本論文は、イスラームという宗教が、子育てについてどのような規範をもっているのかを明らかにする試みである。子育ては、古今東西の人びとが絶えず繰り返し行ってきた行動であるが、その指針は時代や地域によって大きく異なる。ある社会の子育て観を知ることは、その社会が根幹にもつ重要な志向性を理解することにつながる。子育てをめぐる規範は、経済的、社会的、政治的、あるいは思想的なさまざまな要因が絡みあい、変化していく。宗教が人びとの生活を律する大きな要素となっている社会においては、宗教もまた人びとの子育てを規定すると考えられる。
 イスラームの規範を、人間の生活における具体的な指針として提示するのが、イスラーム法である。本論文では、天啓の規範であるシャリーアを、人間の生活における具体的規範として導出したものをフィクフであると捉え、フィクフの内容を記録した法学書にイスラーム法が体現されているという立場をとる。9~20世紀にイスラーム圏の各地で著されたアラビア語の古典イスラーム法学書群を資料として、法学者たちが連綿と継承してきた法規定のなかから、イスラームの子育て観を抽出した。
 欧米や日本を対象とした女性史研究、家族史研究、子ども史研究などの分野では、20世紀後半以降、豊富な研究成果によって各社会の子育て観が提示されてきた。ところが、イスラーム圏については、一次資料の不足を最も大きな理由として、その子育てについての研究は非常に少ないのが現状である。古典イスラーム法学書は、必ずしも現実社会を反映しているとは限らず、社会史的な資料として扱うことは困難であるが、広範にわたるイスラーム圏に共有される理念を知るためには有効である。本論文は、イスラーム法の普遍的価値観を子育てという切り口からまず概観し、その上で歴史的、社会的変化を反映した法規定の発展についても可能な限り検討を試みている。
 本論文は、序論と結論を含む6つの章から成っている。以下に、各章の概要を示す。まず「第1章 序論」では、本論文の目的、研究史上の位置づけ、検討対象とする具体的資料を示すとともに、古典イスラーム法学書を読み解くための鍵となるイフティラーフ(法学者間の見解の相違)という概念について解説した。古典イスラーム法が、複数の法学派の共存という形で形成され、発展し、継承されたことは良く知られている。各学派は、同一項目の規定において、しばしば互いに異なる見解を提示している。通常それらは、各学派の学祖に由来するものとして権威づけられ、各学派の法学書に記録されてきた。また法学者間の見解の相違は、「イフティラーフの書」として分類することのできる法学書にまとめられ、それぞれの異なる見解を、その法源に遡って比較することも行われた。
 本論文が対象とする資料は、マーリク派の法学者による法学書を中心として、各学派の代表的な法学書であるが、「イフティラーフの書」を並行して参照し、互いに他の法学派の見解をどのように捉えていたのかについても検討を加えている。本論文では、スンナ派四法学派のうち、マーリク派に焦点をあてながら、他の法学派とも比較することで、マーリク派の特徴を浮かび上がらせるだけではなく、スンナ派イスラーム法全体を貫く価値観をも提示している。
 「第2章 イスラーム法における人間の成長段階区分」においては、イスラーム法が想定する子育て期間について考察するために、人間の成長段階区分と、それぞれにおける法的能力について検討している。本論文のテーマである子育ての対象となる「子ども」とは、イスラーム法においてどのように定義されているのか、また通常「子ども」であるとされる期間はどのように設定されているのかという問題を扱った。まず、成人することによって獲得できる法的能力の意義が、あらゆる分野において重視されていることを具体的に確認した。人間は、成人して完全な法的能力を得ることで、単独での契約などが自由に行えるようになると同時に、保護の対象からも外れることになるのである。
 つぎに、未成年期を二分する指標となる弁識能力について検討した。先行研究によれば、未成年者であっても弁識能力を獲得することで、一部の法的能力が成人と同様になり得るという。ただしこれはマーリク派には必ずしも妥当しないことを、複数の法規定より明らかにした。マーリク派における弁識能力期とは、ごく限定された短い期間にすぎず、他の学派のような未成年期を二分する概念としては機能していない。本章の結論として導かれたのは、マーリク派において、子どもは未成年時期全体を通じて保護や制限の対象となるのであり、出生から成人までの比較的長い期間にわたり、親元で育てられることが想定されているということである。
