本論文においては、日本の近代演劇に貢献した島村抱月の演劇活動の再検討を目的とし、その演劇活動における演劇上の女性像を中心とした論を展開した。特に抱月の演劇活動が演劇活動の開始以前から培われていた美学的思想がその根本となっている点、抱月が手がけた演劇上の女性像が当時の社会とも関わりを持っている点、その演劇活動と抱月の実生活が関わりを持っている点に注目した。

具体的な作品として、美学的思想を反映し後の演劇活動の発端となる新聞小説「其の女」、本格的な演劇活動の開始となる文芸協会の『人形の家』、具体的な演劇観を表明するきっかけとなる芸術座の『復活』の三作品を取り上げた。この三作品を論じることにあたり、イギリスの原作小説をもとにした翻案小説「其の女」、ドイツ版とイギリス版の戯曲を参考にした『人形の家』、フランス版の戯曲と英語版の上演と原作小説を参考にした『復活』において、原作と参考作品との比較•分析の方法を用い、抱月が翻案もしくは翻訳した作品の独自性を明らかにした。

および、その作品に描かれる女性像について「新しい女性」という視点を用いた考察を試みた。本論文では、女性解放運動の活性化により明治40年代に登場した「新しい女」に限定せず、明治初期から登場していた「女学生」や「職業婦人」も含めた考察を試みたことで「新しい女性」という言葉を用いた。

 

本論文は全三部構成となり、その内容は次の通りである。

第一部では島村抱月の幼少期から早稲田大学文学科に入学するまでの人生の流れ、および評論や創作小説を含む卒業後の初期活動を通して、その美学的思考の形成を検討した。その上で、「其の女」とその原作『The Woman Who Did』との比較を行い、抱月が自らの翻案により「自由結婚」という揺らぎない信念を最後まで貫いていく濱子の生き方に主眼をおいている点が明らかになった。濱子の生き方には、抱月の劇評•悲劇観•創作小説とも共通する人生の「真」を求める姿勢が反映されている。

1901年(明治34年)に発表された「其の女」の濱子が主張する「自由結婚」は、法的な結婚を拒み精神•因習•経済から徹底とした自立を図る。このような濱子の生き方は当時の日本にとっては先端を行く女性として紹介されたが、職業を持ち経済的な独立を果たした濱子の人物像は当時の女性教育の活性化により登場しはじめていた「職業婦人」とも関わりを持ち、近い将来の出現を予見する女性像を示した。「其の女」の濱子を通して、抱月は演劇活動を開始する前から女性の自己解放と自立の問題を提起する濱子のような女性の生き方に興味を示していた。

 

第二部においては、島村抱月の演劇活動に始動をかけたイプセン作『人形の家』を通して、抱月の留学時の体験と思想的なものが舞台の上でどのように結実したかを考察した。抱月は三年余の英独留学から後の演劇活動につながる深い影響を受けており、その点は当時のヨーロッパを取り巻く芸術的環境と抱月の観劇体験と関わりを持っていた。留学後、抱月は自らの自然主義論、およびその自然主義論を根本とする抱月のイプセン観を展開し、イプセンについてはじめて言及した。抱月はイプセンが作品の中で取り扱う「根本の道徳問題」と人生の奥深い問題に興味を示し高く評価しているが、『人形の家』においては、主人公のノーラが自己探しのために家を出る行動が「我が真」のためであり、イプセンが提起する道徳問題であると捉えていた。

文芸協会『人形の家』は1911年(明治44年)9月に上演され、女性解放運動の拠点となる雑誌『青鞜』の創刊の時期と重なったことでも話題を呼んだ。「新しい女」のシンボルとなった主人公のノーラが最後家を出る実行について、「新しい女」の代表であった『青鞜』の女性たちも、ノーラを扮したことで「新しい女」となった松井須磨子も同感と反感両方を示していた。

ノーラの実行を高く評価していた抱月は、自らの婦人問題論の中でも女子の人間としての自覚を先決すべき問題として考えており、『人形の家』上演の際には、夫婦生活の矛盾に気づき自分自身も人間であると自覚したノーラの変化を観客に伝える方法を工夫した。自覚前のノーラは普通の夫婦として無邪気で子どもらしい女性を、自覚後のノーラには観客の反感を起こさせないよう、自覚後のノーラが獲得した「新しい女」としての強さを、あくまでも女性らしさを失わない程度の強さとして表現する演出を試みた。

