『平家物語』の流動と、それが生み出した諸本の意味を、いかに理解すべきか。学界の関心が延慶本という一異本に集中し、その部分ごとの検証に多くの力が注がれている現在、それらの成果を統合し、諸本の総体としての『平家物語』像を描くことは、異本ごとに即した「読み」を通じてしかなされ得ないのではないか。延慶本古態説の見直しが進められている現在にあっては、諸本の二大系統である読み本系と語り本系の関係をいかにとらえ、語り本の成立をいかに考えるかに焦点を当てることは、如上の考察において最も有効な問題設定であろう。

序論「本論の意図と方法―研究史の検討から―」で提示した上記のような意図に基づき、第一部「『平家物語』の諸本の位相」には、延慶本と語り本系それぞれの輪郭と位相を見定めるべく、五本の論考をまとめた。第一編「延慶本『平家物語』の研究」第一章「屋島合戦譚本文考」では、延慶本の屋島合戦譚が後次的な改編を経ていることを指摘し、かつて古態と評価された延慶本に再編性を見出すことが、その構想や文学的意図を析出する糸口たりうることを述べた。その視点のもとで巻十の横笛説話をとりあげ、前後を含む独自の配列がやはり再編によるものであることを明らかにし、それを足がかりに延慶本の新たな構想の解明に踏み込んだのが第二章「横笛説話論」である。延慶本の横笛説話は、滝口の出家後も、横笛との間で繰り返し〈対話〉が生じているという特徴を有しており、その中で二人の苦悩が浮き彫りにされる。それが、独自記事を通じて高野山鑽仰を強く打ち出す前後の文脈と有機的な連関を形成している点に、延慶本の意図を読み取った。延慶本もまた、他諸本とは異なる新たな個性を獲得した一異本なのであり、それは続く第三章「平頼盛像の造型」でも論じている。延慶本は、平家都落の際に敵将頼朝のもとへと走る頼盛の行為を描き出すにあたって、彼が「弓矢取」たることを放棄していたと述べる。その姿は、「弓矢取」であることを貫き、平家一門と行動を共にしようとした者達と鮮やかな対照をなす。「弓矢取」とは、平家への「恩」と「好み」を心に保ち続ける存在であり、両者の対照は、頼盛が「恩」と「好み」を捨てた者であったことを浮上させ、都を捨てた一門が「恩」と「好み」によって繋がれた「弓矢取」の集団であったことをも照らし出す。その独自の造型の多くは、他諸本に見えない記事や表現に支えられており、延慶本を他諸本への展開を考える基点と見るべきではない。

このような延慶本に比して、語り本系の位相はいかに理解できるのか、第二編「語り本系『平家物語』の研究」の第一章「屋代本前半部の構造」では、屋代本を対象として考察を行った。屋代本が、「平家は悪行故に滅んだ」という語り本固有の因果観的構想に基づきながら、独自の物語を志向していることは、「悪行」という語の用例からきれいに浮かび上がる。「悪行」の語を治承三年のクーデターに集中させるあり方からは、屋代本もまた独自の枠組みをもって「悪行故の平家の滅び」の構築を目指したことが看取でき、それは仏法破滅の扱いや鹿ヶ谷事件の意味づけ、「小督」の配置などの上にも認められる。この屋代本の構造からは、「悪行故の滅び」という新たな構想に対して、諸本が、それぞれに異なる理解と方法をもって物語を組み上げていった、語り本の流動の軌跡が読み取れるのだが、ではその屋代本を含む語り本系と、延慶本などの読み本系の間にある、本質的な差異とは何か。巻六を中心とする内乱叙述の検討を通じてこの問題に迫ろうとしたのが、第二章「語り本の形成―巻六の叙述を中心に―」である。語り本系巻六の墨俣合戦譚は、読み本系本文の再編から成っている。その生成過程には、巻六全体を含む長い範囲における大胆な改編があったと思われるのだが、王法の物語から平家の物語へという変質こそ、その改編の最も大きな意味であったことを、語り本の叙述が示している。一方の読み本系は、特に延慶本に明確なように、王法の物語という枠組みの中で、平家の凋落と源氏の興隆を対にして描く構造を持っており、頼朝挙兵譚をもたない語り本系の形は、それを崩したものと認められる。

