過去の歴史的事象を核として発祥し、中世に至るまで口承の領域で伝承されてきた英雄詩を素材として書記作品化した「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」は、その成立まで異なる水脈を形成していた口承文芸と書記文芸の交差する地点に立脚しているということができる。そこには、口承と書記という対照の中に、世俗と教会、俗語とラテン語、英雄的世界と宮廷的世界といういくつもの対極が内包されている。言い換えれば、「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」は、二つのメディアが背景として持つ、様々な対立要素の邂逅の場となっているということができるだろう。そうした諸要素のなかでもとりわけ本論文が注目したのが、口承の領域で文化的共同体にとっての「記憶」を伝承するものとみなされてきた英雄詩を、作品素材として書記文芸の地平へと導入し作品化した「ニーベルンゲンの歌」及び「哀歌」において、その「記憶」がどのような形で扱われているかという問題である。

第一章ではまず「ニーベルンゲンの歌」を取り上げ、同作品が口承的素材を書記文芸の地平へと導入した過程と、そこで表出した宮廷的世界と英雄的世界の相克について検証を行う。13世紀初頭、当時書記文芸の一大ジャンルをなしていた宮廷叙事詩は、朗読に適するとされる二行押韻の形式のもと綴られたが、それに対して「ニーベルンゲンの歌」は、「謡う」ことに適した詩節形式や、オーラル・ポエトリー理論が口承文芸の特徴をなすものとして定義する定型的表現を多用する語法によって詩作されており、書かれた作品であるにも関わらず、口承文芸との親近性を受容者に感じさせるものとなっている。そして、「ニーベルンゲンの歌」と口承文芸の関係を象徴的に示すのが、主要三写本のうち写本Aと写本Cに収録されているプロローグ詩節である。この詩節は口承文芸の伝統に則った「語り」の場を書記平面上に疑似的に構築するものであり、それは書記的に詩作され、ゆえに純粋な口承文芸とは異質な作品である「ニーベルンゲンの歌」を、口承文芸の伝統と有機的に結びつける。これら「ニーベルンゲンの歌」に付与された「装われた口承性」により、そこで語られていることが文化的共同体にとっての集団的知識、すなわち過去の「記憶」であることを受容者に意識させ、「ニーベルンゲンの歌」は口承と書記というメディアの間を横断する性質を帯びることとなり、口承の英雄詩の伝える物語の書記文芸の地平への導入を可能にする。こうして口承の英雄詩に語られる文化的共同体にとっての「記憶」は書記文芸の地平へと導入されるが、13世紀初頭の文芸においては、「過去」から伝承されてきた物語を、その物語が発祥をみた「過去」の姿ではなく、現在的な世界の姿のもと語るのはごく一般的なことであり、「ニーベルンゲンの歌」もその例にもれず、物語を宮廷的・キリスト教的論理を前提とした書記的平面へと展開する。ただし、そこには「ニーベルンゲンの歌」特有の、素材と作品の関係に起因する問題が存在する。受容者にとって「ニーベルンゲンの歌」の素材となった英雄詩は既知のものであり、それは英雄的原理を持つ。そのため、「ニーベルンゲンの歌」という作品で語られることと、受容者の記憶にあることが、作品内に重層的に存在することとなる。これにより生まれる重層性が最も色濃く反映されているのが、前編の主役の一人であるシーフリトである。「ニーベルンゲンの歌」の詩人は、シーフリトを物語に導入するにあたり、宮廷叙事詩の主人公と等しい宮廷騎士として登場させるが、ハゲネという作中人物に彼の英雄譚を物語内物語として語らせることで、受容者の記憶の中にある英雄としてのシーフリト像を意識に浮かび上がらせ、彼を英雄的特性と宮廷的徳目双方を具えた人物形象として造形し、シーフリトにまつわる一連の出来事の連鎖を、素材である口承の英雄詩および伝説に見られる英雄的原理と、同時代の文芸と共通する宮廷的徳目および宮廷社会の根幹をなす封建制度に属する諸概念の相互作用の結果として描き出す。そしてシーフリトの暗殺のモチーフをシーフリトの英雄性ゆえに暴かれたブルグント宮廷の孕む欺瞞の結果として提示することを通し、宮廷批判へと結びつける。これを通し、両文芸伝統の融合がなされているのみならず、宮廷叙事詩の枠組みの中ではあり得ない視点が提供されることとなり、それを通して新たな文芸の地平を「ニーベルンゲンの歌」は開く。

