ハイデガーは、存在について明らかにすることを終生みずからの思索の中心的な課題としていた。ハイデガーによって試みられた思索とは、彼の理解した「現象学」の方法にしたがい、存在を、それがみずからを私たちに対して呈示してくるその通りのあり方において捉えることを課題とするものであったが、それはつまり、存在が私たちに対して示されてくる真のあり方において捉えようとすることに他ならない。その限りで、彼にとって真理の問題は存在問題と相即的なものとして、切り離して論じることのできないものである。ハイデガーは、真理という概念の哲学的思索の起源に位置するギリシア語のアレーテイア(ἀλήθεια)の語源学的な解釈にもとづいて、真理を「非秘匿性(Unverborgenheit)」、つまり秘匿されていないことと解した。真理とは、あるものの真のあり方を、その真相を秘匿された(verborgen)あり方から引き出して、何ら秘匿されることのない顕わなものとして私たちのまえに姿を現すようもたらすことだと捉えられたのである。真理についてのこうした理解にもとづいてハイデガーは、第一の主著『存在と時間』において、彼の言う存在概念をその非秘匿的なあり方へともたらすことを試みた。

だが、存在を非秘匿的なあり方へともたらすとは、果たしてどのようなことであるのか。最終的にハイデガーはそれを、存在者が与えられることのうちで存在がどこまでも抜け落ちていき、そうした仕方で存在は秘匿されたままに留まるということのうちに見定めたと考えられる。存在の非秘匿性においてこのように秘匿性を重視するという真理の把握は、1930年代に展開された彼の思索のうちで次第に明確に形作られていき、それが『哲学への寄与論稿』における「存在の真理」論に結実したと考えられる。本論文で私たちが論じるのは、『存在と時間』における「非秘匿性としての真理」から『哲学への寄与論稿』における「存在の真理」へと至る、真理についてのハイデガーの思索の展開である。

第一章で、私たちはまず『存在と時間』における真理概念について論じる。『存在と時間』でハイデガーは、哲学において通常真理が問題とされる言明の真理の根底に、言明をやり取りする〈私たち〉からなる世界の開示性が「真理のもっとも根源的な現象」として存していることを指摘する。だが、言明のうちで言われている内容はあくまで〈私〉の名において確保されていなければならない。このように考えるハイデガーは、〈私〉が他ならぬ〈私〉として存在する可能性を自己自身の死という「実存の不可能性という可能性」に直面することのうちに求め、そうした〈私〉の本来性を「実存の真理」として明らかにした。

しかし、真理の根源を〈私〉の固有の死という可能性に求めるというのは、つまるところ、存在者として最後はひとり死にゆく〈私〉の存在の被投的な事実のうちに真理の根源を見てとるということではなかろうか。『存在と時間』においてハイデガーが言う「被投性」には、なにゆえと知ることもなしにすでに存在してしまっているという〈私〉の存在の事実性と、〈私〉が存在者へと委ねられて存在しているということの二通りの用法があるが、これを、みずからが存在していることの理由が最後まで分からないままに、われとわが身を携えた一個の存在者としてひとり死にゆく〈私〉のあり方として、統一的に理解することは可能である。実際、ハイデガーの真理論について詳しく検討していくと、私たちはその核心部分に、存在者がなにゆえということもなくすでに存在してしまっているという、存在者の被投的な事実存在という事象に繰り返し出会うのである。

つづく第二章では、『存在と時間』以降のいわゆる形而上学期の思索を取り上げて論じる。この時期のハイデガーは、真理の問題を、存在者について明らかにする存在者的な真理と存在者の存在について明らかにする存在論的な真理という区別にもとづいて論究している。そして、こうした真理論的な区別の根底に存するとされるのが現存在の超越である。超越とは、現存在がみずからも含めた存在者の全体を乗りこえて、存在そのものについて何らかの了解をもつこととして理解されているのであるが、だとするならばこの超越の根底にはやはり、存在者へと委ねられてなにゆえと知ることなくすでに存在しているという〈私〉の存在の事実性がひそんでいる、と考えられる。存在論それ自身は現存在という存在者に定位してしか敢行することができないのではないか、というのが『存在と時間』の最後で示された「存在論の存在者的な基礎づけ」という究極的な問題であったが、それは、この形而上学期においては、現存在が超越において乗り越えることになる存在者の全体(「自然」)の事実存在の問題として、メタ存在論という仕方で改めて論じ直されている、と解釈できるのである。

