本論文では,ヒトの視知覚において,物体としての一体感が生じるための要因に関して,心理物理学的実験により検討した.特に,物体としての一体感が生じる現象として,運動と形態の情報が関与する一体運動 (Anderson & Sinha,1987; Lorenceau & Alais, 2001; McDermott & Adelson, 2001, 2004a,b; Lorenceau & Lalanne, 2008; Lorenceau & Shiffrar, 1992) に着目し,その知覚成立過程について検討した.
 一体運動が成立するための要因として,物体としての一体感が生じるための要因との対応関係を整理し,三つの要因に分類した.第一の要因は,正方形,菱形などの閉形状において,一体運動が安定して知覚されることから(Lorenceau & Alais, 2001; McDermott & Adelson, 2004a),線分がゲシュタルト要因における「よい形」として矛盾のない適切な位置に輪郭線が配置されていること(適切な輪郭線の配置),第二の要因は,刺激を構成する各線分の端点が遮蔽されることで,端点の位置が曖昧であると同時に運動に対しても曖昧性が生じ,単一物体として適切な運動が含まれていること(適切な運動),第三の要因は,物体としての統合の根拠となる頂点や角(かど)といった連結が生じる可能性が否定されていないこと(連結の可能性)である.
 これまでの一体運動に関する一連の研究においては,適切な輪郭線の配置の効果に関して詳細に検討がなされている(Lorenceau & Alais, 2001; Lorenceau & Lalanne, 2008; Lorenceau & Shiffrar, 1992; McDermott & Adelson, 2004a,b; McDermott et al., 2001).しかし,適切な運動および連結の可能性に対しては,言及がなされているものの(Lorenceau & Alais, 2001; Lorenceau & Shiffrar, 1992),適切な輪郭線の配置の効果と,適切な運動,連結の可能性は区別されないまま形態の要因に含まれたまま漠然とした議論がなされていた.そのため,物体の一体感の成立について体系的な議論が行われているとは言いがたい.特に,適切な運動は,運動としての一体感を成立させる要因であり,連結の可能性は,適切な輪郭線と適切な運動を統合するための根拠であると考えると,これら二つの要因が適切な輪郭線の配置の効果,つまり,形態の要因に対して副次的に働くことで一体運動が成立するものと仮定した.そのため,本論文では,一体運動が成立するために必要となる要因として,運動における適切さ,線分同士の連結の可能性の重要性について着目し,適切な運動,連結の可能性がそれぞれ相補的,再帰的に機能することにより,適切な輪郭線の配置の効果,形態の要因が支えられるものと捉えた.そして,一体運動の成立に関わる要因を検討することにより,物体としての一体感が成立する過程を明らかとすることを目的とした.第2章(実験1,実験2,実験3),第3章(実験4,実験5)では,運動の不定性と一体運動の成立の関係,第4章(実験6,実験7),第5章(実験8,実験9)では,端点の不定性,連結の可能性と一体運動の成立の関係について検討した.
 第2章においては,一体運動が成立するための暗黙の前提とされていた運動の不定性の役割について検討した.刺激として正弦波輝度変調パタンを用いることで,線分の運動方向を直接操作することを試みた.仮想正方形の運動と整合性のある適切な方向,もしくは整合しない不適切な方向に線分の運動を制限した結果,不適切な運動方向に制限したいずれの条件においても一体運動の成立が阻害されることを示し(実験1, 実験2),適切な方向に運動を制限すると,遮蔽面の有無にかかわらず,一体運動が安定して知覚されることを示す結果を得た(実験2, 実験3).これらの結果は,一体運動の成立に際し,形態に関する要因(Lorenceau & Alais, 2001)が機能するためには,仮想正方形の運動と整合性のある運動解が含まれていることが必要であることを示している.
