本論文は、日本中世における説話集において、『十訓抄』、『閑居友』、『宇治拾遺物語』といったテクストを取りあげ、受け手(読み手)と語り手の相互の関係性を視点としたとき、説話集がいかなる展開と相貌を見せるかを論じたものである。

 第一章では『十訓抄』を取りあげて教訓との関わりを論じた。第一節では、教訓的説話集とみなされる『十訓抄』の実態に迫った。教訓的志向は、語りの欲求に含まれる一つであって全体を覆いきるものとは必ずしも言えない、そのことを小序が起点となる類比を軸とする全体的構成の検討を通して論じた。『十訓抄』は、教訓的言辞を支えとすることで、語りの主体として振る舞う自由を得ている。一方でその語りは教訓を逸脱しがちで、枠組みを壊しかねない。意味づけへの志向が読み手に浸透していくとき、賢愚善悪から一歩進めた具体的な意味づけを説話素材に与えるのは、語り手から読み手へと変わっていく。語り手の伝えたい教訓が常に明示的にあるわけではない以上、教訓的言辞の明確化は読み手を類比的な思考に導く中にはじめて達成される。意味づけへの志向の求心的な渦に読み手を巻き込み、意味づけを委ねていくのである。類比によって語り手の欲求と志向が実現される一方で、読み手は教訓を求めるようになっていく仕組みが作られていた。

 第二節では、藤原顕頼にまつわる失敗譚を取りあげた。顕頼・従者・客人の三者でなされるディスコミュニケーションが話題となる。いったん『十訓抄』から離れて検討することで、従来、従者の失態譚としてのみ捉えられていた当該話を読み直した。ことばの行き違いが、従者の愚かさだけではなく、語の多義性や文の区切り方に伴って正反対の意を汲んだ判断によって成立していたのではないかと見通し、結果として、従者の失態から顕頼の失敗へと読み替えができることを示した。しかし、『十訓抄』に戻したときには、従者の失態譚としか読めなくなるという点を、第一節に示した『十訓抄』の強靱な枠組みを補強する例として提示した。また、従者を糾弾する中には、言語遊戯も埋没してしまうことに触れた。

 第二章では『閑居友』を取りあげて結縁との関わりを論じた。第一節では、『閑居友』で好んで用いられる特徴的な「あはれ」という表現の位相を捉えた。評に用いられる「あはれ」は、結縁に絡む表現であり、受け手に共感的に説話素材に向き合うような仕組みとなっている。また、往生人という認知を客観的な出来事に委ねるのではなく、語り手のフィルターを一度通した形で暗黙裏に認知されるというあり方が窺える。「あはれ」を中心とした主観的語彙は、[仏―説話素材の対象―語り手―受け手]を結ぶ同化の機縁として配置されるのである。「あはれ」を中心とする主観的な語彙が浮き彫りにする語り手の結縁、限定された受け手に対して、主観的な語彙が受け手を強烈に引き込む結縁の共時性、これらが『閑居友』において実現される結縁意識である。対象への一体感を示す「あはれ」という語彙が、受け手に対しても共感を作る構図の中で、事跡を生々しく受け止める現前性がそこにはあった。

 第二節では、第一節の結論を踏まえ、『発心集』をいかに意識するかという論考を手掛かりに、『閑居友』が達成した結縁の方法について論じた。その中で、『発心集』への言及をあえてする意図を、『発心集』の継承という点から読み直した。『発心集』は往生伝などと同様に既出の知識として扱われつつも、『閑居友』の語り手は「耳を喜ばす」ことにひとまずの到達を認めたものと考えた。テクストを「読む」ことに比べた「書く」行為の優位性に潜む矛盾を解消するべく、時空をともにして事跡を受け止めるようにするために選ばれたのが、語り手の主観的感情に受け手が共感することであった。受け手の主体性が立ち上がることによって、結縁が深化に向かう。そのような濃密な場の設定に、臨終行儀を仮構していたのではないかと提起した。

