『うつほ物語』(10世紀後半の成立、日本現存最古の長編物語)は、平安中期の貴族生活の様子が数多く描かれていることから、平安時代の他の作品の研究及び、他の研究分野における史料としても注目されているが、その文学作品としての評価は、後続の『源氏物語』(11世紀初頭の成立)と比較して、構成・描写方法などさまざまな面で格段に劣るとされてきた。しかし、史料を用いて歴史と風俗の視点から物語表現を分析すると、一見単調・羅列的に見える叙述のなかに、人間の多様さやその複雑な心情が描き込まれているさまを浮かび上がらせることができる。本稿では、そのような視点から、『うつほ物語』に描かれた貴族生活の中でも、【第Ⅰ部】男性貴族の官職、【第Ⅱ部】皇妃、【第Ⅲ部】年中行事、【第Ⅳ部】通過儀礼の順に検討を加え、物語の表現に隠された意味を明らかにしようと試みた。
 まず、【第Ⅰ部】では、男性貴族の官職は人物の社会的地位や学才を判断する基準となることから、第1章「『うつほ物語』の官職―氏族別の公卿の輩出状況―」で登場人物の官職を氏族別に整理したところ、『うつほ物語』では公卿(朝廷の高官)の席を源氏が占める割合が藤原氏よりも高く、10世紀後半の史実よりも源氏優位になっており、作者の源氏一族への思い入れの強さを示し、「国譲」巻の立太子争いを源藤両氏の勢力が拮抗した緊迫感の高いものにする設定となっていることが明らかになった。次に、第2章「藤原仲忠の内大臣辞退をめぐって―『うつほ物語』成立時期における大臣任命状況から―」では、主人公藤原仲忠(33歳)が「楼の上・下」巻で内大臣を辞退する場面について、史実における大臣任命年齢と内大臣の位置づけの検討から、仲忠が比較的若く摂関へのステップである官職に抜擢されたことを指摘した。そして、その抜擢によって政情が不安定になることを危惧したことが辞退の理由であることを明らかにした上で、仲忠の人物造型全体に視点を広げ、その多面性は先行作品には見られないものであると文学史上に位置づけた。続いて、第3章「民部卿源実正と侍従源仲澄の人物造型―在任状況という視点から―」では、民部卿については、史実では大臣に昇進する可能性もあるが極官は納言というイメージがあり、それが源実正の人物設定に影響していることを明らかにした。侍従については、史実において4年以上侍従を務めた人で大臣まで昇進した人はいないことに着目し、それが物語中で長期在職している源仲澄に投影し、より悲劇的な人物像にする効果を担っていることを考察した。さらに、第4章「源実忠の中納言昇進人事をめぐって」では、「国譲・上」巻末で参議の源実忠が上席の左大弁兼任参議をさしおいて中納言に昇進することが異例であると位置づけられていることに注目した。このことは、史料で確かめると『うつほ物語』の虚構で、その虚構によって、第一に作者の弁官(学才を有する人が任命される官職)重視の姿勢、第二に人事を推進した源正頼の学才を重んじる理想的な政治家としての側面が表現されている。そして、後続の場面において、この昇進人事が正頼ではなく娘のあて宮の功績であると他の登場人物から見なされているのは、あて宮が国母として門閥を越えた政治を進めていく後の物語展開への布石であることを指摘した。また、正頼の人望のなさが繰り返し描かれ、他者との認識のずれが書き込まれていくのは、あて宮の理想性を際立たせることに加えて、立太子争いで正頼の不利を際立たせて物語に緊張感をもたらす効果があることを考察した。
  次に、【第Ⅱ部】には皇妃にかかわる論文を中心に収め、第1章「「まかなひの女御」の虚構性―「内侍のかみ」巻の恋愛模様―」では、「内侍のかみ」巻の相撲節において女御が「賄ひ」(=食事の給仕)を務めている場面に着目し、史料の調査から、女御が「賄ひ」を務めることは虚構であり、その虚構によって女御と男性貴族たちとの恋愛を情趣豊かに描くことが可能となっていることを指摘した。また、その延長線上に描かれる朱雀帝と俊蔭の娘の関係を含めて、『うつほ物語』を貫く婚姻外の男女の精神的な愛情という主題が浮き彫りにされていることを考察した。続いて、第2章「続「内侍のかみ」の恋―朱雀院と俊蔭の娘の贈答歌の解釈をめぐって―」は、皇妃を扱うものではないが、第1章で指摘した主題が、物語の結末に至るまで朱雀院と俊蔭の娘の間の心情の交流の基底をなしていくことを指摘するもので、「楼の上・上」巻末において、朱雀院と俊蔭の娘との間で交わされた贈答歌の解釈を検討し、第1章を補強した。さらに、第3章「女御宣下と牛車の宣旨―「国譲」巻の立坊争いをめぐって―」では、「国譲・下」巻で、新帝とその母が皇妃たちへの女御宣下をめぐって交わした会話に注目し、史料の調査から、第一に立太子時に皇子の母には女御以上の身分が必要であること、第二に『うつほ物語』が書かれた時代の共通認識では女御の定員は3人であることが会話に反映していることを明らかにし、女御の人選を行った新帝の人物造型や物語展開に史実が有効に用いられていることを考察した。