ルーマニアに正教会司祭の息子として生まれ、亡命地フランスにおいてフランス語で執筆した思想家エミール・シオラン(Emil Cioran, 1911-1995)は、22歳の処女作から晩年の対談に至るまで、神や存在について多くを語ってきた。それは、シオラン自身の経験や情動(感情)を土台にしたきわめて主観的なものである。そこでは、メランコリーとエクスタシーに裏打ちされたニヒリズム的な思索が展開され、その語りは、憎しみや怒り、虚無や空虚といった否定的情動を帯びたものである。
シオランは無信仰という自覚の上でエクスタシー経験を回顧し、それを神的経験と意味づけている。しかるに、シオランのエクスタシーには鬱が伴われているのであり、鬱の否定的情動は、生涯にわたりシオランを悩まし、シオランが神を求めつつ、通常の意味での信仰に安んじ得なかった理由となる。こうしてシオランは、虚無や空虚といった鬱の否定的情動を感じながら、神の不在や生の無意味を、「無=無いこと」に関わる語群を用いて描き出すことになる。そして、シオランは自らのエクスタシー経験を思索の根本に据え、そこで開示され自覚された「真理」を否定神学的なスタイルで――つまりは否定的述語によって――論述するのである。
フランスでは、シオランの最後の著作が刊行された1987年前後からしだいに評価され、ルーマニア語の著作の仏訳や、フランス語によるシオラン研究が刊行された。そしてシオランの死をひとつの契機として、宗教的な観点も含んでシオランの思想を読み直そうとする研究がいくつかなされるようになった。こうした読解は、主として、キリスト教神秘主義、グノーシス主義、そして仏教をはじめとするインド思想という三つの宗教的伝統との関連からなされている。もっとも、それらの先行研究は、シオランの思想と宗教的伝統との関連を考察するものではあっても、必ずしもシオラン思想をひとつの宗教思想として解釈することを目的にしたものではない。また、日本においては、シオランの著作は宗教学ないし宗教思想研究の対象とされたことはなく、シオランの思想を本格的に研究することもなされてこなかった。そこには、シオランのテクストが断章やエッセーという形式をとり、体系的に叙述されているわけではないという事情が関わっている。
本研究の序論をなす第1章では、シオラン思想の宗教的背景を示すとともに、テクストの性格やその読み方について言及する。いわば本研究の方法論的序論とも言うべき箇所である。
そして第2章では、シオラン思想の原点であるとともに、およそ半世紀にわたるシオランの思考の軸をなしている若年期のエクスタシー経験について考察する。シオランは、エクスタシーの後には通常の時間持続へと「転落」するのであり、そこで喪失感を抱くことになる。同時にまた、一体感の喪失としての個体化の意識が生じるのである。ゆえに、シオランは、エクスタシー後において、過剰な時間意識に苛まれ、倦怠や絶望といった鬱的情動に落ち込むことになる。シオランのエクスタシーとは、「本質的融即感」を感じる経験であるとともに、その後に鬱的情動へ落ち込むという両義性を有するのである。
第3章では、エクスタシー経験と深く関わる始原的なるものへの志向性と、始原から失墜し個体化した流謫者としてのシオランの自己意識について検討した。シオランは、日常的な時間性を超えた無時間的な領域を始原として想定するのであるが、このような見方は、始原の内在化と言える。それは、自己の存在の意識化されえない始原的自我へと遡行する志向性である。
第4章では、シオランの神論を分析した。シオランは、無信仰者と自己規定しつつ、一方で神への渇望を生涯にわたり語り続けている。こうしたアンビヴァレントな神への態度は、メランコリーという情動と強く結びついたものである。すなわち、メランコリーにおいて神の喪失が悲しまれ、同時に、不在の神に対する憎しみや怒りが吐露されるのである。こうしたシオランの姿勢に窺われるのは、神を感じる主体の情動を問題にする思考である。言い換えれば、シオランは神の実在を存在論的に思考するのではなく、神を感じられるか/感じられないかという自身の情動ないし感覚の水準で神を捉えているのである。本章では、虚無や空虚のような鬱的情動に根差した思索を考察することにより、シオランが否定的情動の裡に神をどのように把握していたかを明らかにする。それにより、信仰/無信仰、有神論/無神論という二分法には収まらないシオランの「情動の神秘主義」を解明する。
第5章では、メランコリーにおいていかに神が感じられているかということ、すなわち神を感じる主体の在り様を提示する。シオランは、「霊的水準」という言葉を用いて、神に見捨てられた遺棄の孤独を示している。それはまた、神と二人だけの孤独が生起しうる境地でもある。その際、神は、シオランを遺棄した者、シオランから去り孤独に至らせた者として、メランコリーの情動において把握されるのである。