 

第三部においては、芸術座結成後の島村抱月が展開する具体的な演劇活動の中で、その演劇活動の方針となる、芸術的かつ興行的な路線両方を歩むという「二元の道」表明のきっかけとなるトルストイ原作の『復活』を検討した。

『復活』は抱月自ら「再脚色」、「取捨選択」と言った翻訳過程を経ているが、そのもとになったフランス版戯曲と英語版の上演、および原作小説との比較を行った結果、次のような独自性を明らかにした。フランス版として戯曲化された『復活』は、原作におけるトルストイの思想的な部分が大幅削除されたことでヒロインのカチューシャの恋愛が中心となっていたが、抱月はそれを受け継ぎながらフランス版戯曲より多く思想的な部分の削除を施した。特にカチューシャの人物像には、カチューシャが自らの生き方を示す台詞を新たに追加し、原作では男性主人公のネフリュドフが読むバイブルを、カチューシャが読むことへと変更し、カチューシャの精神的な復活を強調した点が他の戯曲や原作には見られない大きな特徴である。その上に、カチューシャの人物像は当時の日本の女性たちとも関わりを持つと考えられ、教育を受けた若い女性として自らの恋心を率直に表出する点、および私生児を生み娼婦となる堕落の過程は、当時すでに社会問題化していた「女学生」たちの「自由恋愛」と堕落を思い起こさせる。カチューシャが自ら結婚を諦める点は旧式の女性を連想させるという評価もあり、結果的にカチューシャは外国女性と日本女性の両面を備えた、新旧の両面を合わせ持つ人物として描かれる。

1914年(大正3年)3月に上演された『復活』は、興行的な面においても大きな人気を博した。カチューシャ関連商品が売り飛ばされたことで当時の風俗史にも影響を与えたというが、『復活』のテーマとなる「恋愛」はあらゆる面において話題を提供したと考えられる。当時はすでに大きなスキャンダルとして取りざたされた須磨子と抱月の不倫となる恋愛により、須磨子には「悪女」や「自由奔放な女性」などのイメージが形成されていた。特に劇中歌「カチューシャの唄」が若い男女に大流行していたが、その内容は男女の恋愛を助長するとして歌の禁止令を出す学校もあり、舞台上のキスや抱擁の場面が問題化された。このような点は『復活』に世間の注目を浴びせ、その人気に貢献したとも考えられる。

 

本論文で取り上げた抱月の三作品はそれぞれ女性の自立と結婚の問題を取り扱い、当時の社会とも関わりを持っていた。抱月が演劇活動をした明治中期以降は、明治初期の女子教育が「良妻賢母」の養成を目的としたことと比べ、女性教育の活性化による「新しい女性」たちが出現していた。その女性たちは恋愛や結婚にも「自由」を求め、彼女らとその私生活は小説や劇の素材ともなった。

このような時代の流れの中で抱月は誰よりも先に新しい女性像を紹介することとなる。「其の女」の濱子は法的な結婚を拒否する「自由結婚」を主張し、この小説が発表された1901年としては先端を行く女性であった。その一方、経済的な独立を果たした「職業婦人」としての濱子は、当時出現しはじめた女性たちを反映している。

『人形の家』のノーラは、普通の主婦でありながら家を出る実行を通して自己解放を果たした女性である。ノーラは女性解放運動の活性化により登場していた「新しい女」の象徴ともなるが、抱月は当時の観客の反応を考慮し、「新しい女」としての強さを控える演出を試みた。

『復活』のカチューシャは「自由恋愛」の末に人生の転落を味わうが、最後は精神の復活を果たす女性である。カチューシャの恋愛の過程に当時すでに社会問題化していた「女学生」の恋愛と堕落の問題を重ねることができる。特に、抱月はカチューシャに自主的な側面を与え、好きな相手との結婚から身を引く旧式と女性としての部分に新しさを加えた。

この三人の女性は、それぞれ二面性を持っている。それは将来と現在、および新と旧を合わせ持っていることである。その二面性は「二元の調和」を求める抱月の思想、および演劇観にも共通しており、その人生にも表れている。