ハイデガーによれば、私たちがそうした存在者の全体に直面することになるのは、不安や退屈といった気分においてである。この二つの気分のうち後者の退屈について、『形而上学とは何か』では、不安と対比して私たちを存在者の全体のまえへともたらしはするものの無(存在)に直面させることはない、とされていたが、その後の1929/30年冬学期講義においては根本気分として詳細に分析されている。退屈の気分の分析に関するこうした変化のうちに、私たちは真理における秘匿性の契機の重視を見てとることができるように思われる。

つぎの第三章では、1930年代の半ばから三回にわたって行われた講演『芸術作品の根源』を取り上げる。この『芸術作品の根源』でハイデガーが論じているのは、作品という存在者のなかへと「真理を打ち立てる」ことである。ある形態をそなえた作品のうちに真理が定着させられることによって私たちが経験することになるのは、作品が開示する「過剰な贈与」としての世界であるとともに、その世界を担い支える「基礎」たる大地でもある。そのようにして作品は、存在者として何らかの〈手ごたえ〉をそなえた形態へともたらされ、それが「作られて存在している」という単純な事実を明らかにする。だとすれば、「真理を作品のなかへと打ち立てること」という仕方で論じられる『芸術作品の根源』の真理論においてもまた、真理問題の根底に作品存在の事実性が見てとられているのである。さらに言えば、ここで問題になっているのは、何らかの形態をそなえた存在者として成立している芸術作品の事実性のうちで、存在そのものはどこまでも抜け落ちていくに留まるという「存在の真理」なのである。

最後の第四章において、私たちは『哲学への寄与論稿』を中心に、存在者が与えられることのうちで存在そのものはどこまでも秘匿されたままに留まるという、1930年代半ばに展開された「存在の真理」について論究する。この時期のハイデガーにとっては、存在者の全体を出発点に据え、それを乗り越えて存在そのものについての了解を解明するという、形而上学期に展開されていた「超越にもとづく超越論哲学の構想」はもはや維持できない。問題とすべきなのは、存在者が与えられることのうちで存在そのものはどこまでも抜け落ちていくのだという、存在の秘匿性だからである。

存在者が与えられることのうちで抜け落ちていく存在についての経験を、ハイデガーは『哲学への寄与論考』のなかで、その副題にある「エルアイクニス」として究明したと考えられる。ハイデガーの言うエルアイクニスとは、存在そのものと現存在との呼応関係として理解することができる。だが、『哲学への寄与論稿』において現存在が存在とのそうした呼応関係のうちへ入っていくとされるのは、やはり現存在には「死への存在」というあり方がそなわっているからである。そのことをハイデガーは、「死は存在の最高の証し〔である〕」(GA65 230)という洞察において明らかにした、と言うことができるだろう。存在そのものとの呼応であるエルアイクニスを論究する1930年代半ばの思索においても、やはり〈私〉として存在する現存在の事実存在がその核心にひそんでいると考えられるのである。

だとするならば、1930年代半ばにおいてもやはり真理論の根源にあるのは〈私〉が他ならぬ固有の〈私〉として存在するという本来性なのだろうか。そのことを明らかにするために、私たちは最後に1940年に発表された論文『プラトンの真理論』を取り上げて論じる。

この論文のなかでハイデガーが問題にしているのは、洞窟から外の真なる世界へと移行するにつれて真理の度合いも高まっていくという仕方で真理を把握する、そうした思考の枠組みそのものである。太陽になぞらえられる「善のイデア」へと上昇するプラトンの「洞窟の比喩」の物語を批判することは、同時にまた現存在の「非真理」である非本来性から「実存の真理」たる本来性へと上昇することを見てとろうとした、かつての自身の思考を批判することでもあった。

したがって、1930年代半ば以降の思索においてもやはり真理問題の核心に現存在の「死への存在」があるとはいえ、それは『存在と時間』の頃とまったく同じなのではない。死を「存在の最高の証し」とする洞察については変わらないものの、死との関わり方において本来性と非本来性とを峻別するといった発想は退けられている。ここではむしろ、なにゆえともなくすでに存在者としてみずからが存在していることを見出す〈私〉が、「実存の不可能性という可能性」である〈私〉の死に、それが不在のまま直面することそれ自体に焦点が当てられ、死という「現の秘匿性」を被投性として引き受けることによって、現存在はみずからを秘匿する「存在」の真理に呼応するとされる。