本論文はイスラエル国 (以下、イスラエル) におけるイディッシュ語の動態についての研究である。イスラエルが英国から独立した1948年から、21世紀初頭までに発行されてきたイディッシュ語の個人出版と、その言語を学習する活動について、関係者への聞き取り調査と文献資料、そして参与観察をもとに考察した。
 本論文における「個人出版」とは、個人やそれに準ずる比較的小規模の組織が運営し、それを担う中心人物の信念や情熱が主たる原動力となっている出版活動のことを指す。本論文において対象とした言語学習活動は、複数で集まってイディッシュ語の文学作品を読み、その言語と文化に触れるための活動である。イスラエルにおけるイディッシュ語の個人出版と言語学習活動に共通することは、東欧出身のユダヤ人 (以下、東欧系ユダヤ人) のイディッシュ語話者とその子孫が主体となっている点である。
 イディッシュ語という言語について、その起源は、約千年前のライン川流域 (現在のドイツ西部) にあるとされている。ユダヤ人たちが中欧から、東欧、ロシア、北米、南米、パレスチナ・イスラエルなど世界各地に移住したことに伴い、イディッシュ語もさまざまな地域で話されるようになった。この言語では多くの文学作品が書かれ、世界各地で新聞や雑誌が発行されてきた。しかし現在では、話者は減少を続けていると考えられ、一般的に「死にゆく言語」とされている。現在の主な話者は、超正統派ユダヤ教徒の一部と、非超正統派ユダヤ教徒で幼い時にこの言語を習得した高齢者、そしてイディッシュ語を学習し、日常的に話すことを試みる人々である。
 本論文で対象とするイスラエルでは、公用語のヘブライ語とアラビア語の他にも、世界各地から移住してきたユダヤ人たちによって複数の言語が話されている。東欧系ユダヤ人移民が話すイディッシュ語もそのひとつである。本論文では、イディッシュ語話者たちによる個人出版と、その子孫たちによる言語学習活動について調査し、イスラエルにおけるこの言語の変遷をとらえることを試みている。以下に本論文の概要を述べる。
 第1章では、筆者が本論文を執筆するに至った経緯について述べ、次に本論文における問題提起を行った。筆者がイスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動について調査分析を進める中で、これら2つの活動は、東欧系ユダヤ人によるイディッシュ語のための活動であるという点で共通性を持つにもかかわらず、それほど接点がないということが分かってきた。その背景について本論文で分析を進めて行く。問題提起を行った後で、東欧系ユダヤ人独自の言語であるイディッシュ語について概要を述べ、イスラエルにおける東欧系ユダヤ人の位置付け、イスラエルの言語状況、先行研究と本論文の位置付け、イディッシュ語個人出版と言語学習活動の位置付け、調査方法、引用の基本方針、そして本論文の構成を記した。
 第2章では、イスラエルにおけるイディッシュ語の現状をまとめた。第二次世界大戦後、イスラエルが建国され、ヘブライ語は新しいユダヤ人の国家の公用語となった。これに対してイディッシュ語は、離散やホロコーストなど、過去の悲劇を彷彿させると嫌悪される傾向を持つ移民の言語であった。このような状況において、イディッシュ語話者たちは多くの場合、家庭において子供たちとはイディッシュ語ではなく、ヘブライ語で話してきた。
 イディッシュ語が家庭で継承されない中、1970年代末から、一部の公立学校においてイディッシュ語の語学教育が行われてきた。しかしそれは話者の増加につながるものではなく、1990年代初頭には学校でのイディッシュ語教育は「『死にゆく』言語への貢献」と表現された。学校教育の他にも、イディッシュ語話者の中には、集会を開いてこの言語を話す空間を維持してきた人々もいる。しかし若い世代はあまり参加せず、参加者の高齢化が進み、集会の規模は年々縮小していっている。21世紀初頭現在のイスラエルにおいて、イディッシュ語は多くの人々の日常生活からかけ離れた言語となっている。話者の子孫にとってさえ、興味の対象になることはあっても、日々の生活の中で使う言語にはなりにくい。
 第3章では、現物が残されている書き言葉に注目し、イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版の変遷について分析した。筆者は、主要な9つの個人出版について、創刊された時期に基づき第一期から第三期までに分類した。
