本博士論文は、平安時代の婚姻慣習の実態を再び物語の文脈に戻し、婚姻という視点から『源氏物語』の虚構の方法を解明するという立場に立脚し、考察を加えたものである。

 まず序論「平安朝の婚姻慣習―「妻」を表す用語から―」において、いわゆる「妻」を表す用語について改めて定義を試み、本稿での基本的理解を示した。ここでは「妻」「妾」の語の文学作品・古記録における使用法や、古辞書において配偶の女性を表す和名とされた語の用例調査から、当時の社会においては律令に見られるような妻妾区別の概念は見られないと結論づけた。

 第一部「婚姻研究史からの展望」においては、国文学のみならず、歴史学や社会学などでの議論も射程に入れ研究史の整理をなした。これは、従来の議論の位置づけを探るとともに、その問題点を炙り出すことを目的としたものである。

 第一章「婚姻居住形態と出自制」では、婚姻居住形態と家父長制の成立時期を焦点として婚姻研究史を辿り、戦前の定説であった父系制・夫方居住説から高群逸枝氏が提唱した母系制・妻方居住説へ、そして高群説への批判・修正を経て、当時の社会を双系制と見る現在の理解へとの流れを概観した。また、平安中期の婚姻居住形態についても調査し、夫婦同居の際の邸は妻・夫いずれが用意する例も見出せる点を再確認した。

 第二章「一夫多妻の内実」では、正妻の条件とその性格についての諸説を検討し、正妻事前決定説や一夫一妻制説には従えないことを述べた。すなわち、同居や儀式婚、初妻も正妻の絶対条件とは言えず、更には法的根拠も認めづらいことを、具体的事例を通じて指摘したのである。正妻とは、所生子や後見・愛情などをも含めた様々な条件により事後的に決定されるものであることを、藤原兼家・道長の事例の検討から主張した。

 第三章「紫の上の妻の座」では、未だ定説を見ない紫の上の妻の座について、正妻説・妾妻説両説の根拠を確認した。検討の結果、結婚形態・社会的地位・呼称・居住場所などはいずれも紫の上の地位を決定する確実な指標にはなり得ないという結論に達した。その上で、紫の上は正妻か否かという問題提起自体を見直す必要があること、彼女に特殊な位置づけを与えた物語の文脈から切り離して、婚姻制度の観点のみでその地位を裁断するべきではないことを主張した。更には、史実を押さえつつもそこから一端切り離し、各物語の文脈に即した検討を付すことの必要性を論じた。

 以上の問題提起を受け、第二部以下においては、物語の具体的な箇所に即して考察を加えた。まず第二部「婚姻居住形態から見る物語の論理」では、文学研究の立場からはあまり言及されてこなかった物語作品内の居住形態について、各物語の論理と関連づけての考察に努めた。

 第一章「平安朝物語の婚姻居住形態―『源氏物語』の「据ゑ」をめぐって―」は、平安朝文学作品における「据ゑ」の用語について再検討し、『源氏物語』の独自性について考察したものである。他作品と異なり、結婚後も後見のない我が身に苦悩する女君の姿を描く『源氏物語』の眼差しについては、同じ「据ゑ婚」である『うつほ物語』や『落窪物語』の女君ではなく、むしろ『蜻蛉日記』道綱母のあり方を念頭に置くことでより理解できる。また、婚姻居住という視点を導入することで、『落窪物語』に見られる夫方居住重視の思考と主題との関わり等が見出せることについても、併せて言及した。

 第二章「「対」の女君―平安朝物語の妻の座をめぐって―」では、従来妾妻の証左とされてきた「対」を冠した呼称を取り上げた。検討の端緒として、邸宅内での居住場所と妻の座について確認し、更に「対」呼称と女房名との近似性を指摘した。その上で、妻妾同居という虚構的な居住形態が設定された『うつほ物語』『源氏物語』において、「対」と称される女君がいかに描き出されているかを考察した。中でも紫の上の独自性に着目し、彼女にのみ用いられる「対の上」とは、その両価的な立場を示唆するものであり、まさしく一回的な呼称として理解できると結論づけた。

 第三部「一夫多妻制から見る物語の論理」は、一夫一妻制説の提出以来、未だ議論が紛糾している「妻」の位置づけについて考察したものである。いずれも物語を史料と見なす従来の研究方法を退け、物語に描かれる婚姻形態が作品の展開上いかなる仕組みとして働いているのかを考察したものとなっている。

