本稿は、北海道島の擦文土器編年を資料が増加した今日的視野から検討・整備し、擦文土器の成立・展開・変容・終焉過程を時空間的に隣接する土器型式との関係史として読み解くことを目指したものである。

 第1章では、研究史の整理と方法論の展望をおこなった。今日の擦文土器編年研究には、全道的な土器編年と小地域(個々の遺跡や遺跡群等)の土器の実態に不整合が見られるという問題がまったく解消されていないことや、東北地方土師器編年研究で用いられる土器様式論が無批判に援用されるために擦文土器の時期差と地域差が十分整理されず、編年の細分や地域性を認識するうえで方法論的な行き詰まりが生じていること、といった問題が見られる。本稿ではこれらの問題を解決するために、①個々の遺構出土土器の分析結果を総合して全道的な土器編年を組み立てる、②遺構出土土器を構成する個別器種(甕・坏)単位で時期差と地域差を弁別しながら編年を設定したのち、各器種の編年を総合して器種組成単位の編年を設定するという階層的な手続きを踏まえる、という2つの姿勢をとることにした。この姿勢は、全道に散らばる断片的な資料を型式学的につないで編年を組み立てる方法や、数例の遺構一括資料を編年上の標式に見立てて残りの資料を当てはめてゆく方法など、先行研究で用いられてきた編年方法とは異なるものである。

 第2章~第7章では擦文土器甕・坏・高坏、およびそれらと時空間的に隣接する土器型式の編年研究、第8章では各器種編年を総合した擦文土器の全体的な編年整備および広域編年対比、第9章では擦文土器と隣接諸型式との関係史の復元をおこなった。擦文土器は当初道央部石狩低地帯周辺に濃密な分布を示し、白頭山・苫小牧火山灰降灰期頃に道北・東部へ分布域を拡げることが知られており、本稿では便宜的に前者を「前半期」、後者を「後半期」と呼称している。

 第2章では、文様施文域に着目し、前半期擦文土器甕の編年を第1段階前半、同後半、第2段階の3時期に細分した。前半期擦文土器甕の文様施文域は東北地方土師器甕の系統を引く「一帯配置」とこれと異なる「分帯配置」の2つの系列から成り立っており、その変遷は当初別個に存在した2種の文様施文域が時間と共に融合してゆく過程であることを明らかにした。

 この「分帯配置」の文様施文域は先行する北大式土器の系統を引く可能性が考えられたため、続く第3章では北大式土器の編年整備と型式学的変遷過程の復元をおこなった。北大式は続縄文時代後葉の後北C2-D式と前半期擦文土器をつなぐ土器型式として著名である。その編年を、器形、文様帯、文様の3属性を柱として分析することで、北大1式古段階、同新段階、同2式、同3式の3型式4時期に細分した。この編年にもとづき、北大式の属性の備わり方は変異に富む一方で個々の属性は前後する時期で強い連続性をもって変遷していることや、後北C2-D式末期から北大1式新段階まではオホーツク土器からの型式学的影響が強く北大2式を境に東北地方土師器からの型式学的影響が強まることなどを明らかにした。北大式の変遷とは後北C2-D式の系統を引く属性がオホーツク土器や東北地方土師器と接点を持ちながら交錯と変容を繰り返す過程として捉えられるものであり、前半期擦文土器成立前夜に、北海道島と南北に隣接する地域とで諸型式の頻繁な交渉があったことが確かめられた。

 また、北大3式を前半期擦文土器甕に先行する1類と併行する2類に細分した。北大3式1類は「分帯配置」の文様施文域を有することから、前半期擦文土器甕の「分帯配置」系列は北大式の系統を引くと考えられた。第2章の成果を加味すると、前半期擦文土器甕の変遷は、北海道島在地土器系統の「分帯配置」と東北地方土師器系統の「一帯配置」が接触し融合するという構図で理解できるものである。そして、この前半期擦文土器甕に北大3式2類がさらに融合することで、後半期擦文土器甕が成立することが明らかになった。

 第4章では、後半期擦文土器甕の編年整備をおこなった。後半期擦文土器甕は、何種類もの文様モチーフの存在、頸胴部文様が複列化しているもの(「複文様列土器」)としていないもの(「単文様列土器」)の併存、装飾的な口唇部をもつものともたないものの併存など、その型式学的特徴の多様性が目立つ。そして、同じ遺構出土土器でこのような変異が確認される一方で、100㎞以上離れた遺跡で同じ特徴をもつ土器が確認されるなど、各地で錯綜するあり方を示す特徴がある。したがって、オーソドックスな型式論(佐藤1972)や数例の一括資料を標識とするセット論(塚本2002)ではその編年に説得力をもたせることは難しいと考えられた。そこで、各地の後半期擦文土器甕に通底する原則として、①複文様列土器に施文される個々のモチーフには製作時の同時性が備わる、②複文様列土器と単文様列土器では施文されるモチーフに共通点がある、という2点に注目し、モチーフを類型化しその組列を仮定することで編年細分をおこなうという方法を用いた。分析の結果、モチーフは1類(6種)、2類(8種)、3類(6種)に分けられ、1類→2類→3類の順に変遷することが確かめられた。この知見にもとづき、後半期擦文土器甕の編年を、モチーフ1類が単文様列土器のみに施文される第3段階前半、モチーフ1類が単文様列土器と複文様列土器に施文される第3段階後半、モチーフ2類のみが単文様列土器と複文様列土器に施文される第4段階前半、モチーフ3類が単文様列土器と複文様列土器に施文される第4段階後半、の4時期に細分した。

