本論文では、北見市吉井沢遺跡の旧石器時代石器群を対象として、先史狩猟採集民の居住行動と遺跡の形成過程の間に見られる具体的関係のしくみを明らかにし、遺跡の回帰的居住について論じた。分析は、遺跡内構造分析を基礎としながら、遺跡の時間・空間的コンテクストを地球科学の概念と方法から解析する地考古学や、行動論研究の方法を導入しておこなった。

吉井沢遺跡は、北海道東北部の常呂川流域にある後期旧石器時代の遺跡である。遊動的生活を営む先史狩猟採集民が、場(=遺跡)を違えて異なる一連の行動を採用したため、異なる遺物群をもつ遺跡間であっても有機的な組織性が存在する可能性があるとするのが、かつて提起された居住形態の「常呂パターン」モデルである。近年、山田哲(2006)は「常呂パターン」モデルの有効性を再確認し、北海道における細石刃石器群の編年を整備したうえで、居住・移動システムの時間的変化の概要モデルを明らかにした。山田によれば、晩氷期の居住・移動システムは、中心的居住地点の移動距離が小さくて頻度が低く、中心的居住地点からの派生的な移動頻度が高くて石器群が遺跡ごとに複雑な様相を呈すように、変異が大きいとされている。

吉井沢遺跡は忍路子型細石刃石器群における代表的遺跡の一つであり、遺跡内に個性的な内容をもつ四つの石器集中(ブロック12A2B3)が存在することが明らかとなっている。したがって、吉井沢遺跡における石器群の質的・量的変動と集団の居住や空間的活動内容の関係を明らかにすることで、山田によって指摘された晩氷期の地点的行動の変化をもたらす行動戦略に具体的に接近できると考えた。

 

I章では、これまでの研究史を概観し、日本の旧石器時代研究における遺跡内研究の問題点を抽出した。従来の遺跡構造論は、石器集中やその集合である遺跡を直接的に「世帯」や「集落」、または世帯や世帯間を補完する何らかの機能的空間として理解することを志向するあまり、時間的・空間的な行動の変動性を単純化あるいは捨象しがちとなり、行動様式の変異を必ずしも明確に捉えることができないという限界があった。そこで、本研究では居住形態が環境や地域生態的条件によって異なることを前提として、遺跡内の空間的活動の組織性について、遺跡形成過程からアプローチする必要性を示した。また、石器集中は、石器や石材の搬出入と石器製作、使用・維持、放棄などの具体的行動の結果として形成されるが、その背景には生業や技術―経済的行動の諸戦略があることに注意を向けた。

 

II章では、吉井沢遺跡を研究する意義について述べ、遺跡内の人間行動を解明するための三つの研究の方法と段階について整理した。一つ目は、近年注目を集めている研究法のひとつである地考古学の方法に則り、遺跡が埋没した後に被った自然的な影響を検討し、石器群の構造と空間的組織に言及するうえで注意すべき空間的範囲と議論可能な程度を整理することである。

二つ目は、石器群を形成する石器や石材の搬出入、石器の製作と使用・維持・再加工の内容と量、それに関係する行動の性格や重複について明らかにすることである。本論では、パリンプセスト(ある場における異なった機会の行動の重複)に言及するために、「場の利用度」という概念を用意した。場の利用度(行為の重複度)が低ければ石器集中内の空間的行動を把握することは比較的容易であるが、場の利用度が高い場合でも場の機能的維持を見出すことができれば、場の回帰的利用と長期におよぶ計画的な空間利用に言及できる。

三つ目は、各石器集中における遺物分布の検討を通じて、より詳細な空間的組織を明らかにし、石器集中間のさらなる機能的差異や関連性を追究することである。

 

 第III章では、遺物の方位・傾斜データを用いて、埋没後擾乱等の自然的影響の構造や強度を分析し、埋没状況が攪乱などによる二次的な改変を受けたか否かを検討するためのファブリック解析をおこなった。その結果、遺跡全体の遺物包含層(Ⅲ層)において確認される遺物の二次的移動は、主に鉛直(重力)方向の移動に関連し、同時期の石器群である吉井沢遺跡の文化的・行動論的な空間分析に影響はほとんどないことが明らかとなった。

 

III章の分析結果を受けて、第IV章では、それぞれの石器集中(ブロック)を人間の空間的行動の単位として扱い、石質細分(石材種の細分)に基づき、石器と石材の搬出入の単位、石器生産の内容と量、石器の消費・変形過程とその管理形態を検討し、各石器集中に見られる特徴を把握した。接合関係と石質細分の対応関係から、ブロック1とブロック3、ブロック2Aとブロック2Bは、それぞれ同時間的に空間的活動が組織された石器集中であると考えた。

