カント倫理学における実践的理念の内実と位置づけを検討する作業を通じて、倫理学の学問性の問題を検討する。

 カントはその主著『純粋理性批判』において、実践的な意義を持つ理念として、知恵、徳、「プラトンの共和国」、そして人格的な「理想」を挙げるとともに、「倫理性、立法、および宗教の原理に関することがら」においては、「理念が経験そのもの(善についての)をはじめて可能とする」と主張する。本論文はこうした実践的理念の種類とそれが関係する領域の区分に基づいて、知恵の理念と哲学、徳の理念と狭義の倫理学=徳論、「プラトンの共和国」と法哲学・国家論、人格的理想と宗教論という、カントの実践哲学における四組の「学と理念」の連関の様子を検討し、そのことでカント倫理学において「学」の客観性と生き方を導く「智」の主体性を統一する点を、実践的理念のうちに探るものである。

 本論文は三部構成であり、それぞれの部がふたつの章からなる。まず第一部のふたつの章で、第二部・第三部での四組の「学と理念」の問題の検討に先立ち、影響史・源泉史(第一章)と発展史(第二章)の観点からカントの理念論の背景を明らかにする。続く第二部のふたつの章では、カントの哲学的倫理学の根本的な視点を「知恵と徳」というふたつの理念に照らして解明することを目指し、哲学と知恵(第三章)、倫理学と徳(第四章)という二組の「学と理念」の結びつきの様子を検討する。さらに第三部のふたつの章では、共同体と人格という倫理学の基礎問題を哲学的に考察するための方法論を再考するために、「プラトンの共和国」等の共同体の理念と法哲学・国家論(第五章)、そして賢者やキリスト等の人格的な「理想」と宗教論(第六章)という、残る二組の「学と理念」の問題を取りあげる。

 まず第一部第一章では、影響史・源泉史の観点から、カントが「理念」ということばのもとで何を理解し、何を問題としていたのかを正確に捉えるために、カントがこのことばをそこから継承した、プラトン哲学とそのイデア論についてのカントの理解と発想の源泉を探る。ブルッカー『批判的哲学史』、ライプニッツ『人間知性新論』、マルブランシュ『真理探究論』の三冊を主要な源泉として取り上げ、プラトン哲学とそのイデア論についてのカントの著作・書簡・遺稿・講義録での発言と照らし合わせながら、それぞれの影響の様子と可能性を明らかにしてゆく。まず従来の多くの研究も指摘してきたように、カントがプラトン哲学についての知識の多くをブルッカー『批判的哲学史』に負っており、同書からの影響のもと、感覚的なものと知性的なもの、フェノメノンとヌーメノンの区別をめぐる古代哲学の流れのなかに、カントがプラトンのイデア論を位置づけていたことを明らかにする。ただカントのプラトン理解に特徴的なことは、「プラトンとライプニッツ」や「プラトンとマルブランシュ」といった図式を用いて、プラトン哲学を近代哲学の問題に直接的に結びつけようとする態度である。そこで、プラトンのイデア論がアリストテレス―ロックの経験論の系譜に対する批判的な視点として持つ意味をライプニッツから学び、またマルブランシュの「すべてを神において見る」という教説とプラトンの想起説を連続的なものと見るなど、カントがライプニッツとマルブランシュを通してプラトンを見ていた次第を、続いて明らかにする。さらにこうしたプラトン・ライプニッツ・マルブランシュの系譜から、カントは経験に由来しない概念(イデア、生得観念)と普遍的・永遠的な真理からなる学の密接な結びつきや、その概念の起源を説明する様々なアイディアを学ぶ一方で、そうした概念を神と結びつけようとする神秘主義の傾向を一貫して批判していたこと、そしてそうしたカントの態度のうちに、神の知性から人間の有限な知性への、また宇宙の創成論から倫理学・実践哲学への、Idee(イデア、観念、理念)をめぐる問題場面の根本的な転回が認められることを、結論として指摘する。

 さらにこの章の「補論」では、プラトンの対話篇(の翻訳)の直接の読解や、メンデルスゾーン『パイドン』、ルソー『演劇的模倣について』をカントのプラトン理解の源泉として主張する、代表的な先行研究の諸説を取り上げ、それらの説を本論で積極的に採用しなかった理由を示すことで、本論での源泉史の議論を補う。

