者という位置づけの背景には,本研究が指摘するように,インドから中国へ特に翻訳をとおして唐代までに受容された仏教教理思想を,法蔵がたくみに概括し,みずからの問題意識や特徴的な思考形式にもとづき,独自に整備・体系化した点が大きい.

法蔵については多くの先行研究が存在するが,対象文献や内容にはかたよりがある.『華厳一乗教義分斉章』(以下,『五教章』)『華厳経探玄記』『大乗起信論義記』などの研究が豊富であるのにたいし,上記以外の著作や注釈書を含んだ包括的な研究は十分になされていない.また,法蔵撰とされる文献の基礎的な文献批判を経た上で,思想やその展開を考察するという方法すら,近年まで等閑視されてきた.

本研究では,制約的な法蔵の思想研究という現状を批判し,さらには,宗派の存在を前提に仏教東漸の過程を考察する伝統的仏教研究の価値観にともなった「華厳教学」という研究の視点そのものを限定する立場を問題視し,後世につくられた系譜にもとづく中国華厳思想史の視点ではなく,より幅広い視点から,法蔵の置かれた思想史的状況を解明することを試みた.基礎的な文献批判を最初におこなった上で,それぞれが有機的に連関する以下の7章をとおして,法蔵が師の智儼(602-668)の思想を継承しつつ,一つの教理思想として体系化してゆく過程を独自の思想構造として解明し,中国華厳宗の祖師ではなく法蔵一個人として,その思想史的位置づけをあきらかにした.

第1章では,多くの経論を注釈した法蔵を「注釈家」として捉え,教理解釈の際に各注釈書で共通して用いられる解釈法を指摘した.それは,注釈対象となる経論で鍵となる概念について,相反する両側面を措定し,二項対立の形式で両側面が双方向的に関係するあり方として解釈・敷衍するものである.さらに,この解釈法が中国的なものかを解明するため,中国思想を概括した上で比較・考察をおこない,中国の伝統的な思弁方法にもとづく側面が大きいものの,あくまでも縁起観を前提とした仏教的な解釈法であること,さらには,教理思想の根幹を担う教相判釈においても用いられていたことをあきらかにした.サマルカンドにルーツをもつ非漢人僧である法蔵は,いわば外部からの観察者として中国人の思弁方法を客観視し,その思惟方法に沿うかたちで,教理の中国的体系化を目指していたのである.

第2章では,第1章と関連し,二項対立という相対関係の把握の基底に,吉蔵(549-623)の思想的影響が大きいことを指摘した.仏教では,言語表現に不可避である分節化の問題から,真理をしばしば非一非異と表現するが,吉蔵は,仮の有や仮の空として非一非異なる真理をあえて言挙げしたものを教説とし,真理そのものは如何なるものにもかたよらない「無所得」とする.この背景には「教理の固定化が執著へとつながること」「相対概念にもとづくディレンマによる論駁」といった問題意識がある.法蔵はこの問題意識をふまえて三論教学をたくみに利用しつつ,華厳教学を位置づける円教以外の四教(小乗教・大乗始教・大乗終教・頓教)を四句の一辺にかたよる限定的教説とした上で,円教の立場を「円融無礙」とし,教義の固定化にもとづく問題を念頭に置いて五教全体を構築する.また,吉蔵をはじめとした三論教学にみられる相即理論を随処で使用し,「融」や「無障礙」といった表現で教理の統合をはかる.法蔵の五教全体の基底には,いわば裏返しの「無所得」の考え方がある.

第3章では,異なる諸説を「和会」する考え方に着目し,和会を重視する新羅の元暁(617-686)の教理思想の特徴として,『十門和諍論』を中心に三論教学の相即理論が必要不可欠である点を考証した.同時に,諍いのない言説として仏説を平等に評価する吉蔵と元暁との関係にも触れ,四句の形式に注目し,両者の相違点として,吉蔵が四句をさとりへとつながる否定的契機ととらえるのにたいし,元暁は諍いのない如来の教説として四句すべてを肯定的に捉える点をあきらかにした.そして,法蔵も和会の思想家として注目できる点を指摘し,各著作に説かれる空有論争の内容と展開を考察した.さらに,法蔵の思想的変化として,多くの先行経典の集成である『華厳経』の経文の矛盾を解消する際に,『華厳経探玄記』では四句を用いた和会の形式が,最初期の著作である『五教章』よりも顕著であることを指摘した.これは吉蔵や元暁へ思想史的につながる.ただし,法蔵は,「和会する」こともいわば一辺であって,「和会すべきではない」という見解も提示して相対化し,元暁の思想も取り込んだ上で自らの教理大系の中に定位している.

