本論文は、新約聖書の四福音書最終部に描かれた「受難物語」に題材をとり、この物語を、キリスト教正/聖典にその記録が留められ歴史上の実在が認められるイエスという人物の生前の活動と死を通して原始キリスト教が成立してゆく状況の様相を歴史的文化的コンテクストにおいて重層的に辿る際の基礎資料として用いるための便宜を図り、またその資料としての有効性及び有益性を提示するために、現行のテクストに対して文献学上の分析を加え、同時に編集史をも勘案した上でその古層を再構成したものである。

本論における同物語古層の再構成はまた、当該宗教(キリスト教)内の学問領域において研究対象とされ対外的にも提示される狭義のキリスト教神学下位科目としての聖書学の枠組みを超え、前者と異なるより一般的かつ普遍的な基礎文化研究学問分野である宗教学宗教史学における宗教の聖典研究の一つの方向性と学問的有義性を、文献学的手続きを経た上で広く提示するための基礎作業として意図したものでもある。

 この目的に則して本論は、冒頭に序章を置き本論全体の目的を明示した後に、第一章から第三章にかけて受難物語古層を段階的手続きを経て具体的に再構成し推定して提示した上で、最終部に本論において行われた研究を基礎作業として今後更に展開されるべき学問的方向性をより実際的に示唆する内容を述べたものとしての付論を加えた五章構成による。

 これら五章全体から、本論の目的と学問的位置づけとを述べた序論の後、三章に及ぶ本論中心部の概要を中心とした要旨は以下の通りである。

 第一章は「受難物語古層の想定を巡る研究史上の諸論と方法論の確定」とされるもので、「受難物語」の成立に関する先行研究を網羅的に取り上げて整理しつつ、その特徴と問題点を検討した上で、受難物語古層を再構成してゆく前提としての方法論を確定するための章である。

 「受難物語」とは新約聖書諸(四)福音書最終部に編集されたイエスの死を詳述する物語部だが、そもそも原始キリスト教成立最初期に存在したイエスの死に関わる伝承として、イエスの死のみならず復活信仰を含む「ケリュグマ」として知られる伝承形態が広く知られる形で既に存在していたと想定されているのに対し、これとは異なるかたちでイエスの死について報告される「受難物語」古層の伝承が成立していったのは何故なのか、またどのような状況がその成立背景と想定されるのかという根本的な問いを念頭に置いた上で先行諸研究を整理すると、先行研究の中で初期の諸研究において中心であった、四福音書中最古の成立とみなされる「マルコ福音書」に基づいた編集史的操作により受難物語古層を想定するというアプローチ法に対して、むしろ同物語伝承の成立及び伝搬経路はより複雑であり、最古の福音書である「マルコ福音書」記者に同伝承が伝えられた以外にも、幾つかの伝搬経路が想定されることが必須であるとの見解が徐々に提示されて諸研究が展開されてきている状況が認められる。このような研究動向の中で、現行の「マルコ福音書」受難物語から受難物語古層へ、及び現行の「マルコ福音書」「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」受難物語から受難物語古層へと大別すれば二つに分かたれる方法論に関する議論の展開の中で、これら個別の諸研究の妥当性を詳細に検討すると、現段階において最も妥当だと思われる「受難物語」古層再構成のための方法論は、上記の二つを超えた第三の方法ともいえる、現行の「マルコ福音書」「ヨハネ福音書」二福音書受難物語から同物語部の詳細な比較検討手続きによってその古層が推定されるものであるべきであるとの結論が導かれ、これにより、この方法に基づいた本論における受難物語古層再構成の方法論が確定される。

 第二章は、「マルコとヨハネ受難物語共通記事と共通の古層の伝承」として、先の方法論に基づいて古層が再構成される際に必須とされる更なる具体的な前提を整えた内容となる。

 即ち、現行の「マルコ福音書」及び「ヨハネ福音書」両福音書から、受難物語の筋に鑑みた共通エピソードを抽出し、その他に、どちらか一方の受難物語にのみ現れるエピソードの扱い、また双方に現れつつも古層から両福音書に伝承が至る迄の過程及び両福音書の文脈に組み込まれる段階で編集されたものとみなされるエピソードの扱いを個別に検討して選別し、受難物語古層を再構成し推定する際に、「マルコ福音書」及び「ヨハネ福音書」双方において実際に比較検討するべきエピソードを更に細かくリスト化し、次いでこれらのエピソードをギリシア語原文及び日本語訳両テクストにおいて対置した表として示したその後に、これらの表に示されたテクストの中で、エピソードの内容全般の中で、特に共通して用いられているギリシア語の単語、表現などの語彙について、分かり易く印を付して提示したものである。

