本論文は、「社会変動と知識人の運命」という問題設定の下、「ドイツ統一」と旧東ドイツ(DDR)の社会科学者(大学研究者)をモチーフに、社会変動によってもたらされた様々なジャンルにおける社会システムの変更に対し、社会科学という学問そのもの、あるいは社会科学を研究する場である大学、そしてその大学に勤務する社会科学者たちの「経験」を論じるものである。具体的には、「ドイツ統一」と時を同じくする1990/91年冬学期にベルリン・フンボルト大学 (Humboldt-Universität zu Berlin) の社会科学系2部局に勤務していた社会科学者のライフ・ヒストリー計42件を主要な分析資料として用いた事例研究である。

「統一」以来、数々の先行研究が既に存在する中、「東」側の経験はしばしば不可視化されてきた。そこには、「統一」後に旧東ドイツの大学で断行された大規模な構造変換――「大学改革(Universitätsreform)」と、それにより大多数の研究者が大学の職を去らねばならなかったことが大きく影響していた。「大学改革」はまた、学問と社会の関係性を顕わにする契機ともなった。そこで本研究は、「統一」のもう一方の当事者でありながらしばしば不可視化されてきた「東」側の経験に光を当てることで、「統一」に関する当事者経験の多様性を示すことを目指すとともに、これまで語られることの少なかった「東」側の当事者より、大学で働く社会科学者に焦点を当て、彼らの「統一」に関わるライフ・ヒストリーを収集、分析することとした。

インタビュー調査を重ねて得られた対象者による貴重な語りの分析では、多元的歴史の観点の下、彼らの「ドイツ統一」をめぐるライフ・ヒストリーには大きく3つの時期区分が設けられた。その第一期では、DDR時代の大学における緩やかな変化を伴う時間軸として「大学時間」という位相概念を導入し、「同時期に同じ大学で働く社会科学者」という共通項を持つ対象者たちのライフ・ヒストリーに対して集合的な理解を試みた。一方、東ドイツ時代には安定した類似のライフコース像を展望していた大学研究者たちにとって、統一後の「大学改革」は対象者集団の職業キャリアや進路を大きく決定的に分かつ転換点として作用したため、第二期では「大学改革」のプロセスが問題となった。そして、第三期として注目したのが、「大学改革」以後の各人の進路に多様な分化が見られる時期である。ここでは、「大学改革」を経て困難な状況に陥った対象者たちがその後の進路を切り拓く姿を「適応」の過程として捉え、5つの類型による分析を試みるとともに、「変動とエイジェンシー」の観点を取り入れることで、「適応」に関する5つの類型の中にも対象者の主体的な意味づけの方向性により更に多様なヴァリエーションが存在することを示した。

本論文は、以下4つの主要アプローチを適用するとともに、これらの議論を通していくばくかの社会学的な寄与をもたらすことを目指している。第一に、ライフ・ヒストリー・アプローチ――ベルリン・フンボルト大学を事例に旧東ドイツの社会科学者がたどったライフコースの多様性を示すとともに、不可視化されてしまった「東」の経験を議論の俎上に載せること。第二に、知識社会学的アプローチとして「ドイツ統一」前後を通じた旧東側大学における社会科学領域そのものの変化を問うこと。第三に、「個人史-社会史」という二項対立的な時間軸を媒介する位相概念を導入し、各対象者の「大学改革」後の進路の「適応」形態を類型化の上、「エイジェンシー」の観点により更なる多様性を読み解く試み。そして第四に、多元的歴史観によるアプローチとして、「ドイツ統一」という社会変動を通じて生きられた歴史の多相性を論じることである。「統一」に関わる当事者の多様性を示すのみならず、ライフ・ヒストリーの分析に歴史の多元性に関する分析概念を取り入れることで多元的歴史観による分析アプローチの有用性を検証する一方、「大学改革」という事例の歴史的な比較応用可能性に言及し、より豊かな歴史を描き出すための装置としての多元的歴史観 (multiple histories) が目指す多角的な歴史構築の一助を担いたいと考える。

本論により、「統一」後の「大学改革」を通して「知」を発信すべき人々が大量流出してしまったことこそが、後の学界における「東」からの視点の少なからぬ空白――不可視化されてしまった「東」の経験へとつながった点とそのメカニズムの一端を明らかにすることが出来た。また、収集したライフ・ヒストリー資料への多角的なアプローチによる考察を通して「ドイツ統一」に関する多元的歴史の構築に寄与するとともに、「統一」が旧東ドイツにおける大学の社会科学者および社会科学領域にもたらした変化の複合的な理解を深めることが出来たものと考える。

 