 続く第一部第二章では、カントがプラトン哲学とそのイデア論を受容した、一七七〇年の『感性界と可想界の形式と原理について』の前後の時期を、それ以前の約十年間と、『純粋理性批判』に至るその後の約十年間の歩みのなかに位置づける発展史の作業を通じて、プラトンのイデア論の受容がカントの倫理学説の展開と発展に対して有する意味を考察する。本章の前半で明らかにするように、一七五〇年代末から六〇年代の時期のカントは、批判期の倫理学説に通じる倫理学上の様々なアイディアを蓄積する一方で、この学の第一原理の基礎づけの問題に関しては、形而上学の基礎づけの問題以上に深い闇のなかで模索を続けていた。その六〇年代の模索のちに、カントは第一章で検討した文献を介してプラトンのイデア論を受容し、倫理学の学問性の問題に関してまったく新しい立場に移行する。倫理的評価の第一原理は理念(イデア)であるゆえに、倫理学は形而上学のペアとなる「純粋哲学」なのである。そして一七七〇年の『形式と原理』のあとの沈黙の時代にカントは、倫理学の学問性と理念の意義についての視点を維持しつつ考察を深め、その先に『純粋理性批判』が登場する。そうした約十年間の模索という背景を参照しながら『純粋理性批判』での実践的理念についての論述を検討し、その圧縮された論述に込められた実践的理念の位相と意義についてのカントの見解を読み取ることが、本章後半部の課題となる。

 第二部では、まず「序章」でカントにとっての知恵と哲学、徳と倫理学の結びつきの様子を概観したうえで、続く第三章と第四章で、それぞれ「哲学を学ぶことはできるか」と「徳は教えられうるか」という、哲学・倫理学の学問性の根幹に関わる問いへのカントの答えの意味を再検討すべく、知恵の理念と徳の理念の内実と位置づけを検討する。知恵の理念を取り上げる第三章では、発展史的な観点も取り入れて、前批判期の著作にカントにとっての知恵の原型的なイメージを、『純粋理性批判』「純粋理性の建築術」章などに批判期のカントの学問論・哲学論における知恵の理念のあるべき位置づけを探る。そのうえで、その知恵の理念に照らしてカントの「哲学すること」の実際をよく明らかにすることができると筆者が考える、「知恵のはじめ」としての自己認識を問題とする『人倫の形而上学・徳論』の部分(とその部分に関係する草稿)を取り上げる。カントの知恵と哲学をめぐる思考にも、ソクラテス以来の神の知恵と人間の知恵の隔絶の意識が貫いていること、またカントにおいて知恵の理念は、人間の知的探求を導く統制的な意義を持つとともに、人間の知性が抱え込まざるをえない暗がりを暴きだす意義を持つことが、この章の主要な結論をなす。また徳の理念を主題とする第四章では、『たんなる理性の限界内の宗教』と『人倫の形而上学・徳論』を中心に、「道徳性」と「人間性」というふたつの側面から徳の理念の内実を明らかにした上で、その徳の「教え」にとっての学問的・原理的な反省の意義を、カントの視点から考察する。カントは倫理学の学問性の根幹にかかわる徳の「教え」の可能性をめぐっても、理論そのものにとっては付随的なものでしかありえないその応用や伝達の方法などではなく、理論そのもののあり方と理論に関わる専門家の態度を一貫して問題とし続けた。利益による誘導や脅し等ではなく、徳の純粋な理念にまで遡る、ひとつの形而上学である倫理学=徳論によってのみ、徳の「教え」の可能性は確保される。ソクラテス・プラトンの発想をそれと意識することなく継承しつつ、このように説くカントの徳の「教え」の理論が示唆することがらを考えることが、この第四章の最終的な課題となる。

 最後の第三部では、まず「序章」で『純粋理性批判』の理念論・理想論一般における「プラトンの共和国」と賢者等の人格的・倫理的「理想」の位置づけを確認したうえで、法哲学や宗教論をも含むカントの実践哲学における、両者の理念の意義と位置づけを第五章・第六章で考える。カントは主に一七九〇年代の著作で展開した、政治をめぐる生々しい現実と向き合わざるをえない法哲学・国家論においても、また「たんなる理性の限界」を超えたものとの緊張関係を含みこまざるをえない宗教論においても、第二部までで確認してきたような、まず自分自身のうちに立ち帰り、さらにその自己のうちに宿る理念へと上昇して、そこから自己と世界の現実を見据えるという哲学者としての態度を崩していない。そうしたカントの哲学者としてのスタンスを、カントにとっての理想国と自然状態の構造や、理想と実例・偶像の対比と『たんなる理性の限界内の宗教』におけるキリスト論の議論の水準など、カントの法哲学・国家論と宗教論の基本的な論点を概観しながら、明らかにしていくのが第三部に属する第五章と第六章の課題である。

 こうした一連の考察を通して導き出される、実践的な意義を持つ「理念」こそが、法論や宗教論も含めた広義のカント倫理学において、客観的な「学」と主体的な「智」の統一という、哲学の原初的・根源的な課題に応えるための主要な基盤であったというテーゼが、本論文全体の結論となる。