本論文は、近世中期に国学者・歌人として活躍し、また本居宣長・建部綾足・加藤宇万伎らを門人に持ち、近世中期以降の文芸思潮にも大きな影響を与えた賀茂真淵について、その文芸および活動の実態、ならびに後世への影響について考察したものである。
 第一章「賀茂真淵の歌学」では、これまで和歌史において唐突であると捉えられ、かつその特殊性が強調されてきた、上代文芸を手本とする賀茂真淵の主張について考察した。真淵のその主張が当代和歌の欠点を具体的に把握したうえで、その欠点を解消する目的のもとでなされたことを明らかにし、第二章以降の研究課題を導き出したものである。
 第一節「真淵の当代和歌批判―和歌指導に即して―」では、門人の詠草に対する真淵の添削および和歌に関する真淵の批評を検討した。真淵は、「言い詰める」こと、すなわち俳諧的で余情のない表現を用いることが当代和歌の欠点であると批判しており、漢学に対しても同様の批判を加えている。これは、当時の堂上歌壇に見られる問題意識と本質を同じくするものである。従来特殊とされてきた真淵の主張を、和歌史の連続性の中に位置付けることができた。
 第二節「近世の長歌―真淵の長歌復興運動をめぐって―」では、真淵が長歌制作を推奨した理由とその目的について考察した。和歌史を通覧した際、真淵の長歌推奨は一見唐突に見えはするものの、それは第一節で明らかにしたような真淵の問題意識を背景にしたものである。また、荷田在満の『国歌八論』をめぐる在満・宗武・真淵の論争について、それぞれの論の対応関係を精査することにより、真淵の長歌への強い関心は当初、漢詩に対抗しうる方法を模索するなかで生まれたものであることを指摘した。すなわち、真淵の長歌推奨は、盲目的な復古主義によるものではなく、当代和歌の欠点を解消し、またその意義を探究しようとする明確な目的のもとでなされたものであったとみることができるのである。
 第三節「真淵の題詠観」では、真淵歌学の継承をめぐる、春海と本居大平の論争を読み解くことによって、真淵の問題意識は、当代の題詠が「実感」に基づく和歌の製作を阻んでいる点に向けられていたことを示すとともに、真淵によってその問題が初めて具体的に示されたことを明らかにした。また、真淵はそうした当代の題詠の弊害を克服するため、屏風歌の手法によって題に縛られない自由な想像が保証されている絵の題や、詠み方の規範がきびしく設定されてはいなかった『古今和歌六帖』の雑思の歌の題などを積極的に推奨し、自由な発想に基づく題詠歌をおしすすめていることを指摘した。
 第二章「真淵歌学の実践と展開」は、真淵とその門人による真淵歌学の実践の様相について新たに検討するとともに、近世から近代短歌への展開のさまについて考察を加えたものである。
 第一節「真淵の万葉調―鷲詠を例に―」では、和歌史上において注目されてきた賀茂真淵の万葉調について、新たな見解を提示した。真淵の万葉調は、万葉歌を十分に継承できておらず不完全であると評価されがちであった。しかしながらそれは、真淵が「ますらをぶり」を志向して歌材や趣向、典拠を選びつつ、伝統的な和歌の表現を用い、直截の心情表現を避けていることに起因するものである。真淵の鷲詠を例に、その典拠の利用法、歌材の選び方、言葉の使い方に注目し、伝統的な和歌の詠みぶりに照らし合わせ具体的に検討することによって、真淵が「言い詰める」ことを避け、万葉語によって景を捉え直し「実感」を述べるという、自身の歌学を適切に実践していることを明らかにした。
 第二節「女性門人の活動における真淵指導の実践―『月なみ消息』をめぐって―」では、県門歌人である鵜殿余野子が著した消息文例集『月なみ消息』の分析を通じて、『古今集』および『源氏物語』を重んじるべきであるという女性門人に対する真淵の指導が、余野子によって適確に実践され、江戸派に継承されていくさまを浮き彫りにした。
 第三節「詠史歌と『伊勢物語』」では、国学の展開の中で強まった尊皇思想と結びついて多く詠まれるようになった、詠史歌の表現方法について検討した。尊皇思想において特に好まれた楠正成を対象とした詠史歌に注目すると、『伊勢物語』を踏まえることにより、重層的に正成の礼賛が行われていたことがわかる。詠史歌は当時新たに流行した試みであったが、その表現には、日本の古典文学を前提にするという伝統的な和歌の手法が用いられており、そこには近代短歌前夜の伝統と新味のせめぎあいが見られるのである。
