本論は、現代中国語ではいかなる手段で程度性を発現しようとするのか、その仕組みを解明する糸口を、程度副詞の考察という側面から提起するものである。現代中国語の程度副詞には、表される程度性に幅がある、多義的であるとされる語が多く存在する。本論はまず、それらの程度副詞のうち、“还(なお、まだ)”、“更(さらに、ずっと)”、“比较(比較的、なかなか)”の3つを主な対象とし、文法化や意味拡張の経緯、認知意味論的、語用論的観点を視野に入れて考察したうえで、各副詞に対し、程度の高低とは別のひとつの網羅的な意味定義を付与する。そして、上記3つの程度副詞に対するケーススタディを通して得られた成果を有機的・体系的に結び付け、程度副詞に程度性が読み込まれる理由の究明を試みる。程度性は比較と不可分な概念である。“最(最も)”や“更(さらに、ずっと)”のような相対的程度副詞は言うまでもなく、一見比較とは無縁と思われる“很(とても)”や“非常(非常に)”などの絶対的程度副詞も、広義には比較を背景としていると考えられる。では、比較を行いその結果を述べることと、程度の高低を表すこととの具体的な関連はどのようなものだろうか。本論は、比較を通して得られる程度性とはどのようなもので、現代中国語の程度副詞はいかなる手段で程度性を表そうとしているのか、すなわち、中国語における程度性の発現のメカニズムおよび特徴を把握し、記述することを目指す。
本論は6つの章からなる。
序章では、本論の研究目的と研究背景について述べる。程度副詞や程度性に関わる先行研究を概観したうえで、本論の問題意識が、程度副詞が程度そのものを自立的に表すという前提に対する疑問にあることを示す。
第一章では“还”について考察する。“还”は多義的な副詞であるとされ、その意味や用法の解釈は、「継続を表す」、「程度が高いことを表す」、「程度が低いことを表す」、「意外性を表す」などの多くの項目に細分化されたうえで定義されることが多い。本論では、このように細分化した際の意味項目間の関連性が不明瞭であること、とりわけ、“还”が一方で程度が高いことを表し、一方で程度が低いことも表すという解釈には、ひとつの語が程度性大と程度性小という相反した意味を表すという点で不合理さが存在することを指摘し、認知言語学的なアプローチにより、副詞“还の核心的意味の定義を試みる。副詞“还”は動詞“还huán”から文法化を経て得られたものである。本論はこの点に着目し、副詞“还”の核心的意味が、動詞“还huán”(戻る、戻す)の「もとの領域(原状域)にあったものが別の領域へと移動し、それがまたもとの領域(原状域)へ移動する」という「原状回帰」に由来することを指摘し、副詞“还”がもつとされる様々な意味を、この「原状回帰」のスキーマのもとに有機的に関連付ける。その結果、副詞“还”がもつとされる様々な意味・用法が、「原状回帰」を表すという、動詞“还huán”に由来する機能のもとに成り立つものであり、“还”は事態の傾きが意識された場合に用いられ、事態の傾きに反した原状回帰、すなわち、「事態の傾きと事実とを照合した結果、その照合の軌跡が事態の傾きに反して原状域へと回帰することを表す」のが、“还”の核心的意味であり機能であることを明らかにした。また、継続、高程度、低程度、意外性といった、従来の研究において“还”自身が自立的に表すとされるこれらの意味は、原状回帰を表すという“还”の機能とコンテクストが結びつくことによって表され得る含意であると結論付けた。
第二章では“更”について考察する。“更”もやはり多義的であるとされ、もとから一定の程度をもっているがそれより<さらに>上であることを表す場合と、「もとから一定の程度をもっている」という意味を含まず、「逆の面との比較」である場合があるとされる。ここにおいても、従来の研究では<さらに>と「逆の面との比較」との間の関連性が明らかにされておらず、また、“更”がどのような場合に<さらに>を表し、あるいは「逆の面との比較」となるのかという点について議論が尽くされていないことが問題となる。“更”も“还”と同様に、動詞からの文法化により副詞的用法を獲得している。本論では、“更”がもとは「かえる、かわる」という意味を表す動詞であることに注目したうえで、“更”が使用されるコンテクストを詳細に観察することにより、“X比Y更W(XはYよりさらにWだ)”という比較構文における“更”は、聞き手が一般通念やコンテクストから事前にYに対して抱いている「Yはレベルが高い」という認識を、「Xはそれより上だ」と述べることで覆すものであるという結論を導き出した。