 第一章「宿木巻における婚姻―「ただ人」の語をめぐって―」では、一夫一妻制説の根拠とされる『源氏物語』宿木巻の明石中宮の言を取り上げ、当該箇所を婚姻制度解明の史料としたり、物語に記されない背後の事情を推測したりするような従来の方法を否定した。匂宮のような人物の据え直しに見られる物語の複眼性を考慮に入れると、作中人物が正妻か否かを単純に両断するような方法はあまり有効ではなく、前述の明石中宮の言も、物語の多角的な視点を看取すべきところであると結論づけた。

 第二章「女二の宮「降嫁」―『源氏物語』今上帝の婿取りをめぐって―」では、皇女降嫁の研究史や史実を押さえた上で、『源氏物語』以前の史実にも類例を見ない在位中の父帝裁可の婚姻として描かれた女二の宮の降嫁について検討した。具体的には、他の平安朝物語や『源氏物語』正編に描かれる皇女降嫁との比較から、今上帝の「婿取り」というこの降嫁の独自性を指摘し、女二の宮降嫁を導き出す今上帝の心中思惟の描かれ方や、この降嫁に当たって炙り出される薫の特異な位置づけなどを論じた。

 第三章「蛍宮と真木柱の婚姻―『源氏物語』における婿選びに際する発言をめぐって―」では、『源氏物語』若菜巻の蛍宮と真木柱との結婚記事を取り上げ、物語の婿選びに際して反復される記述を、婚姻慣習を炙り出す史料とするのではなく、物語展開に関わる方法として捉え返した。すなわち、当該挿話が若菜巻の方法と分かち難いものとなっていることを、前後の場面の位置づけや、「親王」や「ただ人」という身分の両価性を意図的に利用していく物語第二部以降の方法に着目することで考察したのである。

 第四章「『源氏物語』の初妻重視―葵の上の「添臥」をめぐって―」では、『源氏物語』唯一の「添臥」の用例であり、初妻は正妻であるとの主張の際に屡々持ち出される葵の上に着目した。物語や古記録類における「添臥」の語の調査を行った結果、『源氏物語』に引きずられた従来の定義は再検討の余地があるとの結論に至った。更に、唯一の例外である『源氏物語』の用法については、光源氏の特殊な位置づけを照射する物語の方法として捉え、その上で、物語に散見する初妻を重んじる記述について考察した。

 第四部「婚姻用語・慣習から見る物語の論理」では、従来曖昧な理解に留まっており、未だ正確な定義がなされていない用語や慣習を取り上げた。いずれも、より正確な用語理解に基づく物語解釈を目指し、物語の具体的箇所に即して考察を付した。

  第一章「『源氏物語』の召人について―真木柱巻の方法をめぐって―」は、その概念の曖昧性により未だ議論が絶えない「召人」を、物語における表現の問題として捉え返したものである。具体的には髭黒の「召人」に着目し、真木柱巻の召人の前景化について考察を加え、これが物語第二部にも通じる多角的視点を象徴するものであったと結論づけた。

 第二章「平安時代の結婚忌月―東屋巻の「九月」をめぐって―」は、古記録・物語・陰陽道書などの検討により、平安時代に婚姻を忌む月とされていたのは、五・九月のみであったことを論証し、従来の諸説を否定したものである。その上で、『源氏物語』東屋巻で敢えて九月の忌みに言及されている意味について考察を加え、暦月意識と節月意識を併せ持つ『源氏物語』の月日設定意識にも言及した。

 第三章「平安朝物語における近親婚―『うつほ物語』『源氏物語』の方法をめぐって―」は、物語における近親婚に関する評言は、あくまで物語内部の文脈や論理に応じて解すべきとの考えのもとで考察を付したものである。具体的には、平安朝物語の兄妹婚の系譜を辿り、加えて、近親婚の可否を恣意的に捉えることで物語展開が切り拓かれていた『うつほ物語』『源氏物語』の方法を指摘した。

 以上の考察を踏まえ、結論「婚姻研究から見た平安朝文学史の再構築」においては、『源氏物語』に描かれた婚姻形態に対して議論が特に紛糾した理由を問い返した。具体的には、一夫多妻の中で苦悩する女君を描いたのは『源氏物語』が嚆矢であった点、『源氏物語』の成立した十一世紀前後が、妻の身分重視や正妻と妾妻の地位の隔絶などが見られる時代的転換点にあった点、『源氏物語』が以上のような時代の変化を敏感に感じ取り、身分の固定化や父権の増大が進む社会の中の女性の苦しみを鋭く捉えている点などを確認した。そして最終的に、人間同士の関わりを多角的に追求している点や、恋物語が男女一対の問題のみに終結せず、他者との関係性や過渡期にある社会の中での位置づけが常に問われていた点こそが、『源氏物語』の卓越性を支えていると結論づけ、本博士論文のまとめとした。