また、同会話において、女御にしない皇妃に対して牛車宣旨を与えているが、それを輦車(てぐるま)宣旨(=女御待遇)の誤りであるとする注釈書がある。しかし、史実には臨時措置として内裏内で牛車通行が行われた例があり、「牛車」のままで読むことも可能であることを指摘した。第4章「后の童女使用―『うつほ物語』以後の時代―」は、『うつほ物語』を中心に据えた論文ではないが、皇妃を扱っており、『源氏物語』「少女」巻に見られる后の童女使用という風潮が『花鳥余情』(『源氏物語』の古注釈書)で一条朝に始められたと指摘されていることに着目した。そして、史料の調査から、一条朝以前の后は童女を使用しないことによって他の皇妃との格の違い・威厳を示していたと推測されるが、一条朝の后は威厳よりも風情や趣向を重んじ、大人との境界にある少女たちを使用する方向へと世の風潮を変えていったと考えられ、そのことが「少女」巻にも反映していることを考察した。
 続いて、【第Ⅲ部】には年中行事にかかわる論文を収め、第1章「『うつほ物語』と年中行事」では、『うつほ物語』に描かれた年中行事の説明と物語展開における意味、近年の研究史を踏まえた上で、『うつほ物語』において節会(せちえ)(天皇主催の宮廷行事)が重視されていることを考察した。その年中行事の中から、第2章「賭弓の還饗における垣間見―源仲頼の断ち切れない思い―」では、賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)(勝負に勝った方の近衛大将が自邸で催す饗宴)における座席の位置に着眼し、史料の分析と物語展開の方法から、少将源仲頼が高貴な姫君を垣間見る絶好の位置に座ることができるのが還饗という場であったことを確認し、その状況設定の巧みさによって垣間見をした仲頼の衝撃が必然化されるとともに、単純には割り切れない複雑な心情を描き出す契機となっていることを明らかにした。第3章「相撲節の虚構―左大将家での準備・倚子の使用―」では、相撲節の準備期間を描いた部分に注目し、第一に左大将源正頼の屋敷に相撲人たちが集められていること、第二に左大将が自邸で倚子(いし)を使用していることが史料に照らし合わせると虚構であり、その虚構によって、左大将正頼が相撲節に熱意を傾け、大将としての立場以上に強い権威を示して相撲人たちに対していることを考察した。
 最後に、【第Ⅳ部】には通過儀礼にかかわる論文を収めた。まず、第1章「『うつほ物語』と通過儀礼」では、『うつほ物語』に描かれている通過儀礼を生誕から死後の追善法要まで順に確認し、古記録などの史料や文学作品との相違点・共通点を指摘した。その通過儀礼の中から、第2章「幼女の「裳」着用をめぐって―仲忠のいぬ宮養育姿勢―」では、裳着(成人儀礼)にかかわる問題をとりあげ、『うつほ物語』では幼い少女たちが裳を着用している様子が描かれていることについて、史料の調査から幼女の裳の着用は虚構であることを確認し、大人の衣裳を着せられることによって、子供たちの幼さ・小ささが強調されていることを指摘した。また、(1)いぬ宮に仕える童女たちについては、入内・立后をめざして養育している娘(いぬ宮)との差別化を徹底しようとする仲忠の意志であること、(2)いぬ宮の着用については、秘琴伝授に厳粛な態度で臨ませようとする仲忠の姿勢が表されていることを指摘し、入内・立后と秘琴伝授の二つを見据えた仲忠の養育姿勢が物語に貫かれていることを考察した。さらに、第3章「服喪期間と喪服の色―実忠と北の方のそれぞれの思い―」では、平安時代の物語に描かれた服喪表現は、先行論では死者と残された人々との人間関係を表すとされるが、本稿では源季明(主要登場人物の源実忠の父)の死に伴う服喪の描写に着目し、同時代の史料による分析結果から、死者との関係のみならず、残された人々同士の微妙な心情を照らし出すという『うつほ物語』独自の表現方法を発見し、文学史上、『うつほ物語』が先行物語よりも格段に深化した心情表現を持っていることを検証した。
 以上、『うつほ物語』に描かれた貴族生活の一部をとりあげ、史料と比較したところ、史実と虚構が物語の表現・展開に効果的に用いられていることが確認された。その中には『うつほ物語』が創始した恋愛の形や心情表現が含まれ、『うつほ物語』は『源氏物語』と比肩するとまではいかないが、先行物語よりも格段に深化しており、現在受けている評価よりも複雑・深化した表現を有している作品として物語文学史に位置づけられることを明らかにした。