本論文は、日本の有権者が政府の意思決定に参加するに値する知識や能力を持つのかという問いに対して、一般有権者が政治を捉える枠組み(フレーム)に注目することでひとつの回答を試みるものである。有権者の能力を測定する指標としてもっとも広く用いられているのは政治的洗練性であり、Converse (1964) やDelli Carpini and Keeter (1996) に代表される過去の研究が明らかにしてきたのは、有権者の政治的洗練性の水準は民主主義社会にとって決して十分とはいえないということであった。しかし一方で、有権者がイデオロギー等の政治的エリートと同様の抽象概念を元に個々の政治的事象を統合する信念体系を持つことを以って洗練性の高さとすることに対しては、エリート主義的である、有権者独自の政治の捉え方を軽視しているという批判が存在する。そこで本論文では、質的・量的研究手法を組み合わせて用いることで、一般有権者が政治を捉えるフレームの検討を行った。

理論編(第1章~第3章)に続く実証編第1部では、一般有権者が政治を捉えるフレームと政治的エリートによる公的なディスコースにおけるフレームとの比較を行った。まず第4章では、2007年参院選における年金争点を題材として取り上げ、国会会議録・新聞報道・一般有権者の3者についてのテキストデータの計量分析を行った。その結果、年金争点が有権者の注目を集めたこと自体は間違いないものの、「年金問題が参院選における最大の争点であった」とする政治的エリートによる解釈は有権者の実態とは異なることが明らかになった。具体的には、国会会議録においては制度的フレーム、新聞報道においては政党間の対立フレームが中心となっていたのに対して、一般有権者は自らの負担と政府・与党への評価というフレームによって年金争点を捉えていたのである。さらには、テキストデータと選択式の設問への回答データを組み合わせた分析の結果も、一般有権者が年金争点自体への態度を元に投票を行ったわけではないということを示唆するものであった。

第5章では、政治的エリートによる公的なディスコースと一般有権者のフレームが一致しやすい争点とそうでない争点との相違について、議題設定効果研究における争点の直接経験性という概念を援用することによって検証を行った。日常生活における経験から情報を入手することのできる直接経験争点においては政治的エリートによる公的なディスコースと一般有権者のフレームとの相違が生じやすいのに対して、メディアからの間接的な情報に依存せざるを得ない間接経験争点においては両者のフレームの一致度が高いと考えられる。争点の直接経験性とフレームの一致度の関連について検証を行うために本論文で取り上げたのは、日米安保や憲法改正といった安全保障と旧体制への態度に関わる争点である。日本においては、これらの争点の構造化の度合いが高く、保革イデオロギーの中心を占めるということが知られている(e.g. 蒲島・竹中, 1996)。これに対して本論文では、争点の構造化の度合いの高さは政治的エリートによる公的なディスコースと一般有権者のフレームの一致に基づいており、現代においても安全保障や旧体制への態度に関連した争点の構造化の度合いが高いという現象は、これらの争点が間接経験争点であることに因るという別解釈の可能性について検討した。その結果、「防衛力の強化」「安保体制の強化」「憲法改正」「アジアの人々への謝罪と反省」といった安全保障と旧体制に対する態度に関連した争点においては、マスメディアへの接触が争点態度の成極化あるいは態度の方向性の少なくともひとつと関連を持つ一方で、日常生活における対人ネットワークとは関連を持っていなかった。これは安全保障と旧体制に対する態度に関連した争点が間接経験争点であることを示唆する結果である。さらには、「憲法」と「年金」という争点について語られる際の新聞報道と有権者の自由回答における語句の類似度を比較したところ、「憲法」の方が語句の類似度が高いという結果が得られた。これは、間接経験争点である「憲法」は直接経験争点である「年金」に比べて、政治的エリートによる公的なディスコースと一般有権者のフレームの一致度が高かったためだと考えられる。

5章において明らかになった知見のうち、とくに重要なものは、日常生活における経験を通じて副産物的に入手した情報が、政治的エリートによる公的なディスコースと一般有権者におけるフレームの違いをもたらすという点である。日常生活における経験がフレームにどのような相違をもたらすのか、政治的エリートの公的なディスコースとは異なる一般有権者独自のフレームはどのようなものかという点について、実証編第2部において検討を行った。