動詞的意味に由来する“更”のこの「認識の変更」という機能は、聞き手が一般通念やコンテクストから事前にYに対して抱いている「Yはレベルが高い」という認識を、「Xはそれより上だ」と述べることで覆すものである。このような定義づけにより、現代中国語の“更”において、「逆の面との比較」ではなく<さらに>のほうが優先的な解釈となることについても、合理的な回答を示すことができた。すなわち、現代中国語では、“X比Y更W”のようにコンテクストのない状況で“更”が用いられた場合、特に「Yはレベルが高い」という一般通念やコンテクストがなくても、「Yもレベルが高い」という解釈が優先的に選択されるが、それも、この認識の変更機能により、“更”の使用上当然存在するはずの「YはWである」という解釈をYに付与することで、変更すべき認識を充足しているのである。本論では、“更”と“还”との比較も行う。三項比較、最上級を表す用法、比較される二者間の差を述べる場合、「たとえ」の表現などにおいて、“更”と“还”の使用状況を調査し、その振る舞いの違いを記述することで、“更”と“还”の意味的差異をより明確なものにする。
第三章では“比较”について考察する。本論は、“比较”が一般的には相対的程度副詞に分類される語でありながら“比字句(“比”構文)”とは共起しないことを議論の出発点とし、絶対的程度副詞を用いるのが適切な環境で“比较”が用いられる例の検証を通して、現代中国語における“比较”は原則として特定の比較対象をもたず、絶対的程度副詞化しつつあることを指摘する。まず、比較、相対性といった概念を整理する。比較を「他のものとの比較」と「話者の心理内にある標準値との比較」とに二分し、前者に伴う相対性を〈外的相対性〉、後者に伴う相対性を〈内的相対性〉とした。そして、“比较”が特定の比較基準をもたず、ゆえに、相対的程度副詞でありながら“比字句”とは共起しないこと、および、一部の用法では絶対的程度副詞を用いるのが適切な環境でも用いられることから、“比较”が〈外的相対性〉だけでなく〈内的相対性〉も獲得しつつあることを述べ、このような“比较”は、〈外的相対性〉を取り入れることで「他と比べるなら」という条件を付ける機能をもっていることを明らかにする。この機能は、断定性の緩和につながっている。“还”、“更”と同様に、程度副詞“比较”についても、表される程度が高い場合とさほど高くない場合とがあることが先行研究において指摘されているが、〈外的相対性〉を取り入れることで「他と比べるなら」という条件を付ける“比较”には、話し手の断定的な判断を避ける機能があり、このことがとりわけ高いわけでも低いわけでもない曖昧な程度性につながっているのである。
第四章では、介詞“比(~より)”を用いるタイプの比較構文(“比字句”)と、“比”は生起しないものの、“[跟/和/同/与]Y比起来(Yと比べると)”や“[跟/和/同/与]Y相比 (Yと比べると)”といった形で文中に比較の基準が導入されるタイプの比較構文について考察する。“比”を用いるタイプの比較構文と用いないタイプの比較構文はともに比較の基準を文中に導入するが、本論は、その語用論的特性には差異があることを検証し、そのうえで、本来、比較の基準を明示した文とは共起しないはずのいくつかの程度副詞が、後者のタイプの比較構文とは共起可能となりつつあるという言語事実を挙げる。具体的には、比較構文が「明示的比較文」と「非明示的比較文」の2つの比較のモードのうちいずれに分類されるかを判別する5つの識別テストを、“比字句”と“跟/与/和/同+Y+相比”と“比起+Y(来) ”などのその他の程度比較を表す構文に対して行い、両者はともに特定の比較基準を文中に導入することができるものの、比較基準を明示する動機が語用論的に異なることを検証し、以下のような結果を得た。“比”を用いる“比字句”は「明示的比較文」である。文中のYは基準点であり、Yのレベルを基準としてXがそれより上であるか否かが述べられる。それに対し、“比”を用いないその他の比較構文は「非明示的比較文」であり、文中のYは、通常は真であるとは言い難い「XはWである」という命題を真に変えるために導入される。比較構文前節の“跟/与/和/同+Y+相比”と“比起+Y(来)”などの比較形式は、「XはWである」という判断を断定的に述べることを避けるために「Yと比べるのであれば」という条件をつける役割を担っているのである。さらに、これらの比較構文は“比字句”がもつ構文的制約を受けず、自由度が高いため、使用頻度の増加とともに後節のバリエーションが増え、本来は比較構文と共起不可とされる絶対的程度副詞や“比较”の共起も許容されつつあることを指摘した。
終章では、本論での結論をまとめる。また、本論では扱い切れなかったいくつかの点を今後の課題として提示する。