本論は明清時期の「文学世家」を研究の対象とする。「文学世家」とは、代々栄えた家のうち、特に文学の領域において、幾世代にもわたって大きな成果を上げ、文学的能力が世代をこえて伝承され続けた家のことである。魏晋南北朝時代の陳郡謝氏と琅琊王氏なども文学世家であるが、魏晋南北朝時代の門閥貴族型の文学世家とは異なり、本論の研究対象である明清の「文学世家」の多くは、科挙制のもとで、科挙で勝ち上がれる優秀な人材を続けて輩出できる宗族であって、そのうえ数代、十数代、乃至二十数代にわたって、文学人材を出し続けた宗族である。子弟の学識や文学的成果は宗族の社会的地位と声望の維持に直接関わっていた。明清の時代は、宋代に始まる新たな宗族制が大きく進展した時代であった。宗法思想の広まりにともなって宗族の組織化も進み、一部の力を得た宗族組織は、宗族の繁栄と発展のために、科挙人材の育成や、宗族の文化活動に積極的に関与し、宗族文学に深い影響を与えたのである。

本論では、まず二つの代表的な「文学世家」について、その実態を描き出し(第一章)、続いて宗族の教育活動と文化活動を考察することによって、宗族の文学人材の育成及び族人の文学創作、族人の文学作品の収集・編纂・出版・保管等の過程において宗族組織が果たした役割を明らかにし(第二章、第三章)、最後に姻戚関係を背景とした宗族間の文人の交遊が、その文学作品にどのような影響を及ぼしたのかを考察(第四章)することによって、明清の「文学世家」における宗族的要素を明らかにした。

 第一章「花咲く文学世家」において、海寧査氏宗族と桐城馬氏宗族を「文学世家」の実例として取り上げ、考察を行った。明清時代の文学宗族の多くは、江南地方、安徽、嶺南地方などを中心に栄えていた。それらの地域は明清時代において文化的に最も繁栄した場所であり、宗族組織のもっとも発達した場所でもあった。海寧査氏宗族が所在する杭嘉湖平原と桐城馬氏宗族の所在する桐城はまさにその代表的な場所である。海寧査氏宗族においては、古文で知られる第七世の査秉彝から、第二十二世の小説家査良鏞(金庸)に到るまで、十六世代、およそ五百年近くにわたって、詩、文、詞、小説などの領域で、すぐれた文学者を輩出した。一方、桐城馬氏宗族も、とりわけ清代の桐城派古文で知られるが、やはり十数代以上にわたっておびただしい数の作者を輩出し、道光十六年には、歴代の桐城馬氏の宗族成員の詩をあつめた『桐城馬氏詩鈔』を刊行しており、第七世の馬懋功にはじまる総計七十二名もの詩を収録している。

 第二章「明清宗族の教育事情について」においては、明清宗族の教育事情の視点から、「文学世家」の繁栄の原因を探ると同時に、宗族教育による文学活動への影響についても検討した。本章ではまず第一節において、家訓を中心に考察し、明清の宗族における教育重視の姿勢を明らかにした。第二節においては、陽川孫氏の残した豊富な族塾資料を中心に、明清時代における族塾設立の目的、運営状況、基本機能等について考察した。族塾の設立は、貧しい子弟の教育支援と人材育成を主目的とするが、儒家の「孝」・「悌」等の「齊家」思想の普及、宗族の子弟の適性による選別、宗族内の文学活動の促進にも役立ち、また宗族の出版や蔵書等の文化活動にも関与することが多かった。宗族の教育・文化事業に大きく貢献した族塾の活動を可能にしたのは、相当規模の学田等によって定期的に得られた収入であった。

 第三章「「故家」と文献」において、まずは第一節で明清文人の「文献故家」観について考察を行い、「文献可徴」、「文献可傳」の二面から「故家(世家)」の形成において宗族文献が占めた重要な役割を明かにし、また族人の創作活動に対して、「立言不朽」と「人々有集」の思想が大きく影響を及ぼしていたことを明らかにした。第二節では、宗族文献である族譜に収録された族人の詩文について、その収録目的、選択基準などについて考察し、宗族における文学の役割を確認した。族譜に族人の詩文を載せることは、先人の「嘉言」を後世に伝えるためであり、それによって先人の学問や道徳、或いは性情を子孫に伝えることができ、一族の手本として、子孫の教育に重要な意味を持っていた。そのため、その内容が儒家の思想にあっているかどうか、宗族のためになるかどうか、表現が高尚であるかどうか、作品を厳しく選択しなければならなかった。最も重要な宗族文献――族譜に族人の詩文を載せることは、宗族の詩文文献を保存することはもちろん、宗族の詩文伝統の世代間の伝承と一族の家学を形成する過程においても、大きな影響を及ぼした。第三節では、『九江朱氏傳芳集』という南海九江朱氏宗族の家集(総集)を取り上げ、宗族文献である家集の概念、歴史、編纂目的などを分析することによって、「文学世家」の詩文総集の編纂に対して宗族組織が果たした大きな役割を明らかにした。

 第四章は宗族間の婚姻と交遊関係という視角から、宗族間の文人の文学交流と相互影響を考察する。文学世家間の婚姻関係は、宗族間の文学交流を促進する要素の一つであり、宗族の文人に与える影響は実に様々な面に及んでいる。本章は海寧査氏宗族の詩人査慎行と秀水朱氏宗族の朱彝尊との交遊を詳しく考察した。生涯を通じて続いた朱彝尊と査慎行の師友関係は宗族間の姻戚関係を始点とする。特に年齢の若い査慎行は、朱彝尊を師として仰ぎ、詩風・詞風ともに朱彝尊の「博」・「雅」の文学思想から影響を強く受けた。また、朱彝尊の奨励とひろい人脈も、査慎行が詩人として成功した要因である。このように、宗族間の姻戚関係を背景にできた文学交遊は、宗族の文学人材に優れた文学環境を与え、宗族の発展につながる有利な外部環境を形成した。