 ブロック1とブロック3は、石核や石器の搬出入が頻繁であり、石器の生産よりも石器の使用・維持・再加工に活動の重点があり、場の利用度が相対的に高い。ブロック1は、黒曜石製の掻器・削器・石刃の量の多さに特徴づけられる。黒曜石を用いた石刃生産の頻度が高く、掻器の素材には優良な素材が選択され、刃部が入念に管理される傾向にある。ブロック3は、細石刃・彫器関連遺物の量の多さに特徴づけられ、着柄のための加工が施された管理的な彫器を多く有する。また、細石刃生産に関連する両面調整石器はほとんどの加工を遺跡外で済ませた後に搬入され、ブロック内で仕上げの工程が行われている。再利用された石刃製石器が多いので、スカベンジング行動(遺跡内での石器あさり)が石器素材獲得の重要な機会となったと考えられる。なお遺跡内の各所に蓄積された石器は、石材キャッシュ(備蓄または結果的備蓄)として機能したのであろう。

ブロック2Aとブロック2Bは、原石・石核・石器の搬出入が頻繁でなく、石器リダクションの進行度合いも小さく、場の利用度は相対的に低い。ブロック2Aは石刃生産と両面調整加工が顕著であり、石刃核の整形や石刃剥離初期の痕跡など石器製作の前期的過程に関わる証拠を多く含む。それに対し、ブロック2Bは石刃生産が相対的に低調であり、石器製作の後期的過程に関わる資料が多く、石器リダクションの進行度合いも大きい。したがって、ブロック2Aは石器素材生産、ブロック2Bは石器の使用・維持に作業の重点が置かれていたと考えられる。

 場の利用度を考慮すると、ブロック1とブロック3は、ブロック2A2Bよりも頻繁な回帰的居住にともなう活動空間であったといえる。それぞれの石器集中が示す活動範囲では多様な活動が生起しながらも、石器の管理形態に特徴づけられるように、将来の回帰的利用に備えた場の機能的維持が行われた。

 

 第V章では、被熱石器等の遺物分布とその密度分布の検討を通じて、発掘では視認できなかった炉の存在を特定し、炉を中心とする空間的活動の組織について示した。

 ブロック1では二つの炉にともなって、二つの主要な活動範囲が組織されていた。岩瀬彬によって行われた使用痕分析を参照すると、二つの活動範囲では、動物の解体処理(西側)から皮革加工(東側)までの一連の工程における工程上の違いが空間的に生じていた可能性がある。これら二つの活動範囲は、全く同時ではないにせよ、ほぼ同時間的に機能した空間であったと考えられる。ブロック3では、活動の主体を成す彫器や掻器の使用・維持が、炉周辺のドロップ・ゾーンの南側で多く生じ、それらを含む道具は北側において管理されている。ブロック3では調査区の南側に本来存在した水場(流路)が誘因となって、多様な活動が濃密に組織された可能性が高い。ブロック1とブロック3の石器には接合関係があり、ブロック1の西側の活動範囲により強い関連性をもつ。相互の作業範囲における作業の構成から、ブロック1内のこれら二つの作業範囲は、各々皮革加工と骨・角・牙の加工、細石刃の生産に強く関連し、作業の工程的な分担が空間的に組織されていた可能性が指摘できた。

ブロック2Aとブロック2Bの主要な活動範囲の間には遺物分布密度の低い範囲があり、主要な器種が分布する。これら密度が低い範囲にある石器は、ブロック2Bの主要なドロップ・ゾーンを取り囲む使用・配置の場、あるいはトス・ゾーンとして機能した可能性がある。

被熱石器集中の特徴と場の利用度の関係から、ブロック1とブロック3の炉は、度重なる回帰的居住にともなって、長期にわたり継起的かつ短時間利用されたと推定される。これに対してブロック2Aの炉は、より少ない回帰的居住にともなって短期間に継起的かつ短時間利用されたが、ブロック2Bの炉は、やはりより少ない回帰的居住にともなって短期間に、継続的かつ長時間利用されたと考えられる。また、作業の性質を考慮すると、ブロック1とブロック2A、ブロック3は屋外の活動範囲と判断されるが、ブロック2Bの作業範囲は屋内空間(テント内等)であった可能性が高い。

 以上の分析結果から、吉井沢遺跡は季節的居住のような比較的短い期間の居住の反復によって形成され、地域の中心的居住地点であったと評価される。遺跡内では複数の機能的空間が同時に設営され、遺跡の回帰的利用にともない屋外の作業場が機能的に維持された。また、移動領域と石材獲得範囲がおおむね一致することを前提とすると、吉井沢遺跡に関連する主要な活動領域は半径約5060kmであったと推定される。

忍路子型細石刃石器群が用いられていた時期と同じ頃の古本州島では、土器利用の安定化が進み、縄文時代の生業や居住の定着性を高めていく。一方で、北海道では居住地の移動性が低下し、細区画化された資源利用戦略を高めていくという点において古本州島と同じ居住形態の変化の方向性が見いだせるが、晩氷期においても未だ移動性の高い生業戦略と居住形態が採用されていたと考えられる。