本稿は、平安時代後期の書である恵心僧都源信(942-1017)の『往生要集』について、その執筆動機と主題である念仏行の構造とを読み解き、本書が人間の心をどのように見ていたのか、その心が修行を通じてどのようになっていくことを目指したのか、そして本書を編むということが著者のどのような問いによるものだったのか、ということを明らかにしようとするものである。

 『往生要集』は多くの経論からの引用を中心とする書である。また、様々な分野に大きな影響を与えた書でもある。『往生要集』は、先行する諸経論から受けた影響と広く外部に与えた影響との両面が認められ、ともすると本書の、そして著者自身の問いや思想が見えにくくなるという面を有している。しかし、『往生要集』は独自の内容を豊富に持った書であり、念仏修行による極楽往生、そして成仏への歩みを、様々な主題に即して描きとっている。本稿は、『往生要集』の念仏行の持つ総合という働きに着目して、教行の総合、心の総合、衆生の総合、諸善の総合、修行者自身の生の総合の各相について、本書の文言に即して検討し、考察した。

 まず、『往生要集』が編まれるに至った時代状況について、本書の記述自体を確認することで明らかにした。従来、『往生要集』はいわゆる末法思想の影響によって編まれたと見られることが多かったが、本書の記述によるかぎり、必ずしもそれは正しくないという結論が得られた。著者は、極楽往生を目指す教えの有効性を経文の証拠から確認する際に、必ずしも末法という時代にこだわっていない。むしろ著者の時代意識は釈迦入滅後の「未来」という広く統合された時間を表わす言葉がふさわしいことがわかる。なぜならば、本書が証拠として引用する論釈類は、当然本書に先行するものであり、そうした時代から極楽往生を目指す教えの有効性が確認されていたということを、みずからの時代にも適用していると考えられるからである。すなわち、著者の認識は、本来念仏の教えは、本書の編まれた当時よりもはるか後に向けて準備されているものだが、先人たちが以前にもその有効性を称揚しており、そうした証拠を挙げることで、極楽往生を目指す教行は自分たちにも向けられていると確認できるというものだった。そうした時間認識に立つ本書の現状認識は、教と行との濁乱状態というものである。力量ある修行者であれば、そうした濁乱は濁乱ではなく、そのすべてを学び修すればよい。しかしそうした多を多のままに修することは、「予がごとき頑魯の者」には叶わないということが意識されていた。この著者の自己認識は従来、特定の高度な修行が修し得ない修行者のことを指すと考えられることもあったが、本文を見るかぎり、著者が危機意識を抱くのは修行者の能力の多寡というよりは、むしろ教行の濁乱状態という現状であって、その解決の方途として「念仏の一門に依」ることが見出されている。したがって念仏は教行の濁乱状態への解決策であり、修し易い行として選ばれたわけではないのである。教行の濁乱状態に対し、新たにそれを包括的に整備する基軸として念仏は依られている。念仏の有効性は一切衆生に向けられているということであり、本書の場合、一切衆生の共通性は、心によって見出されている。したがって、念仏は修行者の心を対象とする行であることが予想される。(第一章)