延慶本と語り本系それぞれの位相と両者の関係について第一部で得た結果に基づき、「頼朝賛嘆型」「断絶平家型」「灌頂巻型」の三種に大別される物語の終結様式に論点を絞って、その変遷について考察したのが第二部「『平家物語』終結様式の文学史的展開」である。第一編「終局部への視点―巻八前半部の検討から―」では、そのための端緒として巻八の〈宇佐行幸〉前後の叙述に着目し、諸本の関係と読解とを示した。語り本系の本文はおおよそ読み本系の下流にあるが、他諸本全てに対して古態性を主張できる本はない。その中で、〈宇佐行幸〉を最も合理的な位置に配し、その機能にも自覚的であったのが延慶本である。延慶本が構築したのは、後鳥羽帝の神器なき践祚を神々の意志で固め、安徳帝の正統性を否定する文脈であり、八幡神の意志を示す〈宇佐行幸〉は、その要となる意味を果たす。皇統への問題意識は他の読み本系にもある程度共通しているが、それを極度に強く打ち出したのが延慶本なのである。一方の屋代本は、そうした問題には極めて無頓着に、それゆえに矛盾をも生じさせながら、叙述の焦点を平家の運命に合わせてゆく。この点は、第一部第二編第二章における考察の結果と相似するのだが、同じ語り本系でも覚一本には、さらに踏み込んだ認識が見られる。屋代本などが捨象した問題に再び向き合い、法皇・後鳥羽対平家・安徳の構図を隠蔽するという、延慶本とも異なる形でそれを描こうとするのである。このような姿勢は以後も一貫していることにより、安徳帝の問題を中心とする王法に関する意識が、終局部の変遷をたどる座標軸たりうることが予想される。

以上を踏まえて終結様式の問題を考えるべく、第二編「終局部の構造と展開」の第一・二章「延慶本の位相(一)・(二)」では再び本文の問題から切り口を探った。「頼朝賛嘆型」の延慶本では、平家子孫粛正を語る記述に多くの改編の跡があり、語り本系に対して祖型たる地位を主張できるものではない。語り本と関係が深いのは他の読み本系諸本である。延慶本掉尾の頼朝賛嘆記事も、独自記事と呼応しながら他本にない文脈を形成しており、その終結様式は、物語の終着点たる平家断絶をいかに解釈しいかに描くかという営為の中から生まれたものに他ならず、諸本流動の産物の一つであるという意味において、他諸本と異なるところはない。現存の「断絶平家型」語り本の位置も、延慶本に対する如上の理解に基づいて考察されるべきであり、続く第三章「断絶平家型の生成」では、巻十二における歴史叙述の意識の差異という点に着目した。王法の歴史語りを志向する延慶本ほかの読み本系は、頼朝と義経の対立の中で弱体化する王法のありようを見出し、平家の人々の運命もそれに関わる形で描いている。その叙述意識は、頼朝賛嘆(延慶本)・建礼門院の往生(長門本・四部合戦状本など)といった読み本系の終結のあり方とも不可分と思われるが、語り本系にはこのような性格は希薄である。語り本系は、世の行く末を見ようとする以上に人々の末路を見定めようとする傾向が強く、それは表現にも構成にもあらわれている。このような視点を獲得した段階に至ってはじめて、平家の嫡流だった六代の死が、物語の結末として定着し得たのであろう。以上の検討からは、両系統はそれぞれ異なる方向に発展を遂げたものと理解することになるが、王法の物語という枠組みに関していえば、再編の中でその色合いを薄めていった語り本系のほうが、より大きな変質を経ていると見られる。二つの系統の関係をこのように理解するならば、問題は自ずと、王法にとっての最大の事件であった安徳帝の存在へと帰着するだろう。第四章「覚一本の成立」では、その点で諸本の中でも最も強い問題意識をもっていると思われる延慶本と覚一本とを対比させ、終局部の変遷に筋道を見出した。延慶本における安徳帝入水は、八幡神の神意とそれを体現する源頼朝による、正統を汚した王の排除である。頼朝はまた、失われた宝剣に代わる存在でもあって、その政治的意義によってこそ、頼朝の覇権は正当性を得て、掉尾で讃えられる。一方の覚一本は、終局部において宗廟神としての八幡を登場させることはなく、安徳帝を排除されるべき王として扱うこともしない。安徳帝をその最期まで「主上」として描く叙述の中には、巻八前半とも通底する、覚一本の新たな論理を読み取ることができる。安徳帝は「主上」として最期を遂げたが故にこそ、平家の悪行がもたらした罪業をその身に背負い、浄化を果たすことができたということ、そして、十二巻の外に特立された灌頂巻において、母建礼門院の祈りによって鎮魂が果たされることで、その浄化は此岸の世界までも包み込むということである。

この覚一本の終局部からは、延慶本的な物語に対する強い意識が透けて見える。それは、屋代本をはじめとする他の語り本系が捨て去ったものに他ならない。「灌頂巻型」たる覚一本が「断絶平家型」語り本系の本文を基として作られたことは疑いなく、現存の延慶本には覚一本的本文の取り込みが指摘されてもいる。しかし、歴史に対する認識の段階としては、「断絶平家型」のみならず、「頼朝賛嘆型」との関わりも視野に入れなくては、覚一本の成立を論じることはできない。現存の「頼朝賛嘆型」と「断絶平家型」は、ともにそれらを遡った地点からそれぞれに発展を遂げたものだったが、「灌頂巻型」の覚一本は、その両者の発展を経た上に成立したものといえるのである。