 第3章においては,第2章で用いた輝度変調パタンを位相反転フリッカさせ,明示的に適切な一方向への運動が存在すると同時に,不適切な一方向への運動も明示的に与えられている場合の一体運動の成立について検討した.その結果,刺激布置の違いに関わらず,不適切な一方向に制限された運動が明示的に与えられると,適切な運動が含まれていても一体運動の成立が阻害されることが示された(実験4,実験5).これらの実験により,一体運動の成立には,不定な運動の中に適切な一方向への運動が存在し,同時に不適切な運動が存在しないことも要求されることを示した.また,実験4,実験5では,不適切な運動のみが与えられた8 Hzの時間周波数を持つフリッカ運動刺激において,一体運動率が高くなるという結果を得た.このことは不適切な運動のみが存在したとしても,それらを明示的な運動として処理することが困難な場合には一体運動が成立しうることを示すものである.明示的な運動方向が含まれていないという点において,8 Hzの時間周波数を持つ位相反転フリッカ刺激は,一様輝度刺激と等価なものであるとも言える.従って,第2章,第3章の結果をもって,運動の不定性が一体運動の成立の必要条件であることを実験的操作によって明らかとした.
 第4章においては,線分の端点位置が不定となること,および線分が遮蔽の裏側において連結する可能性が生じることと一体運動の成立の関係を検討した.線分に対して両眼視差を付加し,端点が不定となるよう操作した結果,実験6では,刺激布置の違いに関わらず,線分が遮蔽面よりも奥に知覚されると一体運動が安定して知覚され,遮蔽面よりも手前に知覚されると阻害されることを示す結果を得た.この結果は,端点が不定となることが一体運動の成立のための要因であることを示し,運動の不定性と合わせて,端点の不定性も形態の要因が機能するための前提として必要となることを第2章と同様に明らかとしたものである.実験7では,各線分の奥行きに食い違いを与えることで,連結する可能性の三次元的な整合性に関する検討を行い,全ての線分が同一の奥行きに提示されない場合には,一体運動が阻害されることを示した.従って,連結の可能性には三次元的構造も重要となることを明らかとしたものである.
 第5章においては,頂点(角)としての連結可能性が持つ役割に関して検討を行った.その結果として,角とは異なる滑らかな曲線状の連結であっても,一体運動が成立するが(実験8,実験9),頂点としての連結が想定される場合には剛体として,曲線状の連結では弾性体として一体運動が成立することを示した(実験9).これらは,連結の繋がり方が異なることによって,剛体,弾性体といった物体の剛性が決定されることを示唆する結果である.
 本論文の一連の実験結果は,一体運動の成立に関わる要因には,形態の要因に加え,線分の運動・端点の位置が不定となること,線分の表象が伸張し連結の可能性を持つことという新たな二つの要因が含まれることを明らかとしたものである.過去の研究においては,線分の空間配置や遮蔽知覚など,運動の不定性を解決するための形態の情報の役割に関する議論に重点が置かれていた.特に,形態の要因と,運動と端点の不定性,連結の可能性の要因の区別が曖昧なまま,暗黙の前提として扱われていたため,これらの要因を形態の要因と区別した場合における一体運動の成立過程に関する議論は不十分であった.
 本論文では,形態の要因として条件を満たす刺激布置であっても一体運動が成立しない条件,また,形態の要因としての条件を満たさない刺激布置であっても一体運動が成立する条件を示すことによって,形態の要因としての条件を満たすことは,物体の一体感の成立のための必要条件ではあるものの十分条件とはならないことを明らかとした.また,運動と端点の不定性の要因,連結の可能性の要因の条件を満たしていない場合には一体運動の成立が阻害されることを明らかとし,これらが満たされていることが物体の一体感が成立における必要十分条件であること示すことができた.以上の結果は,一体運動の成立において,運動と端点の不定性,連結の可能性の存在によって形態の要因がはじめて機能するという関係を示すものであり,こうした要因が階層構造を成し,要因間で相互に情報を参照することによって物体の一体感が成立することを明らかにしたものである.