 「第3章 父親という存在」は、イスラームの家父長制的性格という評価に代表される強権的な父親像を、イスラーム法学書に記された法規定と照らし合わせて検証し、そうした評価に再考を促すことを目的とした。具体的には、父親が子にとっていかなる存在として規定されているのかについて、以下の各項目を検討した。まず、父親による子への扶養、後見、相続について概観し、父親が確定されることが、子の生存および安全のために不可欠であることを、具体的な法規定から確認した。イスラーム法の成立以前には、生まれた子の父親を確定する基準や方法が厳密には定められていなかった。イスラーム法は、婚姻制度を整備し、父子関係の確立を詳細に定めると同時に、子にたいする父親の義務についても明確に規定したのである。
 イフティラーフの検討からは、マーリク派が、他の学派に比して、父親に強大な権限を与える一方で重い義務を負わせていることが明らかとなった。父親を含む男系血族の権限がある程度確保されている他の学派に比べて、マーリク派では、子にたいする権限および義務を父親にのみ限定する傾向にある。しかし一方で、父親には子の生命を自由にするほどの強権は付されていない。また、父親の子にたいする権限が大きいことの理由として、父親の愛情という側面が言及されることもある。そのような多面的な価値観についても、それぞれ詳述した。
 「第4章 母親による子育ての位置づけ」においては、母性の尊重を重視するイスラームにおいて、実際の子育ては誰が、どのように担うべきであると規定されているかについて検討した。イスラーム法において、実の母親による子育ては強く推奨されているものの、母親に強制されているものではなく、むしろ母親にとっては権利でもある。そして第三者たる乳母による授乳や子育てについての詳細な規定が設けられている点もイスラーム法の特徴である。イスラーム初期のメディナの価値観を強く反映したマーリク派の規定においては、母系親族による子育てを推奨する価値観が残存していると考えられることを示した。
 「第5章 子どもへのクルアーン教育」においては、イスラーム法学者のなかでも、とくにマーリク派の法学者たちが、子どもたちへのクルアーン教育について積極的な言及を行っていたことを、その具体的内容とともに明らかにした。ここでの資料は、法学書だけではなく、マーリク派法学者によって著された教育専門書なども含む。イスラームの子育て規範においては、子どもにたいするクルアーン教育の重要性が古くから明確に提示されていたことが、それらの記述から見てとれるのである。
 イスラーム法学者たちによる記述からは、子どもを育てるのは、基本的には両親の責任であると認識されていたことが明らかとなった。また父親と子どもとの関係は、あくまでも一対一の関係として規定されるのであり、家長がすべての家族成員を統括するような立場にあるのではないことも示してきた。両親が、何らかの事情によって子を養育できない場合に、その責任が親族へ、また共同体へと移行することは想定されている。しかしこれは、子の生命と安全を保障するための福祉にも通じるものであって、決して子を一族の成員として育てるという発想からくるものではないだろう。たしかに子どもは、実の父親の血縁に属することによって、父系の系譜に位置づけられるが、同時に、子どもと母親との関係も重視されているのである。さらに特筆すべきは、子にたいする愛情という表現が、父親と母親の双方について見られることである。このような子育てについての規範を、イスラーム法学書は後世に伝えているのである。
 本論文は、イスラームの子育て観研究という未成熟分野において、これまでほとんど活用されることのなかったイスラーム法学書を資料として考察する新しい試みであった。また、前近代のイスラーム的価値観である家父長制というあいまいな評価を、ひとつひとつ検証し、そうした一般的な通念にも再考を促すことができたと考える。
 イスラーム法学書をイフティラーフの視点から分析するという手法は、マーリク派の特徴を浮き彫りにしただけではなく、イスラーム法のもつ多様性と統一性という性格の内実をも明らかにすることとなった。各学派の学説は、10世紀頃にはほぼ完成したとされる。しかしその後もイスラーム法体系は硬直化することなく、豊かなイフティラーフを取捨選択する余地が残されていた。また、学派間のイフティラーフのみならず、同一学派内にもイフティラーフは存在した。本論文においては、後世のマーリク派において、通説となっていた多数説ではなく、少数説を選択することによって時代や社会の状況に柔軟に対応していた例をいくつか示し、学派の統一性は、学派内のイフティラーフという多様性によっても柔軟に支えられていたことを立証し、イスラーム法の発展の様態を解明することができた。