 第三章「賀茂真淵の古典注釈」は、真淵の古典注釈の方法および特徴について検討し、古典注釈史における真淵の位置付けを行ったものである。真淵の古典注釈では、先行注釈の内容を精査したうえで、そこに自身の歌学を適用することによって、新たな解釈が導き出されている。本章は、第二章までの歌学と和歌活動に関する考察と古典注釈についての分析を、それぞれ有機的に関連付けることによって、真淵国学の具体像を追究したものである。
 第一節「真淵の初期活動―『百人一首』注釈をめぐって―」では、真淵の『百人一首』注釈に注目し、いまだ不明な部分の多かった真淵の初期活動の性質について論じた。真淵自身が、晩年になって若さゆえの拙さが表れていると嘆じた初期の注釈『百人一首古説』と、これを晩年に改稿して出版した『うひまなび』との二つの『百人一首』注釈を比較し、『百人一首古説』には歌や歌人に関する批評において、晩年の上代志向および漢学排除の姿勢と食い違う記述が見られ、晩年の真淵がそうした違いを明確に意識していたことを確認した。一方で、『百人一首古説』においては、晩年の真淵の中心的思想である「ひとつ心」の根拠となった譬喩と序の関係や発語に対して、早くも関心を寄せていること、真淵以後の注釈に継承された真淵の新説が荷田家の共同研究の場で形成されていたこと、当時もっとも広く流布していた一般向け注釈書である北村季吟の注釈に注目して先行注釈の検討を行う方法が、晩年のそれと共通していることを指摘した。これにより、真淵が著作の多くをまとめた晩年との隔絶が強調されてきた初期の活動についても、晩年との質的な連続性に注目すべきであることを述べた。
 第二節「真淵の『伊勢物語』注釈―『伊勢物語古意』について―」では、真淵が上代志向を深めていく過渡期の著作である『伊勢物語古意』に見られる、『伊勢物語』に対する肯定的評価と批判的評価の分析を通じて、過渡期における真淵の活動を具体的に明らかにし、晩年の真淵の活動との共通性を指摘した。『伊勢物語』を史実の物語化と捉える近世前期以前の旧注を批判し、真名本を重視するという特徴が共通することから、これまで真淵の『伊勢物語古意』は、春満の『伊勢物語童子問』とほぼ同質の注釈と見なされてきた。しかし『伊勢物語古意』は、『伊勢物語』が虚構であるというのみの主張であった『伊勢物語童子問』の作り物語説を、具体的に注釈方法に取り入れ、先行する和歌を基軸にして物語が作られる過程に注目し、特に和歌の余情を確保するように『伊勢物語』の文章が作られたことを論証するという独自性を有することを述べた。真淵のそうした解釈は、同時に和歌をもとに物語を作り出す方法を新たに提示したものともなっている。
 第三節「近世における『伊勢物語』二十三段の読解―旧注から『伊勢物語古意』へ―」では、『伊勢物語』読解の内容について、二十三段を例に通時的変遷を跡づけ、それぞれの注釈がどのように継承され、何が強調されてきたかについて考察を加えることによって、古典注釈史における真淵注釈の位置付けをはかった。細川幽斎の『伊勢物語闕疑抄』は、「憐愍する」業平像を継承したうえで、それと反する読解をしないように繰り返し説明を行い、注釈に説得力を持たせようと腐心している。契沖の『勢語臆断』の諸本に見られる本文のゆれや度重なる訂正は旧注の業平像から脱して新たな注釈を行う難しさを示していること、『伊勢物語古意』は「まこと」を重視するがゆえに、旧注の業平像を結果的に受け継いでもいることを指摘した。
 第四節「真淵と『源氏物語』―『源氏物語新釈』の注釈方法をめぐって―」では『源氏物語新釈』の検討を通じて、真淵の『源氏物語』観と注釈方法を問い直した。『源氏物語新釈』における真淵の批判は、『源氏物語』が漢学を重視し、説明を尽くした余情のない表現を用いていることに対してなされたものである。一方、文章に込めようとした心情、あるいは皇権の正当性に関する上代文学との共通性については積極的に評価して強調している。自身の主張を古典注釈に反映させようとするがゆえ、従来にないやや強引な解釈を重ねることともなっているが、こうした真淵の解釈は、真淵以前の『源氏物語』注釈に見られる准拠説や実証性の重視だけでは明らかにし得なかった、『源氏物語』の表現の重層性を結果的に示すものになっており、『源氏物語』注釈史上の重要性を有していることを述べた。
 以上、本論文では、真淵の和歌観、当代歌壇との関係、後世への影響、和歌史・古典注釈史における位置付けについて総合的な検討を行った。