第4章では,法蔵の三性説解釈と三無性観に注目し,その変遷や位置づけを,同時代の新訳唯識説にもとづく学説をおさえつつ解明した.『五教章』と以降の著作では三性説解釈が相違する.『五教章』は真諦訳『摂大乗論』や摂論宗の解釈の影響が強いが,『十二門論宗致義記』ではそれらを批判的にふまえ,法蔵自身の新訳唯識説にたいする理解を反映させた上で,相即理論を前提とした二諦中道の構造へ再解釈する.また,三性の実践と想定される三無性観も同様であり,真諦訳『摂大乗論』にもとづく師の智儼の理解とは異なり,唐代の唯識学派の影響を受けた三無性観を述べる.

第5章では,智儼や法蔵と初期禅宗の関係についての先行研究を整理し,両者の関連を示す用例をさらに補足した.そして,初期禅宗の影響という観点から,法蔵の実践観と観法の形成を考証した.法蔵の実践観は,東山法門や北宗など,当時活躍していた多様な実践者を念頭においたものであり,法蔵はそれらを段階的に位置づけた上で,最も重視すべき立場として,『華厳経』の読誦・学習と空の観察をおこなうことを主張する.この空の観察に注目し,『十二門論宗致義記』や『華厳経章』を経て『華厳発菩提心章』の真空観へと至る観法の形成過程をあきらかにした.

第6章では,様々な事象の無礙を説く考え方に注目し,法蔵と初期禅宗の関連を意識しつつ,まずは両者の教理的淵源の一つである地論教学まで遡って考察した.そして,法蔵が独自性を確立する過程を,法蔵が批判的に峻別・捨象した考え方とあわせて解明した.地論教学の無礙の考え方の一つの傾向として,共通の本質に還元する考え方が存在し,その本質は中国思想の依用などがあれば,根源的一者として絶対視される危険がある.智儼門下は上記の問題意識を有しており,法蔵も同様である.同時に,初期禅宗も地論教学を教理的淵源の一つとすることを確認した上で,仏性やそれと同値された心を特権視して衆生と仏との無礙を主張する実践原理を有することを指摘した.法蔵は同時代の初期禅宗の思想を意識しつつ,それらと『華厳経』との関係を捨象する中で,自らの華厳教学の独自性を確立してゆく.

第7章では,第6章までとは異なり,法蔵の文献のみに焦点を据え,思想史的に最重要概念というべき「理」を一つの座標軸として措定し,その内容と変遷を考察した.法蔵の「理」については,著書全体をとおして二つの方向性がある.一つは事と相対的な理であり,それはさまざまな次元における「普遍」というべきものである.もう一つは,真理としての理の無限定性であり,「無尽」や「無窮」と表現される.さらに,重要な概念の一つである理事無礙についても,心識説という認識の構造理論から,三性説の再解釈をふまえ,空有相即のように理と事とが無媒介的に相即するあり方として存在論的要素を包含し,多様な事象がさまたげなく関係しあうあり方の理論的前提となる過程を考証した.これが後の華厳教学の代表的教説である四種法界説へとつながる.

最後の結論では各章の考察をふまえ,以下の見解を提示した.法蔵の思想的出発点は,地論・摂論教学にもとづく智儼の教理思想の影響下にある『五教章』であるが,『十二門論宗致義記』や『華厳経探玄記』などへと展開してゆく流動的なものである.その動きを「体系化」という視点から述べれば,地論・摂論宗の教理思想を出発点に,共時的な諸思想との交流の中で,それらを区別・包摂しながら独自な点を模索し,多くの経論の教理を学んだ上で中国の伝統的価値観を反映させ,インド由来の仏教を中国の仏教として体系的に書き換える.その際,インド由来の仏教にたいして中国的な思考法を用いる点から,法蔵の教理思想を中国化された仏教とみなしうる.ただし,その一方で,インド由来の中観思想の延長としての吉蔵の教学,さらにはインド仏典の精緻な翻訳にもとづく新訳唯識説の教理もふまえ,中観(空)・唯識(有)を和会するなど,いわばインド伝来の仏教としての側面もはっきりと見据えている.サマルカンドにルーツを有し,唐代の国際色豊かな中国で育った文化的混血児は,中国的思惟・インド仏教の両方を外部から俯瞰し,その真実を複眼的にながめる卓越した構築力によって,後世において「華厳教学の大成者」と称されることとなった.この法蔵の教理思想は,インド仏教の唯識思想と中観思想の東アジアにおける解釈の極北,つまり地論・摂論教学と三論教学との交叉の下に中国的価値観をベースに構成されたものとして位置づけることができよう.