本稿は、近代から現代にかけて日本語の中の漢語に起きた変化を考察する。考察対象は、従来比較的注目されることの多かった人為的な漢語変化(近代化に伴う新漢語の受入等)ではなく、人間の意図と独立に起きた、自然変化である。
この時期の言語の自然変化については、特定の語の意味や用法の変化を扱う研究はこれまでにも存在した。その主眼は、多くの場合、個々の語それ自体の変化を分析することにあったと思われる。一方で本稿の目的は、個々別々に起こっているように見える変化の背後に、この時期の漢語を特徴づける何らかの法則や傾向が見出せることを指摘することにある。
各章の概要は以下の通りである。
第1章で、本稿の問題意識を、先行研究にふれつつ提示した。また、日本語における漢語の位置づけについて検討した。その上で、本稿における漢語の定義を示した。
第2章および第3章では、漢語が、近代と現代とで異なる品詞として機能する現象に着目した。主に『太陽コーパス』(近代の月刊誌『太陽』の1895年、1901年、1909年、1917年、1925年の各巻を電子テキスト化してある)を利用し、漢語700語についてコーパス内の全用例を調査し、変化の実態を明らかにした上で、パターンに整理し、変化の傾向を考察した。第一に、限られた調査範囲の中で200超の語に品詞用法の変化が起きていることが確かめられた。それは漢語全体が変化の方向に向かうエネルギーをもっていたことを示している。第二に、品詞用法が変化した語のうち、圧倒的多数が、品詞用法を消失する方向に変化していることがわかった。1語の担う品詞用法は限定化の方向にあったといえる。変化のパターンは多様で、たとえば、「自信」は動詞用法を消失して名詞用法を保持し、「優勝」は形容詞用法を消失して名詞用法と動詞用法を保持する等、様々ある。それらを個々にみれば、形態・意味の面で種々の変化をしているが、整理すると次の傾向を抽出できる。
調査範囲中では、動詞用法を消失した語が最も多く、次いで名詞、形容詞、副詞の順であった。それらの語は、動詞「‐する」、形容詞化接辞「‐なる」「‐な」、「‐φ」(φはゼロ形語末)等の形式を比較的自由にとることにより一旦は品詞用法を広げた。しかし多くの場合、特定の品詞用法の勢力(出現頻度)が伸張した結果、それと意味的乖離のある品詞用法を保持できずに失ったと推定される。結果として、現代に残る品詞用法の表す意味は、消失した品詞用法に比べ、漢字の字義から離れる傾向を示す。
また、名詞用法を消失した語の大半(調査範囲中、約9割)が、近代に〈名詞‐a〉(一般の名詞用法)、〈名詞‐b〉(「‐の」形連体修飾用法)、〈形容詞〉の用法を併せもち、そのうち〈名詞‐a〉と〈名詞‐b〉の用法を揃って失った。現代には「‐な」形の形容詞用法が残る。そのような名詞用法の大量消失という現象は、漢語が、品詞を明示する形式を伴わずに日本語に取り込まれた段階を完全に脱し、和語の接辞を伴い、日本語の形容詞として定着したことを意味するといえる。それは、一般に借用語にみられる現象と類似する。
第4章では、漢語「‐さ」形名詞(例:「確実さ」)が、1910年代頃から増え始め、1917‐1925年の区間に急激に出現頻度が高まった(コーパス出現数調査で4倍)ことを明らかにした。
また、現代にかけて、多くの漢語が「‐φ」形名詞用法(例:「記事の確實を保證する」)を消失していることに着目し、同時期に「‐φ」形名詞が衰退、「‐さ」形名詞が伸張したことは、両変化が相関していることを示すと推定した。
第5章では、連体修飾用法3種(「‐の」形、「‐なる」形、「‐な」形)の勢力分布の年代推移を追った。コーパス内の「‐の」形、「‐なる」形、「‐な」形の合計出現数が70以上の全93語を抽出し、各々における3用法の出現数の年代推移を調べ、そのグラフの形状から、推移のパターンを1~5のタイプに分けた。その結果、近代から現代にかけて、多くの語において、「‐の」形及び「‐なる」形が衰退し、代わって「‐な」形が大きく伸張し、定着したことが明らかになった。特に、1917‐1925年の区間に「‐な」形の増加率が飛躍的に高まる語が多いことがわかった。
注目されるのは、この1917‐1925年という年代区間は、第4章に示した、「‐さ」形名詞用法の出現数が飛躍的に高まる時期と重なることである。そのことは、この時期が、漢語における一つの転換点であることを意味する。すなわち、漢語が最も原初的な名詞として、形態的に無標の形で用いられる段階を脱し、和語の接辞「‐さ」、あるいは「‐な」を伴う、形態的に有標の(品詞を明示するマーカーを具えた)用法が主流になっていく時期と位置づけられる。
