討債鬼故事とは、中国に古くから伝わる怪談の一種である。

その粗筋は、金を奪われたり、借金を踏み倒されたりした者が、加害者(あるいはその生まれ変わり)の子供に転生して、奪われたり、踏み倒されたりした金額だけ親の金を蕩尽したところで早死にするという話である。

討債鬼故事は、唐代中期に成立して以降、文言・白話の小説や戯曲の題材として多くの作品を生み、現代・当代文学でもしばしば取り上げられている。また文学作品としてだけではなく、親に苦労をかける子を、親が「討債鬼」と呼んで罵るという習俗が、現在も華人社会に広く定着している。

討債鬼故事は、中国人にとっての親子観や金銭観を考える上で重要な問題を多く含む一方で、輪廻という外来の生命観の受け入れなくしては成立し得なかった物語である。

本研究は、本生譚の中で輪廻がどのように描かれているかを出発点とし、それが中国の文学に取り込まれ、唐代にいたって討債鬼故事が成立するまでの過程を探る。次に、文学作品としての討債鬼故事に生じた歴史的変化を論じ、「転生して復讐する」という観念が中国社会にもたらした信仰や習俗について概観する。最後に日本における受容と変容を、落語「もう半分」を題材にして考察し、日本の作品との比較によって、討債鬼故事の背後にある家族観や金銭観を明らかにする。

 

「第1章、六朝・唐代小説中の転生復讐譚」

討債鬼故事の現存最古の例と目される作品は、唐・牛僧孺『玄怪録』所収「党氏女」であるが、それまでの中国文学の中にはこれに類する作品を見出すことが出来ない。本章では、これより以前の仏典や志怪小説中の作品をもとに、輪廻と復讐の関係について検討を加える。

転生して復讐する物語は、本生譚にも存在していたが、輪廻の行き先を選ぶには、生前口に出して復讐を誓わねばならず、しかも復讐を遂げた後、復讐者は自分の行為を後悔することになった。仏教は復讐という行為を肯定しなかったのである。一方漢代に仏教が伝来する以前から、中国には亡霊復讐譚があり、復讐を正義の実現として肯定する立場をとっていた。復讐に対する見方の違いから、六朝志怪の復讐譚に輪廻が取り入れられることはなかったが、仏教文学である『高僧伝』に、「前世の因縁に操られ、自分の意志に反して復讐する」という奇妙な復讐譚が登場し、同様の話が唐代の小説にも取り入れられる。また、唐代には自分の意志で来世を決定する話が描かれるようになり、討債鬼故事が成立する条件が整っていく。

 

「第2章、討債鬼故事の成立 ―「党氏女」と「阿足師」」

本章では、現存最古の討債鬼故事である「党氏女」と、南北朝期と唐代に作られた「党氏女」とは異なるタイプの転生復讐譚とを比較し、それぞれに描かれた転生と復讐の違いを論じる。

後秦・鳩摩羅什訳『衆経撰雑譬喩経』所収の「嫉妬話」は、息子を殺された妾が、殺害者である妻の子供に転生しては夭折を繰り返して復讐する話であり、借金の要素は無いものの、討債鬼故事の前段階の作品として注目される。同時代にはこれに類する作品は残っていないが、中唐期になり、類似した展開を持つ作品が複数現れる。薛用弱撰『集異記』佚文「阿足師」、『仏頂心陀羅尼経』下巻第三則、そして日本の『日本霊異記』中巻第三十縁の三作品である。

これらの説話は、借金についての記述を含まず、また復讐者は調伏され、復讐を遂げることが出来ない。厳密には討債鬼故事とは言えないが、後世にはこの型の話も、討債鬼故事として受容されている。

「党氏女」は、泊まっていた家の主人である藺如賓に殺され、金を奪われた王蘭が、如賓の子供に転生し、財産を蕩尽した挙句若死にするという話である。本論は、「党氏女」の誕生をもって、討債鬼故事の成立とみなす。「党氏女」はその後多くの作品に影響を与え、模倣作を産み出していく。宋代には更に登場人物の数や転生回数が整理され、洗練されたかたちとなり、清代まで受け継がれる討債鬼故事の基本形が出来上がる。

 「党氏女」と「阿足師」型の話を比較すると、前者は「転生」という仏教的な仕掛けを使用しながらも、復讐否定の思想は見られず、復讐を果たすための手段として転生が用いられている。一方「阿足師」とその類作は復讐が貫徹されない話であり、そのため小説としての面白みは薄く、筆記小説の世界では以後殆ど類似作を見ない。ただ、霊験譚として流布し、庶民や非漢族にまで「転生して復讐する」という観念を知らしめたという点で重要な役割を果たしたと思われる。

また、畜類償債譚は、借金を踏み倒した者が、踏み倒された者の家畜に転生して返済するという話だが、「借りた金額と、返済した金額が一致する」という点では、討債鬼故事と共通するものがある。畜類償債譚における金額の一致という要素は、討債鬼故事の成立に先立ち、八世紀から現れている。

