本研究ではカフェウォール図形に対して、空間周波数と時間周波数の両側面に対する操作を行い、それに伴う知覚内容の変化について検討した。実験1では、MF縞からなるカフェウォール図形に生じる錯視の方向が、パタンとしてのMF縞の位相差ではなく、MF縞に含まれる最もコントラストの高いFourier成分である第3高調波成分(3f成分)間の位相差によって決まっていることを明らかにした。実験2では、縞どうしの位相差を90度に固定した状態で矩形波縞の基本周波数成分(f成分)のコントラストを小さくすると、錯視の消失と反転が起こることを明らかにした。これらは、知覚される錯視が単一の空間周波数帯域での処理結果によって決まるものではなく、複数の空間周波数帯域での処理結果を統合して決定されることを示している。
実験1および実験2の結果は、初期視覚系における帯域通過型フィルタリングが、カフェウォール錯視に関与していることを示すものであった。このことは先行研究において所与のものとされてはいたものの、心理物理実験による検証はなされていなかったことである。また、これらの実験結果は、知覚される傾きが単一の空間周波数帯域の処理結果ではなく、複数の空間周波数帯域における処理結果を統合した結果であることを示している。
さらに、縞を構成するFourier成分による錯視はコントラストと位相差によって強度と方向が決まることも示していたため、実験3として正弦波縞からなるカフェウォール図形のコントラストと位相差を操作し、両変数と錯視の関係について検討する実験を行った。その結果、正弦波縞による錯視は小さい位相差でも十分な強度であることと、180度を境に方向が反転することが示された。この関数の形状を数式化し、各Fourier成分の錯視強度から知覚される錯視の強度を予測するモデルの構築を試み、このモデルを周波数成分統合モデルと名付けた。
実験で得られた錯視方向に関する回答比率を信号検出理論におけるROC曲線の下側部分の面積であるに変換し、これを錯視強度とした。周波数成分統合モデルは、Fourier成分の錯視強度の重み付け平均により、このの値を再現するモデルである。実験1および実験2の結果に対して周波数成分統合モデルを適用したところ、実測値に対するモデルによる予測値は良く適合した。しかし、実験1と実験2は、Fourier成分の錯視強度に影響すると思われるコントラストと空間周波数がともに1条件しか設定されていなかったため、異なる空間周波数、コントラストの刺激の錯視強度に対しても周波数成分統合モデルが適用できるのかを検討する必要があった。そこで実験4で、実験1とは異なるコントラスト、縞の空間周波数の条件で、SQ縞とMF縞で構成されたカフェウォール図形に生じる錯視の強度と位相差の関係に対する適用可能性を検討したところ、周波数成分統合モデルによって錯視強度を予測できることが示された。同様に、実験5ではf成分と3f成分のコントラスト比による錯視強度の変化について、実験2とは異なる空間周波数およびコントラストでも周波数成分統合モデルによって説明できることが示された。以上をもって、本研究ではカフェウォール錯視における、空間周波数帯域間の方位情報の統合様式について、重み付け平均がその候補足りうることが示されたと考える。
また、f成分と3f成分の重み付けの係数の比率(f/3f)について調べたところ、縞の空間周波数の効果は見られず、コントラストの効果が確認された。刺激のコントラストが高くなると係数比は小さくなったが、これは3f成分対するコントラストの効果がf成分に対する効果より大きいことを意味しており、刺激のコントラストが高くなると、帯域間の重み付けが圧縮されることが明らかになった。
実験6、実験7では、刺激提示の時間特性と錯視の関係について検討した。時間的二刺激法(cf. Ikeda, 1986)を用いて局所的な方位情報を検出する傾き検出メカニズムへの入力経路のインパルス応答関数を推定した実験6では、短いSOAで通常の提示と同じ方向の錯視が見られた後、50msから200msで錯視の方向が反転することが明らかになった。すなわち、入力経路の応答特性は急速な反応と時間遅れを伴う抑制性の反応を持つものであった。これはいわゆる過渡的な応答特性であり、大細胞系の神経の応答(cf. Derrington & Lennie, 1984)と類似する特徴である。インパルス応答関数をフーリエ変換することで得られた時間周波数に対する感度関数は、刺激の空間周波数が高くなると帯域通過型から低域通過型へと変化した。これは、空間周波数によって大細胞系と小細胞系の関与の重み付けが変化することを意味しており、極端に低い空間周波数条件における、傾き検出メカニズムへ入力するコントラスト検出メカニズムに対する大細胞系の関与の大きさを示していた。