前章の検討を確認するために、まずは『往生要集』が心をどのようなものと見るかを検討した。『往生要集』には心という語の用例が豊富にあり、特に衆生の抱くさまざまな心については、それらを一括して表現することがなされていない。ここにおいて『往生要集』の心に対する認識は、衆生の心を茫漠とした広がりを持つもので容易には捉えがたいというものであると認められる。一方、極楽浄土を称揚する心は、浄土の依正という無量無辺の対象を直接捉えるものではないが、茫漠として捉えがたかった心、衆生が穢土の現状に抱く心の反照として「十の楽」にまとめられている。『往生要集』の念仏修行における心は、この「十の楽」を願によって包摂することからはじまる。それは、極楽浄土を願う心よりも上位の「仏に作らんと願ふ心」を立てて、その願いの経過点として極楽浄土を願う心を包摂するのである。ただし、初段階においては仏になりたいという空疎な一つの心にすぎない。それに行としての四弘誓願がすこしずつ表現をあたえていく。この「仏に作らんと願ふ心」がさらに進んでいくのは念仏修行そのものによるのだが、この心の行き着く先は、修行者の茫漠とした心が総合されて一になったところで一切と重なる地点である。本書はその心を「薩婆若相応の心」とよんでいる。『往生要集』は雑多な心を総合して一なる心を目指し、最終的にはその一と一切とが重なることを目指していく。その具体的方途を与えるのが念仏である。『往生要集』の心の問題としては、心に対する態度の取り方が特徴的である。それは無心などとは異なり、心を用いると表現される。心を用いていく結果、信という心の状態も獲得されていく。また広く人口に膾炙した「常に心の師となるべし。心を師とせざれ。」という言葉も、一般的に言われる煩悩の統御という意味合いではなく、本書は心を用いる立場から、心に学ばせる、という意味で用いている。(第二章)

『往生要集』の念仏行は、用例を検討すると、作想と観相という二要素が見出される。作想とは、おのれと阿弥陀仏が出会う場面の想像であり、観相とは、仏の色相の観念である。その他、見仏や観像についても可能性を探ったが、『往生要集』の念仏行は作想と観相とが最も主要な要素であると考えられる。『往生要集』においては、作想は観相を下支えする念仏で、両行法は能力の如何で選ばれるものではない。念仏が一切衆生に向けられていることを支えるのが、誰でも出会いを想像することのできる阿弥陀仏である。阿弥陀仏との出会いの場面の想像を通じて、極楽浄土を願う心、「仏に作らんと願ふ心」が新たにされていく。観相は「仏に作らんと願ふ心」に具体的な形を与えていく行である。本書は、仏の身体の一相について、過去になした慈悲などの修行、現在成就している色相とその影響、これからの修行者がその相を観ずることによって得られる利益などをひとまとまりに観ずることを指示しており、一相を観ずることによって、一なる仏が過去現在未来の一切衆生と関わるあり方を観ずることになる。すなわち一と一切との関わりのあり方を修行者の心に観じさせていく。一と一切との関わり方を仏の一身において観じ終わったとき、修行者の心は総合された確固たる一に接近することになる。一と一切との関わり方についての全体が得られるからである。本書は、心がこのようになりうるという根拠として経の「この人の心は仏の心の如くにして、仏と異なることなけん」という言葉を引いている。このようにして、修行者の心は一切とかさなる心、「薩婆若相応の心」に到達することが目指される。観相には一切の側からの相を観ずる(総相観)、おのれを基準として一切を知る(雑略観)、などの種類がある。そして、念仏行によって目指される「薩婆若相応の心」からは諸善へと展開していく道が開ける。雑多であった教行は念仏の一門に総合された後は多様に展開していく。なお、本書の念仏行は、行法については作想と観相とがあるが、修行者主体の側を一へと総合する側面もある。それが本書では助念と別時になる。これらの行法は、内実としては念仏であるが、修行者の時間を一に総合するように働き、臨終の次節において、修行者は一を得ることになる。(第三章)

『往生要集』は経の要文を集めたものに、著者の言葉を加えて編まれている。著者は本書を書き終えて、私の言葉を加えても、釈迦の教えの真意を外していないだろう、外していたら訂正して欲しいと述べる。本書において釈迦とは、衆生の「機」に応ずる仏である。本書が、その釈迦の真意を外していないという自負を述べることは、ある程度はおのれの「機」を見出し得たということのあらわれでもある。その意味で、総合の行としての念仏を明かした『往生要集』は、自己探求の書でもある。

本稿の検討の結果、『往生要集』が提起しうる倫理学、日本倫理思想史研究への問題として、日本人の心のありように関して、心を用いるという特徴的な側面を有すること、絶対者に行くということを総合という仕方で目指し、そうした現実と普遍の繋ぎ方として再検討される価値のあること、などが考えられた。(結論)