 

「第3章、偽経『仏頂心陀羅尼経』と討債鬼故事」

偽経『仏頂心陀羅尼経』は、『大蔵経』未収経典であるが、討債鬼に関わる民間信仰を考察する上で、興味深い多くの問題を多く含んでいる。下巻第三話は、毒殺された人間が、来世で加害者の生まれ変わりの女性の子供に転生し、母親に苦しみを与えるが、観音菩薩の化身の僧によって済度されるというもので、前章で分析した復讐を否定する転生復讐譚の一例である。この経典は、討債鬼を避けるために信仰された一面があったことや、中国本土だけでなく周辺諸地域にも受容されたことから、討債鬼故事の伝播を考える上で重要な資料であるといえる。

従来『仏頂心陀羅尼経』は、唐代に敦煌で成立し、その後中国本土と契丹・西夏に広がったと考えられていたが、本論は、金石学資料の考察から、唐代に中国本土で成立した可能性が高いことを示す。

更に『仏頂心陀羅尼経』が印刷または石刻によって広められることに注目し、経典の末尾に記された祈願文から、信仰活動の実態を考察する。特に紙本印刷の場合、祈願者は往々にして夫婦であり、子孫の繁栄を祈り、討債鬼の害に遭わないよう祈願する傾向がある。

 

「第4章、雑劇『崔府君断冤家債主』と討債鬼故事―討債鬼故事の転換点―」

討債鬼故事を題材とした雑劇『崔府君断冤家債主』(以下、『崔府君』と省略)を取り上げ、元代に生じた討債鬼故事の変化について論じる。まず、『崔府君』の成立した時代、属するジャンルについて基本的な考察を行い、元末から明初の作品であると結論づける。

『崔府君』は他の討債鬼故事とは異なり、主人公は冥府を訪れ、息子が討債鬼であると知ることによって、息子を失った悲しみから解放され、宗教に救いを求める。この型の話の祖形は宋洪邁『夷堅志』所収の「呉雲郎」に求めることが出来るが、この話の父は罪を暴かれたショックのため、救われないままに死んでしまう。唐宋期の討債鬼故事では、討債鬼の父はあくまで極悪人として描かれたが、「子を失った父が救いを得る」という類型の出現により、父は読者の感情移入の対象へと変化したことを指摘する。

 

「第五章 冤家債主について」

本章では、『崔府君』の正名にもふくまれる「冤家債主」という語について考察する。この語ははじめ「怨家債主」と表記され、現実的な存在である敵と債権者を意味したが、やがて生者に仇をなす亡霊を指すようになる。「冤家債主」の一部は討債鬼と重なる意味合いで道教経典において用いられ、元代以降になると、個人的な怨恨を晴らす者だけでなく、天帝の命をうけて不当に財を持つ者の子に転生し、散財する者をも「冤家債主」と称するようになる。「冤家債主(討債鬼)」は、親にとっては身に覚えのない前世の借金を取り立てに来ることもあり、誰の身辺にも現れるものとして恐れられ、人間に害をなす孤魂野鬼の一種とみなされて、宗教的鎮撫の対象となっていく。『仏頂心陀羅尼経』の印刷が、討債鬼の害を防ぐという目的で行われたのもその一例である。本論は、この恐れの感情が、「父の視点に立った討債鬼故事」の成立を促したのではないかとの仮説を立て、検討を加える。さらに、明代、清代、そして現代の討債鬼の父親像を追い、『崔府君』に始まる変化の意味を考察する。

 

「第6章 落語「もう半分」に見る中国怪談・討債鬼故事の受容と変容」

「もう半分」は、古典落語の演目の一つである。この噺の粗筋は、居酒屋夫婦に金を奪われた老人が、夫婦の子供に転生して復讐するというもので、金銭をめぐる争いが発端になっていることから、討債鬼故事を受容したものと推定される。現在は子供が油を飲むという結末が定着しているが、明治時代には、石川鴻斎の漢文小説『夜窓鬼談』所収の「鬼児」と落語「正直清兵衛」という結末の違う話が存在していた。「もう半分」とこれら二つの類作をもとに、日本における討債鬼故事の受容を考察する。

「もう半分」とその類作において、子供はいずれも金を奪われた老人そっくりの顔に生まれて来て、両親を驚愕させる。そしてオニに変じたり、油を呑んだりというように、人間離れした異形の存在になっていく。

また老人が奪われた金は、娘が吉原に身売りして、父に与えた金であった。江戸時代には、公金を預かった旅人が殺されて金を奪われ、加害者の子供に転生する復讐譚が作られたが、中国の討債鬼故事では、預かった金を奪われ、仇の子供に転生するという例はほとんど見られない。一方日本で復讐の原動力となったのは、本来の持ち主や、身を犠牲にして金を作った娘に対して申し訳ない、という心情であった。日本における討債鬼故事の変容は、日本人の家族観や金銭観を反映して生じたものであり、翻って中国の討債鬼故事には、中国における家や家産、父子関係などの特性を見ることができるのである。