実験7では傾き検出の感度とコントラスト検出の感度に対する、刺激提示の時間周波数と刺激の空間周波数の効果について検討した。すべての時空間周波数条件において、コントラスト検出感度は傾き検出感度より高く、刺激の空間周波数によらず低域通過型の感度関数となった。傾き検出感度関数の形状は空間周波数が高くなると帯域通過型から低域通過型へと推移した。この変化は実験6で推定したコントラスト検出感度曲線の変化と同じであった。このことは傾き検出メカニズムは、コントラスト検出メカニズムから入力を受けることができれば傾きを検出できることを示していると考えられる。一方、コントラスト検出感度関数と実験6で推定されたコントラスト検出感度曲線に対する空間周波数の効果の違いは、実験7における課題内容に起因すると考えられる。実験7では、パタンとして知覚できないという回答の比率からコントラスト検出閾を求めていたが、これはパタン認識の閾値を求めていたことであり、このために小細胞系の影響が強く現れていたと考えられる。
実験8では、カフェウォール図形に生じるギザギザ知覚の空間周波数特性について、傾き知覚の空間周波数特性と比較した。その結果、ギザギザ知覚は傾き知覚が生じるより高い空間周波数帯域で生じることが明らかになった。ギザギザ知覚が生じる空間周波数帯域と傾き知覚が生じる空間周波数帯域は重なっていたが、実験8ではギザギザ知覚と傾き知覚のいずれか一方についてのみ回答を求めたため、2つの知覚の同時性については検討できなかった。そこで、ギザギザ知覚と傾き知覚の同時性について実験9で検討したところ、ギザギザ知覚と傾き知覚が同時に生じることが示され、これを共存知覚と名付けた。共存知覚は傾き知覚、ギザギザ知覚が単独で生じる帯域の間の空間周波数帯域で生じた。さらに、実験9ではギザギザ知覚、共存知覚、傾き知覚の時間周波数特性、コントラスト特性についても検討した。共存知覚に対するこれら2変数の影響は、ギザギザ知覚と傾き知覚に対する影響の加算的なものであることが示された。このことはギザギザ知覚と傾き知覚の独立性を示しており、ギザギザ知覚は局所的な方位情報が統合されないことで生じると考えられる。傾き知覚とギザギザ知覚に対する時間周波数の効果には明確な違いは見られなかったが、コントラスト特性は傾き知覚とギザギザ知覚で異なっていた。傾き知覚が低コントラストでも十分な強度で知覚されるのに対し、ギザギザ知覚は低コントラストでは生じず、コントラストの影響が大きいことが明らかになった。ギザギザ知覚のコントラスト感度の低さと比較的高い空間周波数に対する選好性は小細胞系と類似する特性であり、小細胞系による高空間周波数における局所的な方位情報が統合されないことから、直線性の検出メカニズムと、局所的な方位情報と直線性の辻褄を合わせるメカニズムの少なくとも一方には大細胞系の関与が欠かせないと考えられる。あるいは、大細胞系による局所的な方位情報は、全体的な傾きを表象するためのものであり、そもそも局所的な傾きとして意識されないものであると考えることもできる。
最後に、カフェウォール錯視生成の処理経路について述べる。大細胞系、小細胞系の両方のコントラスト検出メカニズムは、第一次視覚野の4層に存在する局所的な方位を検出する傾き検出メカニズムへ入力する。大細胞系の影響が強い入力を受けた傾き検出メカニズムによって検出された局所的な方位情報は、第一次視覚野の6層と5層によって検出された直線性の情報とともに2/3層に送られ、ここで2つの情報の辻褄を合わせる統合が行われる。一方、小細胞系の影響が強い入力を受けた傾き検出メカニズムも局所的な方位を検出するが、その出力は6層へは行かず、2/3層へと向かうため、直線性との統合が行われず、ギザギザ知覚を生じさせる。空間周波数帯域間の統合はより高次な領野で行われると考えられる。