6章においては、24名の有権者を対象とした質的面接調査を行った結果、「抽象的概念」「居住地域」「個人の生活」「仕事経験」「会話の通貨」という一般有権者が政治を捉える5つのフレームの存在が明らかになった。政治的洗練性に基づいて評価するならば、5つのフレームのうち、「抽象的概念」フレームを持った有権者の洗練性が高いということになる。また、このフレームは有権者の私的生活における関心とは切り離して政治を捉えるという点に注目すると、民主主義の理論的研究における政治の捉え方に示されている政治参加の理想像に沿うものだともいえる(e.g. Habermas, 1990)。一方で、これに対置されるのが「居住地域」「個人の生活」「仕事経験」というフレームであり、これらのフレームは自らの私的生活空間と政治を関連づけるフレームとしてまとめることが可能である。また、「会話の通貨」フレームは、私的生活空間におけるコミュニケーションのツールとして政治を捉えるフレームである。

私的生活空間と公共空間を明確に切り分けることが難しくなっている現代社会において、私的生活とは切り離された抽象概念によって政治を捉えることのみを有権者が政治に関わる能力の高さとして評価することは現実的とはいえない。むしろ、今田(2000)の「生活政治」についての議論で述べられているように、私的生活空間の中での活動に公共性を見出していくという行為が民主主義を支える地位を占めつつあるといえよう。こういった状況においては、本章の面接で明らかになった「抽象的概念」以外のフレームに見られるように、有権者が居住する地域や職場を含む私的生活空間において副産物的に政治情報を獲得し、私的生活空間との関連で政治を捉える力を持つということは、積極的に評価すべきことだと考えられる。

7章ではランダムサンプリングに基づく郵送調査を行い、6章の面接調査を通じて明らかになった5つのフレームが、有権者において広範に見られるものかどうかを確認するとともに、フレームを保持することが政治的態度・行動とどのように関連するかを検証した。まず、面接調査の内容を参考に作成した質問項目の単純集計の結果は、面接調査において明らかになった各フレームが、少数の特殊なサンプルに基づくものではなく、多くの有権者が保持しうるものであることを示唆していた。次に、各フレームと政治関心・政治的有効性感覚・政治参加という民主主義社会を支える有権者の心理的変数・行動との関連を検討するために共分散構造分析を行ったところ、「抽象的概念」フレームが政治参加と関連を持つのみならず、「居住地域」「個人の生活」「会話の通貨」という3つのフレームから政治関心や政治的有効性感覚を媒介して、政治参加に至るパスの存在が確認された。これは、有権者が自らの私的生活と政治を関連付けるフレームを保持することが政治参加へとつながりうることを示す結果であり、私的生活空間と公共領域を明確に分けるのではなく両者を結びつけて捉えるフレームを、民主主義社会にとってポジティブなものとして評価すべきだということを示唆している。

8章では、インターネット調査実験を用いて、ランダムに割り当てられた対象者に対して「抽象的概念」「居住地域」「個人の生活」というフレームに対応した異なる文章を提示することで、コミュニケーションフレームへの接触、あるいはそれに伴う個人フレームの活性化と政治関心との因果関係について検討を行った。実験において見られたフレームの提示による効果量は小さかったものの、「抽象的概念」フレームを提示した対象者と比較して、「個人の生活」フレームを提示した対象者において政治関心の変化量が正の方向に大きかったという結果は、7章における私的生活と政治を関連付けるフレームが有権者の政治参加に対してポジティブな役割を果たすという結果に沿うものであった。

一般有権者は日常生活における経験を通じて副産物的に政治情報を入手するとともに、自らの私的生活空間と政治を関連づけるフレームを獲得している。政治的エリートの公的ディスコースにおいて頻繁に用いられる抽象的概念に基づいて政治を捉えるフレームとは異なるものであっても、有権者がフレームを保持し情報処理に用いることは、長期的には政治参加を促進する可能性を持つといえる。したがって、政治的洗練性概念に見られるように、政治的エリートの公的なディスコースにおけるフレームとの相違を有権者が政治に関わる能力の欠如とみなすのではなく、私的生活空間と政治を関連づける一般有権者独自のフレームの民主主義社会における役割について、積極的に評価すべきであるというのが本論文の結論である。