 第5章では、擦文土器に併行する道東部の土器型式であるトビニタイ式土器の編年整備と型式学的変遷過程の復元をおこなった。トビニタイ式には多種多様な貼付文を構造的に律する文様構成が認められ、これを「トビニタイ型文様構成」と呼んだ。「トビニタイ型文様構成」を柱とする諸属性のまとまりを重視することで、時期差と地域差の弁別、多相組成を示す遺構一括資料の評価などに細心の注意を払いながら、1式、2式、3式、4式の4細分編年を設定した。この編年は、微細な属性の違いを十分な検証を踏まえずに時間差に還元する「小細別編年」なる営為によって設定された通説に対する逆転編年(柳澤2007)を否定するものである。「トビニタイ型文様構成」に着目することでオホーツク貼付文土器からトビニタイ式への移行状況や擦文土器との型式交渉関係が明らかになり、これまでオホーツク土器と擦文土器が融合した土器群として一括りにされていたトビニタイ式の変遷を、オホーツク土器の系統を引く属性が擦文土器と接点をもちながら緩やかに変容してゆく過程として捉えることが可能になった。

 第6章では、道南部の擦文土器甕の編年を検討した。器形と文様の全体的な変化の流れをおさえたうえで松前町札前遺跡出土土器群を4つに分類し、道央部以東の土器編年とのクロスデイティングによって予察的な編年を提示した。

 第7章では、擦文土器坏・高坏の編年整備と型式学的変遷過程の復元をおこなった。坏を器形と装飾の属性分析によって4群に、高坏を文様構成、器高に占める脚部高の比率、文様モチーフの属性分析によって6群に細分し、これらを遺構内共伴例と層位的出土例を参考に1~5段階の5時期にまとめた。その変遷過程を東北地方土師器坏と対比させてみると、第1段階は両地域で共通性が高く、第2段階から第3段階にかけて装飾→器形の順に北海道島で独自性が進行し、第3段階になって完全に東北地方と分離することが明らかになり、高坏の成立はこの独自性形成の延長の現象と評価された。擦文土器坏は東北地方土師器坏のあり方に規定されるような変化を遂げており、在地土器の系統が根強い擦文土器甕とでは、土器製作者を取り巻く情報のめぐり方に違いがあると考えられた。

 第8章では、前半期・後半期擦文土器甕(甕系土器)と擦文土器坏・高坏(坏系土器)の各編年を遺構内共伴例によって総合し、器種組成単位の編年を第1期前半、同後半、第2期前半、同後半、第3期前半、同後半、第4期前半、同後半、第5期の9時期にまとめた。その結果、甕系土器と坏系土器とでは時間的変化のタイミングや変遷速度、地域性の表れ方などに違いがあることが明らかになった。この分析結果は、①着目する器種の違いによって時期区分数が変わってくること、②ある器種の編年によって別器種の地域性を論じることはできないこと、③擦文土器の一括資料とは独自の時間的変化や地域化をたどる甕系土器と坏系土器が様々な形で組成したものであり、数例の一括資料を標識として適用できる範囲は限られるおそれがあること、といった編年研究上の多くの問題を提起するものである。

 第9章では、各時期の共時的な型式間関係を復元した後その関係の通時的な変動過程を復元した。本稿であつかった時期は、後北C2-D式末期~北大3式1類期までの「第一次錯綜期」、擦文第1期前半~第3期前半までの「安定期」、擦文第3期後半~第5期までの「第二次錯綜期」の3時期に大きく分けられ、2つの画期を境に型式間関係が変動すること、そしてこの変動が東北地方北部の土器様相の変化と連動していることが確かめられた。ただし、画期を挟んだ前後の時期で型式の分布範囲や交渉のあり方に連続性が認められることから、この変動は在地住人が主体となって隣接地域との関係を変化させることで生じたものであるとの結論に達した。この結論は、北海道島在地住人の大がかりな交替(大井2004)よりも、在地住人が隣接地の住人と関係を結びながら不可逆的に社会のあり方を変えてゆくという歴史像(瀬川2005)に整合するものである。