本論ではヴェルガの創作理論を概観した後、各創作時期の代表作をとりあげ、創作上の試みと課題を考察する。彼は過去の創作方法に常に微細な変更を加えつつ自らの技法を築いていった。その変遷は、読み手が物語を「真実」と受け取る手法を模索し続けた軌跡である。彼は物語の提示の仕方を巡り、「カターニア時代」から「ヴェリズモ(イタリア自然主義)期」へと至る一作ごとに段階的変更を語り手の役割に加えていった。

 

1.ヴェルガの「詩学」

 ヴェルガの言う「真実」は倫理的意義を帯びた初期から、社会という観点から捉えられた個々人の生を描く成熟期へ至る諸作品の主題を意味する。同時に「真実」という語は自然主義の影響下、没個性的手法により作者の痕跡の消えた作品が読者に「現実の幻影」を与えるという方法論的意義を帯びていく。その際、作者が社会内の個の生を客観的に外部から観察しつつ、その只中にも立つことで、両視点の「知的再構成」を目指す点に彼の「詩学」の独自性がある。

 その「詩学」は、現実そのままを描くのではなく、読者の中に「真実」を生み出すという積極的意義を有する。現実に対する「芸術的印象」をとおして表現されるその「真実」は、社会活動における個々人の情動の衝突という主題であると同時に、語り手の物語への介入を排除する没個性的手法をとおして読者の中に生み出される、物語が実際にあったという「幻影」である。

 

2.カターニア時代

 創作活動初期「カターニア時代」のヴェルガは登場人物の胸の内を語り、彼らに同一化することを自らに課した。『山の炭焼き党員』(1861-62)では、登場人物を突き動かす情動を余さず記し、語り手として物語内で自身の意見を述べることで、読者にも同一解釈を求めた。それにより、作品の愛国主義的主張を読者に共有するよう「強制」したと考えられる。また、物語の展開に応じて、その位相を自在に変える語り手は、文字どおり全知全能であったと言える。その過度の全知性のため、主人公「私」の独白部分における語り手「我々」の混在という現象も見られる。しかし、語りの稚拙さは無意識的実践からではなく、登場人物及び読者と一体化するという意識的な目的を伴う語りの実践に由来するゆえに、若きヴェルガは解決すべき課題を自覚できた。この意味で本作品創作は無駄ではなく、その後の創作活動の価値ある出発点となった。

 

3.フィレンツェ時代

 この時期ヴェルガは、物語内人物を語り手に据えた『罪深き女』(1866)及び書簡体の『山雀物語』(1871)を執筆した。共通する主題として表現しえない心の「神秘」をとりあげたが、その言語化への挑戦とその困難さという課題に直面した。その結果、作中には「言い表しえない」という語が多用されることとなった。

 同時に『罪深き女』には、語り手の視点を主人公に据えることにより、他の登場人物の(とりわけ内面の)描写を制限する意識が見られる。具体的には人物の内面描写を主人公に多く割くことで、誰の視点から捉えられた物語であるのかを読者に明確に伝える意図があったと考えられる。しかし、ヴェルガは引き続き物語に関わる重要人物の内面をあまねく伝える必要から書簡体を挿入することで、語り手による内面描写とは異なる形で主人公以外の情動を作品内に組み込んだ。このような手法をとることで、主人公に視点を固定したまま、物語展開に必要だと考える登場人物の心の動きを子細に作品内で提示しようとした。しかし、語り手による描写以外の手段を作品に導入することは、結果としてヴェルガに強い不満を残した。

 

4.ミラノ時代

 『エヴァ』(1873)及び『勇ましい虎』(1875)では、物語内人物としての語り手を再び採用し、『罪深き女』で見られた語り手の側からの主人公以外の人物の心情を描く困難を克服しようとした。『勇ましい虎』では、主人公の友人たる語り手「私」をとおして、人物達への感情的同調もなく、語り手が捉えたままの物語を提示しようとヴェルガは試みた。ただし、どれほど語り手の介入がまれであろうと、物語が「実際にあった」と読者に感じさせる現実性の担保として、語り手が主人公の友人「私」として語ることは見逃してはならないであろう。

 そしてヴェルガは『エロス』(1875)において、初めて物語世界外部にあって三人称で語る手法を採用した。従来の物語内人物たる語り手による語りの影響が見られるものの、物語世界とは一層の距離を保ち、一定の客観性を伴う形で主人公を取り巻く状況を描写した。とりわけ従来とは異なり、描写しない部分を作り出したことには、読者に対して解釈を委ねる姿勢が見られる。具体的には、表現しえない心理については仕草等の外的描写により内面を示唆する手法をとることによって、あるいは「言いえない」と地の文で述べる際にも表現しえず理解しえない主体を語り手ではなく主人公に移相することによって、語り手の物語内への過度の介入を防ぎ、読者がその状況を解釈するよう促した。本作品には、わずかに残存している従来の創作上の性質と、ヴェリズモ期にとられる語りの兆しとみなしうる性質両面が見出される。客観的描写に一層接近した語りは、物語の構成要素を最大限示す全知性を伴う語りから離れ、『マラヴォリア家の人々』(1881)で見られる語りへと接近した、没個性的語りの前段階と言える語りである。