 第一期イディッシュ語個人出版には、イスラエル建国期の1948年から1950年代に創刊された2つの新聞と3つの雑誌を分類した。これらはイスラエル建国前後にこの地に移り住んだイディッシュ語話者が、東欧で行っていたイディッシュ語での情報発信や、創作や批評の活動をイスラエルでも続けるために創刊したものである。
 次に、第二期イディッシュ語個人出版には、1970年代に創刊された2つの雑誌を分類した。これらは、イスラエルに旧ソヴィエト連邦から移住してきた新移民が、移住前から行っていたイディッシュ語での創作や批評を続けるために創刊したものである。
 第三期イディッシュ語個人出版には、21世紀初頭に創刊された2つの雑誌を分類した。これらは、イディッシュ語が言語遺産として保護される中で創刊されたものである。筆者は、第三期においては第一期や第二期とは異なり、イディッシュ語での出版が自己目的化されていると分析している。
 イディッシュ語個人出版を読む者の数が減少の一途をたどる中、20世紀末からは、イディッシュ語についてヘブライ語で論じる雑誌が発行されている。また、イディッシュ語と東欧系ユダヤ人の文化について、ヘブライ語で語る集会も開かれている。これらに興味を寄せる人々のほとんどが、イディッシュ語話者とその子孫である。彼らにとって、イディッシュ語は興味の対象にはなり得ても、日常の言語にはなりにくい。日常の言語としてのイディッシュ語の機能はヘブライ語にとってかわられ、イディッシュ語は象徴的な意味合いを持つようになっているのである。
 第4章では、21世紀初頭のイスラエルにおけるイディッシュ語学習活動について述べた。筆者は自ら学習者となって、イディッシュ語学習活動を参与観察してきた。すると、学習者と教師の大半が東欧系ユダヤ人であること、彼らが活動を通して同じような境遇の人々と交流し、東欧系ユダヤ人としての出自を確認しようとしていることが明らかになってきた。筆者は学習活動を私的空間におけるものと、公的空間におけるものに分けてその特徴をつかもうとした。私的空間におけるものとして、個人宅で知人友人を集めて開かれている読書会を参与観察し、公的空間におけるものとして、大学での講座や市民講座について参与観察した。
 私的空間と公的空間における学習活動に共通していたのは、学習者たちが細かな文法知識を増やすことや、より多くの単語を覚えることよりも、仲間と一緒にイディッシュ語で書かれた文章に触れ、イディッシュ語の微妙な意味合いを共有することを目的としていることであった。ただし、学習活動で読まれるのは、著名な作家が書いた文学作品ばかりであって、イスラエルのイディッシュ語個人出版が扱う時事問題ではない。
 彼らは、原作がイディッシュ語で書かれた文学については、ヘブライ語や英語などですでに読んだ作品であっても、もう一度イディッシュ語で味わうことを重視している。しかしこれとは対照的に、時事問題については、すでにヘブライ語や英語など、他の言語で読んだ話題について、もう一度わざわざイディッシュ語で読む必要を感じないようである。学習者たちにとってイディッシュ語は、東欧のユダヤ人の生活や文化を象徴する言語であって、イスラエルの日常生活において使う言語とはなり得ないのであろう。
 第5章では、本論文の結論を述べた。イディッシュ語個人出版と学習活動についての調査分析により、これら2つの活動にそれほど接点がないということが明らかになってきた。これは、高齢者が集まるイディッシュ語話者の集会に、若い世代の学習者たちがあまり参加せず、他方、イディッシュ語学習者たちが個人出版による定期刊行物を教材として用いることがほとんどないことに表れている。
 接点が少ない理由は、それぞれの活動にかかわる者たちの間に世代間格差が存在し、世代によって「イディッシュ語」の持つ意味合いと機能が異なるからであろう。この言語を幼い頃に習得した高齢者たちにとって、イディッシュ語は、イスラエルに移住する前から使用しつづけてきた言語であり、現在も日常生活の一部である。これに対し、学習活動を行っているより若い世代にとっては、イディッシュ語は、学習を通して触れる過去の言語であって、彼らの日常生活からはかけ離れたものとなっているのである。