第二章では、「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」の特異な写本伝承に着目し、その写本収録の検証を通して同時代の受容者の「ニーベルンゲンの歌」および「哀歌」に対する認識を探る。「ニーベルンゲンの歌」は常に「哀歌」と組み合わされた形で写本に収録されており、「哀歌」抜きでの「ニーベルンゲンの歌」単独での伝承は行われていない。この二つの叙事詩は、時系列的に連続した一つの複合体を形成しているのだが、こうした伝承上の強固な結びつきに反し、正反対の特徴を備えた作品同士でもある。「ニーベルンゲンの歌」が、その独自のニーベルンゲン詩節や口承文芸を模倣した形式的語法などを通し、口承文芸の伝統に連なっている印象を受容者に与える作品である一方、「哀歌」は宮廷叙事詩などと同じ二行押韻形式をとり、語り手の物語に対してとる態度などの面からも、むしろ宮廷叙事詩や年代記といった、書記文芸の伝統と共通の基盤の上に成り立つ作品なのである。従来の研究において、主要写本における「ニーベルンゲンの歌」から「哀歌」への移行部分の、写本収録に際した様式に関して考察を行っている文献としては、ヨアヒム・ブムケによる「ニーベルンゲン哀歌の四つの稿(1999)」が未だに唯一のものである。本論文ではブムケの写本のレイアウトに対するやや恣意的な分析に対して批判を加えつつ、主要三写本での「ニーベルンゲンの歌」から「哀歌」への移行箇所の検証を行い、写字生が両叙事詩の間の視覚的統一によりこの複合体を単一の作品としての外観を演出していることから、各写本は視覚上の工夫を行うことで、両叙事詩を単に並列しているのではなく、連結させることを試みていることを明らかにした。このことは、両叙事詩は時系列的に連続する内容をもつゆえに機械的に組み合わされたのではなく、複合体を構成してはじめて一個の伝承単位として認識されていたことを示している。

第三章では、従来の研究で支配的であった、「哀歌」は「ニーベルンゲンの歌」に従属的で不必要な続編との見解や、単なる注釈という「哀歌」観から距離をおき、第二章で明らかとなった「ニーベルンゲンの歌」が「哀歌」との複合体を形成して初めて写本伝承され得るものとして認識されていることに基づいて、この複合体で「哀歌」の果たした役割を考察対象とした。「哀歌」は大きく三つの区分に分けられ、それぞれが異なる機能を持つ複合的作品ということが出来る。まず第一の区分では、「ニーベルンゲンの歌」の語る物語の因果関係について、「哀歌」は聖職者的視点からの善悪二元論的な注釈を行い、もとの素材の持つ英雄的原理に支えられた物語の因果関係を、宮廷的・キリスト教的価値体系内の概念によって換骨奪胎し、書記的平面に相応しい形で再構成する。「哀歌」はその書記文芸的な形式に相応しく、「ニーベルンゲンの歌」が書記文芸の地平へと導入した文化的共同体の「記憶」を解釈を施す対象とする。これにより、「記憶」は口承の領域における伝承のモデルから離れることとなる。第二の区分では、「ニーベルンゲンの歌」で死した者たちへの「嘆き」と、生者が死者たちの生前の行為およびその生に対して下す裁定が叙述され、死者たちに関する「記憶」の発生する過程が描かれる。そして、第三の区分ではここで発生した「記憶」がパッサウの司教ピルグリムに伝えられ、それが書記的歴史記述として成立し、そこから様々な詩作が行われ、それが口承の領域で伝承されていったことが語られる。ここで口承の領域に存在した文化的共同体にとっての「記憶」が、「哀歌」で描かれるピルグリムの編纂した書記的記録から派生したものとして位置づけられ、口承文芸の伝統と書記文芸の伝統の一元化が仮構されているのである。それにより「哀歌」は、「ニーベルンゲンの歌」にまつわるすべての口承の英雄詩および伝説が、書記機関によって編纂された書記的原典から派生したものであると定義し、「ニーベルンゲンの歌」で語られる物語が書記文芸的な論理上「まことのこと」と見なされる書記記録へと遡行可能であることを示しているのである。そして、写本への収録の際に「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」が複合体を構築していることが重要視されたのは、原典創作の中でもまさにこの口承の英雄詩および伝説への書記文芸的オーソリティの付与と、口承の英雄詩ないしは伝説という形で人口に膾炙している共同体の過去に直結する物語の「正しい」姿を再現するという機能であることが推測される。

この「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」という全く異なる特性を持つ二つの叙事詩からなる複合体の構築への取り組みは、それまではパラダイムを違えていた口承文芸の伝統と書記文芸の伝統を交差させ、一元化して有機的に結合するという文学史上でも特異点をなすものであり、以降のディートリヒ叙事詩群をはじめとする英雄叙事詩というジャンルを拓いたという点で、文学史上エポックメイキングな作品となっている。