 第三章は、「マルコ及びヨハネ受難物語共通箇所に基づく受難物語古層の想定」として、第一章で検討し確定された方法論並びに第二章において具体的に対置して提示された現行の「マルコによる福音書」「ヨハネによる福音書」受難物語共通箇所について語彙検討・伝承史及び編集史上の分析を加えつつ、両受難物語の物語上の筋をも勘案した対照検討手続きを経て具体的に、受難物語の古層を再構成し想定する章である。

 その結果、両福音書受難物語に共通する14エピソードから、「マルコ福音書」において受難物語枠内に連なるが「ヨハネ福音書」において完全に受難物語枠外に位置する「神殿への批判行動」のエピソード、また「マルコ福音書」において受難物語枠内に連なるが「ヨハネ福音書」において受難物語枠内から相当に外れた箇所に位置する「塗油物語」のエピソードの扱いについて、伝承史的分析及び物語展開の筋に関する検討から、前者は受難物語古層に含まれないが、後者は含まれるものとみなされることが妥当と想定した。更に、14エピソード中、「裏切りの予告」「躓きの予告」の両エピソードは、古層において「捕縛」のエピソードと不可分のかたちで伝えられていたものと判断し、また、「空の墓」のエピソードは、「マルコ」「ヨハネ」両福音書において語彙の一致が僅かに一部において顕著であるものの全体のエピソードの分量に比してはその数において希少に過ぎること、また双方において相当な物語の拡大が見られ、その背景として受難物語とは別の「ケリュグマ」伝承の系統における「復活物語」を意識しまた考慮して両福音書において共にまた別個に古層の受難物語伝承に基づくことなく後の編集 段階で付加されたものと想定するのが妥当であると考えられるという点、更に古層の受難伝承が形成され伝えられた本来の目的とその目的に応じた内容上の筋という観点からその筋に合致しないとみなされることから、古層の受難物語には含まれないものであると想定した。

 これらを含む個別かつ全体的な語彙及び伝承史編集史また物語の筋に関する検討から古層の受難物語は、その始まりが「イエス捕縛の謀議」、終わりが「埋葬」のエピソードと同定され、その枠組みにおいて物語内部に、「エルサレム入場」「塗油物語」「最後の食事」「捕縛」「大祭司の尋問」「ピラートゥスの尋問」「嘲弄」「磔刑」「埋葬」が含まれる全10場面のエピソードからなるものであったと想定された。また、これら全10場面内部の記述に関しても、前述の通り現行の「マルコ」「ヨハネ」両受難物語のギリシア語テクストから、両福音書における語彙及び内容上の特徴並びに伝承史編集史上の分析を加えてそのギリシア語テクストを再構成し、更にこれに対して日本語訳を付して提示した。

 結論として、このようにして再構成されたテクストが受難物語古層と想定される際に考えられる古層伝承の宗教史的特徴としては、キリスト教という世界宗教の根本信仰及び教義である「復活信仰」が含まれないものとして同物語古層が成立したものであると想定されるという点が鮮烈である。それはどのような需要及びそれに応えるものとして成立したものかと考えると、原始キリスト教発祥の根幹となったイエスという実在の人物の死の状況について詳細に知ることが望まれた状況の受容に応じて一貫した筋をもって成立したものであると想定され、その意味においては、受難物語古層は死を描く文学とも形容され、それは人文社会系の学問分野を含む多分野を横断して昨今その需要が認められる死生学とも連なる関心に基づいて成立したものとしても位置付けられることが可能なものであるということが認識された。

 その意味においても、本論においてなされた受難物語古層の再構成と想定とは、これを基礎作業として位置付けた上で、更に発展的研究へと連なるものであることが認められたといえる。

 なお冒頭で述べた通り、本論における受難物語古層の検討は、イエスという実在の人物の生前の活動と死の出来事を起点として、受難物語を含む新約聖書諸文書が成立しつつ原始キリスト教が発祥し展開していった歴史的文化的文脈 としてのヘレニズム・ユダヤ世界における宗教運動の考察を更に将来において目指すための基礎作業として意図したものである故に、本論最終部は付論とし、本研究が今後発展すべき方向性へむけて具体的な研究題材となるべき様々な著述及び文学モデルについて、ヘレニズム世界における伝記記述、ユダヤ・ヘレニズム殉教文学、ユダヤにおける迫害・弁明物語、悲劇に類する諸作品群の中から幾つかの作品例を提示して、それらの受難物語古層との類似性や関連性について、それら全般の成立コンテクストが問われつつ本研究が更に展開されるべきことの有効性と可能性とを具体的に示唆するものとした。