 

5.ヴェリズモ期、『敗者たち』二作品

 『マラヴォリア家の人々』と『ドン・ジェズアルド親方』(1889)は、五作からなる連作構想『敗者たち』のうち、刊行された二作品である。

 『マラヴォリア家の人々』の語り手は、語り手自らの観点から語ることなく、おおよそ物語全般にわたり物語舞台の村の生活・因習に根ざした価値観から語り、村人達が織り成す集団的位相に立つことで、その性質として多数性を帯びる。また、舞台となる漁村の共同体的同調性・均一性に由来する集団的位相の潜在的表現(「村中で/が」等)が地の文に散りばめられていることや、村の生活を覆う噂話を効果的に地の文に組み込む自由間接話法の使用は、その語りの共同体的多数性を補完するものとなる。

 『ドン・ジェズアルド親方』の語り手は物語世界外部に立ち、概して焦点を主人公に当てる単数的語りを行なう。さらに、舞台となる村における同質性や同調性が存在せず、作品が主人公ジェズアルドと彼を取り巻く人物達との相克や彼の社会的疎外を主題とするため、語り手の視点及び自由間接話法の使用対象は主人公に絞られ、語りの位相は単一的となる。

 以上のとおり、両作品の語りには差異が見られる。共に語り手の物語への介入のない没個性的語りながら差異が表われるのは、ヴェルガの意識していた各主題に適した形式の探究の結果である。

 

6.『敗者たち』における均質と異質

 ヴェリズモ期のヴェルガは人の運命の「グロテスクさ」を表現しようとした。それは、運命を結果から合理化することなく、個々人にとってその瞬間限りの出来事として捉えられる偶然性である。かつその「グロテスクさ」は作品の語りとも相互に関連する。

 『マラヴォリア家の人々』における出来事の偶然性は、国家制度や自然現象としてマラヴォリア一家に直接的影響を与える。一家は従来の生活維持のために手を打つが、ことごとく悲劇的な結果をもたらす。その時点ではより良いと考えた選択が一家の各々の生を変質させる。『ドン・ジェズアルド親方』においては、火事やコレラ流行等の出来事がジェズアルドに間接的影響を与える。事態は本人のあずかり知らぬうちに進行し、出来事を遠因とする問題解決のために彼は自らは望まない決断を強いられ、人生を悲劇的なものに変える。

 偶然性がもたらす主人公達の周囲との関係は、語り自体に影響を与える。『マラヴォリア家の人々』の一家の長男ントーニは村の価値観に異議を唱えるが、最終的には村の均質的伝統的価値の強固さを認める。村人相互の反目も共同体的価値観のもと予測可能な範囲内に収束する。表面的には多数性を備える語りは、均一的なモノローグ性を備えている。ここには、抗おうとも共同体の価値に従って生きざるをえない生のグロテスクさがある。『ドン・ジェズアルド親方』のジェズアルドは周囲の人々の意図により、直接・間接に財産を奪われるべく生の行く手を妨げられる。信念を曲げない彼は他の人々と異質な者として衝突し、その結果絶えず周囲の者達が意に沿わせようと彼の決断に影響を与える。つまり彼の言動は絶えず周囲の者に向けられ、同時に捉えられ、相克を生み出す。その語りはダイアローグ性を備えている。異質な者同士の対話であるがゆえに相互の意思疎通がままならず、相克の最中にいながらそれを自覚できずに疎外されるジェズアルドの生のグロテスクさが浮き彫りとなる。

 

結.

 語りの手法に焦点を当てた研究に際して本論では、その手法と物語展開や主題との関わりに留意した。それにより、語りの手法自体を個別に研究対象とする際には見えない、より微細な物語る手法の変化やその目的が理解されうる。さらに各章で論じたとおり、手法の採用の理由、物語の構成上果たす役割と効果等、作品全体の中における手法の位置づけをすることが可能となり、結果として手法の変遷の理由と特徴をとらえることが可能となる。

 ヴェルガは創作活動をとおして生の苦悩を捉え、それを具現化した物語を(彼にとって多義的である)「真実」として提示し、読者に物語と直接対峙させようと試み、常に物語が読者にとって「あったこと」として読まれるよう試み続けた。そのために彼は手法の探求を続けたと言える。それは各創作時代にわたりヴェルガが作品をとおして伝えようとした物語に見合う手法の軌跡、ひいては語り手の登場人物への同化から物語世界への同化へと至る語りの変化の軌跡である。