私たちは視覚を通じて三次元の世界を知覚しているが,視覚は二次元の網膜像によるものであり,本質的には奥行き次元の情報を持たず,それぞれは不良設定性を持つ様々な奥行き手がかりを組み合わせて奥行き推定の確度を高めていると考えられる。このため,奥行き手がかりの統合のあり方を検討することは,奥行き知覚の研究には欠かせない。現在の奥行き統合の標準的なモデル(Landy, Maloney, Johnston, & Young, 1995)では,各手がかりの奥行き出力に矛盾がなければ対等な重みで平均(線形加算)し,矛盾があるときのみ手がかりの重みが大きく変わると想定されている。本研究では,運動視差と両眼視差,二つの手がかりの間の統合を,運動視差と両眼視差の間の対比効果,時間特性の比較を通じてより詳しく検討する。

第二章(実験1A, B)では,運動視差・両眼視差間の対比効果に関する検討を行った。両眼視差は,運動視差と同じく視差を原理とする奥行き手がかりであり,過去の心理物理学的研究からも様々な共通性が指摘されている。しかし生理学的研究から,両手がかりで視差を検出するまでのメカニズムは大きく異なるものであると考えられている。そこでこの研究では,両手がかりがどの程度密接な関係にあるか調べるため,Gillam, Blackburn, and Brooks (2007)らの対比効果の研究をもとに,それが運動視差と両眼視差の間で生じるかどうかを確かめた。実験の結果,両眼視差どうし,運動視差どうしの対比効果は既存の研究とほぼ同様に生じた一方で,両眼視差と運動視差の間の対比効果は非対称的であり,両眼視差から運動視差への効果は認められたが,逆に運動視差から両眼視差への効果は認められなかった。運動視差どうしの対比効果は両眼視差どうしの対比効果の結果と類似しており,両手がかりは基本的な性質で共通点があると考えられるものの,両手がかり間で生じる対比効果には非対称性があり,手がかり間のコンフリクトが無い場合でも,対等な重みづけによる平均では説明できない現象があることが確かめられた。実験1における運動視差と両眼視差の非対称な関係は,両眼視差が運動視差に対して優位となることを示している。この点についてより深く検討するため,第三章(実験2A, B)では,運動視差の処理時間を計測し,既知の両眼視差の処理時間との比較を行った。実験2Aでは,1秒周期で運動視差量の変化する刺激を用い,その刺激から知覚される奥行き量を計測した。その結果,そのような刺激は1秒の周期内の視差量を平均した場合に等しい奥行きを知覚することが明らかになった。実験2Bでは,視差量変化検出の限界を調べるため,提示中に一度だけ視差量が変化する刺激を用い,変化の検出までの反応時間を調べた。その結果,反応には最短でも1秒を要し,これは運動速度変化への反応時間である200から300 msに比べ700から800 ms程度長いものであった。これらの結果を単純に解釈すれば,運動視差の処理時間は,両眼視差の処理時間である100 msに比べはるかに長く,むしろ運動からの構造復元の処理時間に近いものであるとみなすことができる。

以上の結果は,奥行きの統合のあり方は二つの可能性を示唆する。一つは,奥行き表象レベルでの統合の際,手がかり間でのコンフリクトのない場合でも重みづけに違いが生じる可能性である。これはLandy et al. (1995)のモデルを部分的に修正したものとなる。もう一つは,手がかりから奥行き表象が生成される段階での統合もしくは相互作用が存在する可能性である。運動視差の時間特性を考慮すれば,運動視差系での奥行き表象の形成には両眼視差情報が必要とされるという可能性もあるが,この点は今後さらに検討する必要がある。