本研究はワレリウス・マクシムス『記憶に値する行為と言葉』(Valerius Maximus, Facta et Dicta Memorabilia, 以下『著名言行録』と略記する)の修辞学的諸側面の研究である。この著作は、著名な歴史上の人物の言行を、それらが具現する徳や幸運といった抽象的概念に基づいて集成した「範例集」exemplaというジャンルに属する著作であり、皇帝ティベリウスの治下、紀元後30年前後に書かれた。修辞学が実生活にも文学にも強い影響を持つようになった帝政初期のこの著作家と著作が、様々な点で修辞学とつながりを持っていることはすでに知られているところである。しかし彼の生きた時代の修辞学の重要な諸側面である修辞学校、そこで教えられていた修辞学理論および模擬弁論(訓練または楽しみのために行われる架空の弁論)、それに影響を受けた白銀ラテン文学の潮流などについて、『著名言行録』との関わりを詳細に検討した研究はまだない。これらの現象は『著名言行録』全体に大きな影響を及ぼしており、それをできるだけ正確に測定することは、この著作を理解する上での重要な問題である。本研究はこの問題の解明を目的とする。各章の内容は以下のとおりである。

第一章では著者と著作の概要が提示される。ここで扱われるのは、著者と執筆年代、著作の概要、執筆目的、典拠、執筆手法、文体、後代への影響、写本伝承、近代以降のこの著作についての研究の諸点である。この概要を通じて確認されるのは、『著名言行録』と修辞学との関わりがどのような点に見いだされるかである。これらは以下の諸点に要約できる。まず、当時の教育を受けた人間として、ワレリウス自身が修辞学校における模擬弁論を中心とした訓練を積んでいた。つぎにこの著作自体が模擬弁論における例証や装飾のために題材を提供する役割を持っていたということは、十分ありうることである。また修辞学校における教育の結果として彼は、模擬弁論で主題として扱われたり例証や装飾のために挙げられたりすることの多かった歴史的出来事を記憶に留めており、『著名言行録』執筆のさいには書かれた典拠に頼らずともそれらを範例として書き加えることができた。同じくこの教育の結果、彼の文体は当時の流行に沿って修辞技巧に満ちたものとなっている。ここに見出される、執筆目的、典拠、修辞学理論の知識、文体のそれぞれが、続く章の検討の対象となる。

第二章では『著名言行録』の執筆目的が扱われる。この著作の執筆目的については、修辞学校での模擬弁論に向けた題材提供のためとする「修辞学的目的」説と、ここに収録された様々な徳を身に着けるように読者を鼓舞するためとする「倫理的目的」説の二説がある。この章では両者の比較と再検討から以下の結論が得られる。この著作の執筆目的は修辞学校に関連づけられており、この著作の用途をそこから切り離されたものと想定することは誤りである。しかしこの著作の先例となりえた範例集はむしろ倫理的教育を目的としたものであったと考えられる。この奇妙な状況は、ワレリウスの時代に、倫理的範例集の伝統に基づいて修辞学的範例集を作り出す動きがあったと想定すれば説明可能である。この想定は、修辞学校とそこで行われる模擬弁論との当時の状況と合致する。修辞学校での模擬弁論には倫理的教育という役割も負わされていたので、『著名言行録』がそれに役立つことを意図していた可能性があるからである。その場合にはこの著作の執筆目的に倫理的教育の意図も含まれていたことになる。

第三章では、『著名言行録』の典拠としてワレリウスが修辞学校における模擬弁論をどのように利用したかが扱われる。ここでは、この著作と模擬弁論的文献との双方に類似の出来事が現われる八つの事例を取り上げ、両者の描写の細部を検討することにより、両者の関連が明らかである事例と、明らかとは言えない事例が判別される。模擬弁論と関連が明らかである範例においては、『著名言行録』には次の特徴が一貫して見られる。ワレリウスは模擬弁論で争われる二つの立場の一方を是認し、そこで扱われる出来事をその立場から称賛ないし非難する。しかしその称賛・非難の理由として、彼は当時の模擬弁論において一般的であった論点を用いず、必ず自ら何らかの新たな論点を提示する。この新たな論点はその範例を収めている章の主題もしくはワレリウスのより大きな関心と結びつけられている。このような特徴が模擬弁論的素材を扱う範例において一貫して見られる原因は、模擬弁論は他の種類の文献と異なり、あらかじめ賛否両論が付された特殊な形の典拠であって、一方だけを他方への言及なしに取り上げることが困難であったということだと考えられる。したがってワレリウスはその出来事において自分が取る立場を何らかの新しい方法で理由づけしている。他方で、ワレリウスと模擬弁論との関係が両者の記述の細部の比較から明らかとならない場合には、前者の典拠は先行するラテン作家に求められる。ただしその場合でも、記述の一部に模擬弁論の影響を認めることができる場合も存在する。

