本稿の目的は大別して二つある。一つはニーチェ哲学の言わば本来的部分の導出であり(第一部)、もう一つはニーチェ哲学の問題と変遷の提示―是は第一部の内容の確認・補足・修正の作業も兼ねている―である(第二部)。是等の作業に基づき最後にニーチェ哲学全体の大枠を改めて整理・確認する(第三部)。以上を通じて本稿はニーチェ哲学全体の標準的理解の提示を試みる。

第一部の概略は次の通り。

本稿は所謂「客観的」で「共有可能」な方法―詰りは実証的な方法―を重視しつつニーチェ哲学を全体として解明せんとする。そうしてニーチェ理解の入り口としてニーチェの見解を重視する。即ちニーチェが認定したザロメの見解と、ニーチェの自己描写を重視する。(第一章)

ザロメの見解の内ニーチェが認定した内容は何か。一つは哲学は哲学者の人格の現れである事であり、もう一つはザロメによるニーチェの性格描写である。詰りニーチェの見解ではニーチェの哲学はザロメが描写するニーチェの人格の現れである。ではザロメによる性格描写で提示された要点は何か。それは英雄的性質である。(第二章)

他方ニーチェの自己描写は如何なるものか。幾つもの描写の内、自身の性質と歩みの双方を説明する、健康と病気の対概念が特筆すべきものとして挙げられる(この対概念は生理学的意味で使用されてはいない)。健康と病気の区別は彼の哲学の最も基本的な区別の一つであり健康は彼の哲学の本来の内容が関係するものの一つである。(第三章)

詰り本来のニーチェ哲学は根本的に健康である事に基づく。又その内容は、多くの対立した考え方への諸々の道を許す精神たる自由精神が、試す事を目指して生きたり自分を冒険に晒したりする事である。是は件の英雄的性質とも符合する。そうしてニーチェの自己描写に基づきこの規定の具体化が或る程度施される。

但し以上の議論の材料は1882年以降、特に1886年以降のものに集中している為、各時期に即した具体的調査による、此処迄の成果の是非の確認が望まれる。(第四章)

この具体的調査が第二部であるが、その前に、この実地調査の為の「地図」を作成すべく、自身の歩みに対する彼の後年の回顧を整理する。それは概ね病気から健康へ、自己喪失から自己回復へとして描かれている。(第五章)

第二部の概略は次の通り。

奉職迄のニーチェは古典文献学の研鑽を積んだが当人の興味は哲学にあった。宗教にも批判的で客観的真理の探究を目指していた。だが新カント派のランゲを通じ、客観的真理の獲得が不可能と知る。この、真理獲得の不可能性、生存に於ける非真理の必然性がニーチェ哲学の一貫した前提であり、是を承認した上で如何なる生存が望ましいのかとの問いの解決がその哲学の一貫した課題である。この承認や、課題への取組みは英雄的性質の現れである。だが、にも拘らずニーチェは不本意乍ら古典文献学者となった。又ショーペンハウアーやヴァーグナーに過度に傾倒した。此処には既に彼の自己喪失が現れている。(第六章)

古典文献学教授として奉職したニーチェはギリシア悲劇を扱った著作を試みる。是は件の課題に取組むべく古代ギリシア人を手掛りとするものだった。悲劇論でニーチェは、生存を困難にする事態を承認しつつそれでも生存を是認する古代ギリシア人の姿を描こうとした。この作業は本来のニーチェに属す。

だがヴァーグナー家で悲劇論の草稿を朗読した直後の改作(1871年4月)で草稿には絶対的真理の要素が混入した。是はロマン主義への罹患を示すものである。

とは言えそれに先立ちその徴候は存在していた。詰り既に自己喪失にあったニーチェが状態を悪化させたのである。(第七章)

『悲劇の誕生』完成時こうした状態にあったニーチェは一方では自分の見解をバイロイト運動への寄与という文脈の下で語る等、ヴァーグナーへの過度の傾倒を依然見せる。だが望ましい文化実現へ努力する中で、根本的に健康であるニーチェは他方では同時に自己回復に向かう。彼はロマン主義的見解から脱却し、のみならず『教育者としてのショーペンハウアー』関連の考察では、美的基準に基づく高揚ではなく、誠実に由来する自発的苦悩とそれが齎す生の高次の肯定を説くに至る。同書には又ヴァーグナーからの解放・独立・自由への志向が現れており、のち『バイロイトに於けるリヒャルト・ヴァーグナー』を通じてニーチェはヴァーグナーからの心理的決別を果す。

詰り『反時代的考察』の時代は最悪の自己喪失の中で自己回復への意思が動き出して或る程度進んだ時代だった。(第八章)

『人間的なもの、余りに人間的なもの』所収のアフォリズムの原型は『バイロイトに於けるリヒャルト・ヴァーグナー』完成以前に遡る。その他様々な点で、同書を特徴付ける要素は既に『反時代的考察』の時代に確認出来る。『人間的なもの、余りに人間的なもの』の作成作業はニーチェの自己回復の実践作業であり反ロマン主義的自己治療であった。