第6章では、漢語副詞9語(「俄然」「断然」「無難に」「微妙に」「最高に」「一向」「全然」「到底」「一体」)を取り上げ、近代から現代にかけて、「程度副詞化」「文副詞化」「否定文脈・疑問文脈への限定化」といった文法的変化を伴う意味変化が起きたことを示した。このうち「程度副詞」化は、具体的な意味内容を表す表現から、程度の大小を表す、より抽象度の高い表現への変化と位置づけられる。また、「文副詞」化、及び「否定文脈・疑問文脈への限定化」は、客観性の高い表現から、話者の主観性の高い表現への変化と位置づけられる。
同様の変化は、漢語のみならず、和語や他言語にもみられるが、その中で、これら漢語副詞に特徴的なのは、漢字字義通りの意から離れる方向に変化した点である。字義を離れることにより、文法的変化を伴いつつ、より抽象度の高い表現へ、あるいは話者の主観性の高い表現へと変化し得たと考えられる。それは、漢語が、漢字という基盤への依存度を弱め、日本語の中に溶け込んだことの表れとみることができる。上掲の漢語副詞の中には、現代には平仮名表記が一般化している語があることも、それを体現している。
第7章では、近代の漢語動詞は現代と比べ、自他両用に機能する動詞が多いことに着目し、漢語の自動詞・他動詞体系の変化を考察した。
近代に漢語が自動詞として存立するための条件は〈通常、他から人為的なはたらきかけを受けずとも成立し得る変化を表す〉ことである。この条件は現代に至っても変わらない。一方、近代に他動詞として存立するための条件は〈非情物または非情物と有情物の両方が変化主体となり得る変化を表す〉ことである。この条件は現代に至ると厳しくなり、非情物が変化主体であっても自律性の高い事象は他動詞で表せなくなった。その結果、多くの自他両用動詞が自動詞専用化した。
そのような変化が起きたのは、和語に倣い、自他を分化させる方向へ力が働いたためと考えられる。それは、「‐させる」が他動詞化接辞として機能することにより実現した。一方で、自動詞化接辞にあたる形式が日本語になかったことが、他動詞専用化した動詞の少なさの背景にあるのではないかと推定される。
終章では、第2章から第7章で考察した漢語の自然変化が、次のような方向性をもっていると結論した。
第一に、品詞変化や意味変化の多くが漢字の字義から離れることを出発点としている。それは、漢語が本来拠って立つはずの、漢字という基盤への依存度を弱めたことを意味する。それは、漢語が和語と同化し、日本語の中に溶け込んだことの表れとみることができる。
第二に、「‐さ」形名詞用法の勢力が伸張し「‐φ」形名詞用法が衰退したことと、「‐な」形の形容詞用法の勢力が伸張し「‐の」形の連体修飾用法(〈名詞‐b〉)が衰退したこととは、漢語が、品詞を明示する形式を伴わずに日本語に取り込まれた段階を完全に脱し、名詞化あるいは形容詞化の機能をもつ和語の接辞を伴って、日本語の名詞または形容詞として定着したことを意味するといえる。
第三に、漢語動詞が、自他両用動詞を減らす方向に変化したことは、自他同形主流から、自他異形主流に変化したことを意味する。それは、和語が自動詞と他動詞を異形で表し分けることに倣ったものと考えられる。単純に「‐する」を付すだけの段階から、和語の接辞「‐させる」を利用し、自動詞と他動詞を表し分ける、より複雑な段階へ至ったものと考えられ、漢語の、日本語への同化現象と位置づけることができる。
第四に、特定の品詞用法の勢力が高まり、それとの意味乖離から他の品詞用法が衰退したと推定したが、それは当該の漢語が日本語として定着し、使い慣らされ、語義・用法が、使用頻度の高いもののみに絞られていった結果だと考えることができる。
以上のような方向性の変化は、漢語が日本語への定着度を高めた結果起きたとみることができる。それは一般に借用語が辿る変化と類似する。
しかし本稿で分析対象とした漢語の中には、近代以前から日本の文献にみられるものも多く含まれる。それらが日本で長い時を経てなお近代以降の短期間に変化を一斉に蒙った点は、一般の借用語とは異なる。
近代よりはるか以前に日本に入った漢語に、新語が借用された時のような変化が起きているのは、それまで日常の日本語とはいわば独立に存在していた「漢文」的文体の中の言葉が、明治初年の急激な「混淆」「混乱」期を経て次第に日常語と融合するなかで、「漢文」という言語体系を離れ、日常語の中に深く定着していった結果であると考えられる。