本博士論文は,『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ(認識手段確定論)』(以下,PVin)におけるダルマキールティの刹那滅論証思想が後代の仏教論理学においてどのように理解され,伝わっていったのかを検討することを目的とするものである.その研究対象として,カダム派サンプ僧院系のチベット人学者によるPVinに対する注釈書を主に取り上げた.なお,それらに見られる特徴と独自性,そしてゲルク派の時代にまでつながる影響を調べるために,その以前や以後に位置するダルモーッタラのPVinに対する注釈書およびゲルク派独自の論理学書にも簡単に触れた.

 本論文が具体的な研究課題としたのは,「不依存性(nirapekṣatva)」または「無原因性(ahetutva)」という論拠と,「拒斥論証(bādhakapramāṇa)」という論証手段と関係性,そしてその各々に対する各注釈者たちの位置づけである.両者はともに,「所作性/存在性」という論証因が「無常性」という所証に対して自性因(svabhāvahetu)として有効であることを確定するものである.

 チベットに仏教論理学が伝わってからは,2つの論拠/論証手段にはそれぞれ,「不依存の論証因(ltos med kyi rtags)」と「拒斥する論理(gnod pa can gyi rigs)」という呼称が与えられ,その両者の関係とそれぞれの役割に関する議論がさらに深まっていった.

 本研究成果として,この2つの論拠/論証手段の関係性あるいは位置づけに関する各注釈者たちの解釈を以下に示すように3つのパターンに分類することができた.

 

(1)「不依存性/無原因性」は「拒斥論証」を浄化するという補助的な役割をする.

(2)「拒斥する論証因」は「不依存の論証因」の妥当性を検証する議論の一部である.

(3)「不依存の論証因」は刹那滅論証の肯定的随伴関係を,そして「拒斥する論証因」はその否定的随伴関係を確定するものである.

 

第1パターンの解釈を示したのは,ダルモーッタラである.ダルモーッタラの理解については,近年の先行研究が充実しているため,本論文で直接に扱って考察することは省略した.ダルマキールティの思想史を鑑みれば,説得力のあるダルモーッタラの解釈は,カダム派の時代には妥当な意見として認められず,時には批判されていた.特に第2パターンを示したゴク・ロデンシェーラブをはじめとする初期カダム派時代の注釈者たちは,第2パターンと逆の構造から両論拠の関係を理解する第1パターンを批判せざるを得なかったであろう.しかし,本博士論文で主要な研究対象としているのはカダム派の論籍であるが,カダム派を継承したとされるゲルク派の時代になると,ダルモーッタラによる第1パターンの解釈が積極的に受け入れられるようになる.このような変化には,第3パターンの解釈を示したチョムデンリクレルの影響が強いと見られる.先駆者のゴクの影響を受けながらも,チョムデンリクレルは,それまでのカダム派サンプ僧院系の注釈者たちとは異なった新たな解釈を提示した.恐らく,チョムデンリクレル自身がPVinのみならずダルマキールティの他の論理学書についても熟知していたが故に,伝統的な解釈の殻を破り,自らの解釈を提示することができたと見られる.そして,チョムデンリクレルは,ダルマキールティの思想史という観点から刹那滅論証を考慮した時に,ダルモーッタラの解釈は必ずしも批判されるべきものではないと理解したであろう.チョムデンリクレルの時代から,ダルモーッタラに対する評価が徐々に肯定的になっていく.

 ゲルク派の学僧であるダルマリンチェンは,ゲルク派では唯一となるPVinの注釈を著した.彼の刹那滅論証および「不依存の論証因」と「拒斥する論証因」の理解には,更なる思想的発展が見られる.そこには,ゴクの影響と言えるものは「不依存の論証因」と「拒斥する論証因」という術語のみで,2つの論証因の関係性はダルモーッタラの解釈に従うものであった.また,ゲルク派では「拒斥する論証因」を本質的結び付き(svabhāvapratibandha)という論証因の性格を論証するものとして扱っている.ゲルク派に至って見られるこのような劇的な解釈の変化は,一見したところ,ダルマキールティの論理学思想とは別個のものにも見える特徴的な思想であるが,推移の過程を辿って遡ると,チョムデンリクレルの影響が大きいと思われる.また,その土台を作ったゴクたちの初期カダム派時代の注釈者たちによる議論も要因の一つであることは言うまでもない.本論文では,以上のように思想的な推移を追跡したことによって,ゲルク派独特の思想とも見られる所説の源流は,ダルマキールティの著作に始まることを確認できた.

 以上をもって,本博士論文における研究の成果は,ダルマキールティの刹那滅論証に関する諸注釈者たちの解釈のパターンを分類し,それをもとに思想的発展の過程を明らかにしたことであると考える.