第6章では、シオランの自責感を考察する。シオランの自責感には原因はなく理由のわからないものとされる。一方で自責感は、そこから倫理が生じる情動であると捉えられてもいる。本章で着目するのは、シオランが倫理を時間との関係において捉えていることである。すなわち、シオランにとって悪とは取り返しのつかない過去の時間性であり、善は時間に回収されることのない始原の潜在性である。こうした見方から、時間以前の始原を善とし、存在は悪であるという特異な倫理観が生成されるのである。
第7章では、シオランが神秘思想(十字架のヨハネとドイツ神秘主義)のうちに、「神への欲求」と虚無との関係をどのようなものとして見いだしていたかを探る。それにより、人間の弱さや心的衰弱といった虚無の問題と、神や祈りへの志向性とが、シオランにおいていかに結びついているかを検討する。
第8章では、シオランの自殺念慮と自己受容について論じる。50代半ばの自殺未遂経験において、シオランは岸壁から身を投げることなく数時間そこにとどまり、全てが非実在であると確信し、自殺念慮は消えたという。この経験以後、シオランは仏教の空の思想を特異な仕方で読み替えることで、独自の自殺観・死生観を形成していく。そこでは、非実在性の観念が主題化され、全てが非実在=空であると捉えられるのである。シオランは、生の無意味や自己の無価値性の意識を先鋭化し、無用性の自覚に徹することで、かえって生や存在の意味を求めることから自由になり、時間をかけて自己受容を果たすことになる。
第9章では、シオランにおける空・空虚(vide)の概念の意味内実を、中観派の空思想との対比によって考察する。シオランのvideという語彙が孕む多義性は、心的な空虚感や非実在性としての空虚を仏教の空概念と比定させる思考に、端的に示されている。1960年代の半ば以降、仏教やインド思想に接近したシオランは、非実在性の感覚を仏教的な空の経験として捉え直すのである。
  第10章では、シオランが晩年に至るまで仏教思想に親近し、また空や解脱に憧れながら仏教に帰依できなかった理由を探る。そこには、苦や無我に関する仏教の教説に対する違和感が強く関わっている。シオランは「すべて苦なるものは無我である」という『阿含経』の言葉を引いて、苦の教説と無我論の両立を理解することはできないと記し、それを仏教に帰入することができなかった理由としてあげる。シオランは、苦しみを強く感じる自己自身を非実在と見なすことができないのである。かくて、シオランと仏教との関係は、我と苦をめぐる実存に根ざした葛藤として現れる。
第11章では、無我論との格闘のひとつのかたちを、ヴェーダーンタ学派の思想、殊にそのアートマンの解釈から窺っていく。ヴェーダーンタ学派は、仏教と同様に、「全ては幻影である」という命題を立てるにしても、同時に、ブラフマン=アートマンを「究極的実在」として措定する。つまり、「究極的実在」としてのブラフマン=アートマンを立言する限りにおいて、シオランはヴェーダーンタの教説と齟齬をきたすのである。
第12章では、『バガヴァッド・ギーター』の思想と空思想の交錯について検討する。初期シオランにおいても現れていた欲望の放棄というテーマは、壮年期以降、とくにギーターにおける「行為の成果の放棄」という思想を軸として、より鮮明に問題化される。シオランは、ギーターの再解釈においてブラフマン一元論の宗教的含意を取り除き、「行為の成果の放棄」という教説を、中観派の空の思想と接続させて、全てが空であればこそ「もはやなすべきことは何もない」という非行為を示すに至る。
最終章となる第13章では、シオランが最後に達した境位とはいかなるものかということについて考察する。シオランの後期思想では、沈黙への言及がしばしばなされている。そこでは、聖者たちの孤独における沈黙を例示しながら、沈黙において神的なるものと交流するという思想が語られる。そしてそれは、孤独で無名であることの宗教性へと収斂されていく。こうした、沈黙、孤独、無名性についての思考を検討することによって、「霊的水準」に関する思索や、仏教やインド思想との葛藤を経て、シオランの思想が最終的にどこに向かおうとしていたのかを見定める。重要なのは、シオランが、有用/無用といった世俗的な価値観から離れることなく、世俗的な価値観のなかで自らの無用性を突き詰め、そこにおいて神との孤独な交感が現成するという特異な宗教思想、「情動の神秘主義」を語り出したということである。