自由精神の描写と自由精神の発言から成る同書には、生存に於ける非真理の必然性に由来する生存の価値の是認出来なさというニーチェ哲学の一貫した問題に対する、その回答が提示されている。それは自由精神として学問的態度に基づき認識の為に諸々の意見を変転する、というものである。そして同書とその二つの続編の作成はニーチェ自身による自由精神のこの活動の具体的実践である。結果ニーチェは自由精神と成り、自己を回復し、精神の健康を獲得した。

詰りニーチェの歩み全体の内『人間的なもの、余りに人間的なもの』の時代迄は、彼が自らの思想的立場の基調として自由精神の立場を最終的に確立する迄の紆余曲折である。第一部で導出された彼の哲学の本来的部分は広い意味ではこの時代に確立された。そして『人間的なもの、余りに人間的なもの』の時代の後はこの自由精神の立場を一貫して基調とする。(第九章)

『漂泊者とその影』作成後、自由精神の立場からニーチェは大別して二つの課題に取組む。一つは生存の苦悩への従来の不適切な対処法―例えばキリスト教道徳―の廃棄であり、もう一つは今後目指される適切な対処法―即ち生存の苦悩にも拘らず、又超自然的な助力を必要とせず喜びを齎す術―の確立である。自由精神は人間の快や不快を根底で規定する価値評価の改訂に携わるのであり、それにより新しい価値評価の獲得が準備され、結果快や不快も又変えられる。その新しい価値評価とは苦痛等を伴う認識こそを高く評価するというものである。

このように『曙光』作成期には単なる意見の変転ではなく、更なる、苦痛等を伴う認識の積極的探求が実践されており、その点でニーチェの健康が反映されている。この活動が第一部で導出された、自由精神が試す事を目指して生きたり自分を冒険に晒したりする活動、即ち実験哲学である。詰りニーチェ哲学の本来的部分は本格的にはこの時代に確立されたのである。

だがこの活動も欠点を孕んでいる。そしてこの欠点を補うと共にニーチェ本来の問い―生存に於ける非真理の必然性を承認した上で如何なる生存が望ましいのか―に対する回答を完成させる思想が永遠回帰の思想に他ならない。故にこの思想の到来はニーチェ哲学の一つの頂点である。是以降のニーチェの課題はこの思想の伝達にあり、その為に有用な、この思想の解説・注釈である。その一つの区切りが『ツァラトゥストラはこう語った 第三部』の完成だった。(第十章)

勿論是以降の紆余曲折でもニーチェの活動の最終目標はこの思想を根本概念とする『ツァラトゥストラはこう語った』の理解・伝達にある。

例えば『ツァラトゥストラはこう語った』の一種の解説たる『善悪の彼岸』は苦悩を低く評価する近代性を批判する書であり、永遠回帰の希求を可能にするところの、苦悩を高く評価する価値評価の創造を説く書である。

『善悪の彼岸』の一種の解説たる『道徳の系譜学』も同様である。即ち同書は従来の唯一の価値基準―苦難を低く、幸福を高く評価する価値基準であり、故に生存の苦悩に対し対処療法しか提供出来なかった価値基準―に対して、苦難を高く、幸福を低く評価する価値基準の優位性を論じる書である。

更に、この頃努力された四巻本の『力への意志』の為の作業は結局『偶像の黄昏』及び『アンチクリスト』として結実したのだが、両著作は『ツァラトゥストラはこう語った』や永遠回帰の理解・伝達を最終目標とする構想下で完成した。そしてそれは『この人を見よ』も又同じだった。(第十一章)

以上を総括してニーチェの歩みと哲学を整理する第三部の概略は次の通り。

まず第一部の成果を確認・補足・修正すべく第二部で辿られたニーチェの歩みが整理され、次の通り簡略化される。(第十二章)

  • 奉職以前:自己喪失に陥る
  • 『悲劇の誕生』の時代:自己喪失の度合を高め、ロマン主義に「罹患」する
  • 『反時代的考察』の時代:ロマン主義の見解を脱し、自己復帰への意思を固める
  • 『人間的なもの、余りに人間的なもの』の時代:反ロマン主義的自己治療を施して、自己復帰に至る
  • 『曙光』から『ツァラトゥストラはこう語った 第三部』迄:自己の課題の解決に取組む
  • 『ツァラトゥストラはこう語った 第三部』以降:『ツァラトゥストラはこう語った』の立場の伝達に努める

以上を受けて最後にニーチェ哲学が整理される。その結果ニーチェ哲学の全体が、「英雄的性質」としての「根本的に健康である」ことに基づく、生存に於ける非真理の必然性の承認と、その承認を前提とした最良の生存の追求として、要約される。(第十三章)