 第三節では、救いようがないかに見える鬼形の女の話を取りあげ、第一・二節で見た受け手の主体性のあり方を問うた。鬼形の女の供養を気にする現状を滲み出させる語り手に対して、追善供養説話群においても鬼形の女が供養から取り残されていることから、実行が留保されているものと見た。語り手が「あはれ」なる感慨と共に無縁の者の供養を志すとすれば、受け手もまた追随する。そのとき、下三話と同様のことばで女性の死者を見据える際の陀羅尼を、追善供養説話群を支える重要な背景として捉えた。追善供養説話群では下敷きとなる物語が女人往生を想起させもすることから、焼死という死者の死の迎え方を特別視して、鬼形の女は人を導く存在にも捉えられることを、法華経から押さえた。追善供養説話群のそれぞれの背後から、下三話の女の救済に環流していく契機を見出した。最終的には、鬼形の女のことばが、最後まで見届ける語り手と受け手に託されるところに供養の正否が握られるものと考えた。

 第三章では『宇治拾遺物語』を取りあげて展開される二重性について論じた。第一節では、『才学抄』の位置づけを、想定される共通母胎的な出典資料からの等距離性という面で確認し、『宇治大納言物語』の圏内での比較を十分許されるものと認めた。『今昔』『宇治拾遺』のいずれが古態を残すかという議論に一石を投じながら、『宇治拾遺』第一七四・一七五話の指向、特に改編の意図と評語のあり方について探った。単独では重要な意味を持ちうるはずの型どおりの教訓も、並べられた二話の後に置かれることで、混乱を生じることとなった。これは統一的な把握に矛盾を生じさせる作為であり、意識的な措置として詭弁に堕す構図に置かれるのではないかと提起した。

 第二節では、第一節のような評語のあり方に着目し、特に説示性の強い評語のうち、その意味が動揺させられるものを追った。語の多義性から対象となるべき主体が二つ立ち上がり、指示することばが同時にそれを打ち消す別の内容を含んでいることが、いくつかの評語に認められた。一見すると収束していくような説示的言辞は、同時に説示の曖昧さを呼び込む仕掛けや説示性そのものをかたなしにしてしまう態度によって、隠微に否定的な視線を送られる。ここに教訓や教誡を配する態度の真摯さへの疑念と底意の存在が窺われる。説示的言辞が同時に説示性を回避ないし拒否する構造、これが『宇治拾遺』の垣間見せる文学的方法の具体的様相の一つなのであった。

 第三節では、以長と頼長という二人の人物を扱う話をとりあげた。従来、旧習の懐古とともに以長が称揚されるように把握されてきたが、礼節を強調する末文のいかがわしさから、異なる把握ができるものと考えた。頼長と牛車と御幸は、闘諍の危険性を孕むものとして認識でき、頼長ですら知らない路頭礼にまつわる知識は常識的ではないことを確認し、さらにその路頭礼の知識が相手を見咎めるものとして定位できた。最後に別の礼節が紹介される意味を考え直し、得意然とした以長の行為は、藪蛇というべき行為であると見た。末尾に以長に与えられる「古侍」の評は、漫然と懐古的に礼節を重んじる読み手と現実的に乱暴の危険性を感じる読み手によって、良い老練な侍とも悪い因循な侍とも解釈可能であった。二つのコンテクストが別々に立ち上がってしまう『宇治拾遺』の姿を明るみに出した。

 第四節では、第三節の問題を引き継ぎ、別々のコンテクストが『宇治拾遺』の仕掛けによって立ち上がっているのではないかと考えた。末尾に作られる動揺と既存の枠組みを超えることばの扱いを通した枠組みの多層化とその機制を問題とした。第一節から第三節を含めて明らかにしてきたことは、意味やコンテクストにおける多義性に留まらず、相反する文脈が共起しうる表現のあり方である。読みの方向を指示しないばかりか、末尾の仕掛けが働いて、指示した方向ですら違和感を残す。放置された多義性や読み手への預託ではなく、仕掛けられた二重の枠組みを随所に窺うことができた。拮抗する二重性を執拗にしかし隠微に残すことを考えれば、わずかな改変のみで、第一の読みと第二の読みを拮抗させる表現に、『宇治拾遺』のまた別の核があるものと結論した。

 以上を通して、語り手が受け手といかに向き合うかに応じて見られた、説話集生成と受容の諸相を開示した。説話集を通してことばを伝えることに潜む受け手の存在とその位置を問い直した。