本論文の構成は以下の通りである。

先ず、第1章では本論文の主題である「社会変動と知識人」という問題関心に触れ、中でも社会と社会科学の関係に焦点を当てることに言及した。過去の歴史上、大学や研究者に大きな影響を及ぼした社会変動の例は数多く見られるが、本論では「ドイツ統一」という社会変動と大学の社会科学者に着目する。そして、およそ20年を経た「ドイツ統一」がこれまでどのように捉えられてきたのか、「統一」から20年余の経験を蓄積してきた現在の統合ドイツが新たにどのような問題に直面しているのかを概説した。その上で、「統一」に関する先行研究を概観し、旧東ドイツ科学者の立場から見る、統一後(大学改革後)の大学が抱えながらも不可視化してきた問題――「東」からの視点の不在という問題点を洗い出す作業を行った。最後に、本論文で使用する非常に重要な2つの分析枠組み――「多元的歴史」および「エイジェンシー」について、これらの視点がどのような有効性を持ち、本論文の分析の中でどのように用いられるべきか検討した。

次に第2章では、本論文の調査対象であるベルリン・フンボルト大学について、その歴史的固有性を記述するとともに、インタビュー調査を実施するに当たり基本資料とした大学講義要項のデータから、大学改革で一体何が起こったかの一側面を明らかにした。講義要項から大学組織構成に関する変遷を読み解く際には、今回のインタビュー調査で既に得られたライフ・ヒストリーの語りから該当する情報を参照することで大きく補完することが出来た。

第3章では先ず、今回のフィールド・ワーク調査をデザイン、活用する上で参考とすべき成功例として、2つの先行研究(T.ハレーブンとC.アンガーソン)を取り上げた。インタビュー調査の方法論を概観した後、実際に行うインタビュー調査の手法を詳述した。その上で、調査で得られたケース・レポート(個人史)の各件をなるべく簡潔な形で提示した。

第4章では、インタビュー調査で得られた口述データの分析枠組みについて論じた。分析の基準を設定し、そのための尺度を導入するに際し、本論で用いる3つの尺度を説明した。更に、実際のデータを経験的に5つの類型に分類・再整理した。

続く第5章では、大学改革の前史――「変動期(Wende)」までのDDR時代のフンボルト大学とそこに勤務する研究者たちの様子を「大学時間」という時間位相概念の下、ライフ・ヒストリーの集合から再構成するとともに、主要な論点について解説を加えた。

第6章の主題は「大学改革」である。いよいよドイツ統一を迎えたフンボルト大学が、どのような大学改革のプロセスをたどり、その中で個人がどのような運命と困難に向き合うことになったかを論じた。「大学改革」とは、DDR時代に流れていた「大学時間」の終焉であり、「西」側システムへの不可避の適応を伴った大学組織および集団の再編と解体を意味していた。

「大学改革」を経て後――大学で働く社会科学者であるという集団の共通性を失って後、ある者は研究職キャリアを継続し、ある者は他分野の職種への転換を余儀なくされるなど、対象者たちの職業キャリアは多岐に分化することとなった。第7章では、職業キャリアの分岐点で、彼らが次の進路の方向性を決定する際、どのような「適応」の過程が観察されたのか、そして決断の場で「エイジェンシー」はどのように作用したのかを分析した。「大学改革」で運命を分かった研究者のライフ・ヒストリーの軌跡は一様でなく、彼らの「適応」の過程と戦略を5類型に基づいて分析し、類型ごとの分類に従って各事例における「適応」の形態を明示した。

まとめの第8章では、再び「社会変動と知識人の運命」という最初の命題に立ち戻り、統一という社会変動とフンボルト大学で働く社会科学者の運命にとって「大学改革」とは何を意味し、どのような変化を及ぼしたかを総括した。尚、フンボルト大学における「大学改革」では異なる2つの担い手がいたことが確認された。更に、「統一」という社会変動に関する歴史の諸相がそれぞれのタイミングでどのように出会い、すれ違い、時に反発を生じさせるのか、そのダイナミズムに着目するとともに、各所のタイミングで時に決定的かつ効果的な推進力/抑制力となりうるエイジェンシーの発露を取り上げた。その上で、これら複層的な時間位相のタイミングによる作用が類型ごとにどのような差違と特徴を与えるのか改めて考察した。最後に、本論の分析で用いた諸概念を活用することにより、「社会変動と知識人の運命」という最初の問いにどのような応用が可能となるかを確認した。各時間位相を縦断的に俯瞰した時に立ち現れる「多元的歴史」の観点により、「統一」に関する歴史の多相性を描き出すとともに、問題をより複合的に理解することが可能となった。