第四章では、『著名言行録』に修辞学理論がどのように影響しているかを扱う。雄弁や裁判といった修辞学理論と深いかかわりを持つ事項を主題とする七つの章の検討から、ワレリウスの記述は三つの点で修辞学理論に依存していることが示される。第一に、これらの章に収められた範例の一部は修辞学理論書を典拠として書かれている。第二に、修辞学理論書を典拠として書かれている範例では、ワレリウスはもとの理論書においてそれがどのような教説の例証として用いられているかを理解し、その文脈に沿った利用をしている。このことは、彼が修辞学理論書を情報源として抜書きの対象にしただけではなく、そこに述べられている理論にも習熟していたことを示す。このような文脈の理解と利用はときとして典拠としている箇所だけに止まらず、同じ事例が別の箇所で別の文脈で用いられているときに、そちらを踏まえていると思われる場合がある。第三に、これらの章の構成には修辞学理論が影響している。章の内部については、範例が弁論の三種類や説得の三手段といった修辞学理論上の分類を踏まえて選ばれ配列されている章が見出される。また連続した章の構成については、修辞学の五区分や説得の諸手段といった修辞学理論に基づいて章が配列されている箇所が見られる。こうした構成は、ワレリウスがある主題に関連する修辞学理論を知っており、その全体をなるべく広く網羅するように範例を選んだり章を追加したりしていた可能性を示している。またワレリウスは、雄弁の持つ力のうちで、人々の感情を動かす力をとりわけ重視している。

第五章では『著名言行録』の文体について、従来扱われてこなかった側面を示す三つの試みが行われる。

Iではこの著作において個々の範例がどのように記述されているかに焦点が当てられ、選び出された五つの章の全ての範例の分析をもとに、そこには一定の要素からなる決まった形式があることが示される。『著名言行録』の範例の記述は、移行、行為者、状況、行為、意図、結果、評価というほぼ決まった要素から成っており、それらの間の順序も大きく動かされることはない。さらに、一つの要素を導入するためには少数の決まった手法(決まった接続詞、分詞構文、独立奪格など)が好んで用いられ、変化が少ない。

IIではワレリウスの文体が白銀ラテンへの転換点として捉えられ、そこにおいて白銀ラテンの特徴と黄金期諸著作の模倣やその改変とがどのように混合しているかが考察される。このことは、この著作と、同時代のウェレイユスの『歴史』と、彼らの典拠であるリウィウスとの記述がともに揃っている二つの事例を取り上げ、そこに見られる表現との類似を黄金期、白銀期の他の著作家に求めることによって行われる。このことから彼らが文章を書くさいに用いている表現が、目下の出来事についての直接の情報源とした典拠からの引用、その他の読書によって自然に身に着いた表現、前の世代の書物の読書によらずに身に着けた独自の表現という三つに分類できることが推定される。また同時に、彼らがこれらの種類の表現をかなり自由に組み合わせて自らの文としていることも示唆される。

IIIでは『著名言行録』における黄金期のラテン散文作家の模倣が取り上げられ、従来考慮されてこなかった可能性、すなわち内容的な関連は比較的希薄であるにもかかわらず表現上の模倣が生じているという可能性を考慮する必要があることが提示される。そのような模倣の具体例として、この著作においてスラが描写されている複数の箇所に見られる表現が、サルスティウス『ユグルタ』における彼の人物描写に依拠していることが挙げられる。この事例から、『著名言行録』における先行著作家との同様の類似について考察することが、必要かつ実りある研究分野であることが示唆される。

以上の考察を通じて、本研究で目的とした『著名言行録』が持つ修辞学との関わりの諸側面が解明される。その結果、ワレリウスが当時の修辞学から受けている影響の大きさが明らかになると同時に、この著作の執筆によって彼が当時の修辞学的な文学を巡る動きに積極的に参加しているさまも示される。