近年、日本の博物館では費用対効果を重視する傾向の強い外部評価に対し、活動の「質」を明示するための自己評価を模索し始め、様々な評価事例が報告されるようになった。果たして、これらの取り組みでは、博物館活動の「質」を適切に評価し、博物館の社会における存在意義を明らかにできているのか。
科学館にはサイエンス・センターのように、次世代に継承すべき貴重な標本や資料を持たない館もある。このような科学館が社会に存在する意義とは何か。本論では、この科学館に注目し、その特徴をなす体験型の展示や実験演示、実験教室など「人」を介した教育プログラムの成果を適切に評価することが、科学館の存在意義を示し得る一つの方法になるかを考察した。
本論第1部では、科学館の教育プログラムの意義を考察した。第1部第1章では、人々にサイエンス・リテラシーを習得する必要を迫る社会状況を解説した上で、科学技術を学ぶ意義とは、新しい知識や技術を得るだけでなく、日常生活に活かすことのできる論理的な思考方法を獲得することであると指摘した。また、科学研究や技術開発へと人と向かわせるのは、取り組むべき現実的な課題があるからだけではなく、知的好奇心や探究心に駆られる場合もあり、そのプロセスは驚きや感動に満ちた行為である。まだ解明されていない事象は多く、挑戦すべき課題は次々出てくる。このような科学や技術を学ぶ意味を明らかにした上で、科学館の教育プログラムを他のメディアや機関、単発のイヴェント等と比較して、その4つの特徴を考察した。すなわち、①学校や家庭では備えられない実験や工作の器具や設備を有し、それを活用した体験型のプログラムを実施できる点、②子ども達にとっては身近な憧れの存在にもなり得る専門知識を持ったスタッフが常駐する点、③子ども達や人々に芽生えた関心を育てるために、常設機関として継続したプログラムを実施できる点、④関心を同じくする様々な地域の児童や生徒、大人が集まり、参加者が日常の生活では出会えない人々と共にプログラムに参加する点である。
近年の科学技術施策では科学技術の専門家と市民の間の「双方向のサイエンス・コミュニケーション」が求められている。本論では、科学の営みを文化と捉えて、子ども達を「科学する文化」へと誘い、「科学の語らい」を続ける必要性を説く認知心理学者の佐伯胖の主張[i]を紹介し、「科学する文化」、「科学の語らい」という観点からサイエンス・コミュニケーションの本質について考察した。上記の4つの特徴を有した科学館の教育プログラムがサイエンス・コミュニケーションを実現する可能性を示唆した。
第1部第2章では、次の3つの科学館の歴史を紐解いて、館の活動の中での教育プログラムの位置付けを社会からの要請や期待と共に解説した。前身の創設を明治期に持つ独立行政法人国立科学博物館と、昭和の高度経済成長期に創設された科学技術館、21世紀に創設された日本科学未来館である。その役割は時代と共に変化してきており、教育プログラムは、サイエンス・コミュニケーションの機会の創出が求められている今、「人との関わり」をより意識した展開を見せていることを解説した。
本論第2部では、サイエンス・コミュニケーションを実現する可能性を持った教育プログラムの評価方法について考察した。第2部第3章では、科学館による評価事例と、科学館とは異なる主体による評価事例を精査し、日本の博物館評価をめぐる取り組みの背景と共にその意義と課題を考察した。
第2部第4章では、欧米の来館者研究を精査し、教育プログラムの成果を適切に評価するには、人々の「体験」に注目する重要性を説明した。更に、体験を捉えるには人の人生という長いスパンで、かつ、より広いコンテクストにおいてそれを眺める必要性を指摘した。来館者研究においてこれは取り組むべき重要な研究として位置付けられており、他分野の知見を参考にし、質的な調査を実施する必要性を解説した。具体的には、科学館体験の「記憶」について人々に面接調査することが有効な手法となる可能性が示唆された。そして、科学館体験の記憶に関連した欧米の先行研究を紹介し、その意義と課題を考察した。先行研究の課題は、構成主義の視点で学習を広く捉えて体験を把握しようとしながら、なお認知面での学習に注目する傾向が強いことである。過去の体験を思い出して意味付ける人々の語りの「主観的現実性」の捉え方も重要な課題であり、関連諸分野でこの問題に取り組む視点を紹介した。エピソード記憶または自伝的記憶の研究では、その語りがどれほど客観的な真実に近いかという点より、調査対象者が意味付けて語ったという行為の意義に注目する。本研究でも、調査対象者の意味付けの意義に主眼を置き、かつ、広いコンテクストで体験を捉えて語りを分析するために複数の調査手法を採用することとした。
本論第3部では、筆者が実施した調査研究「記憶の中の科学館」について解説し、他事例と比較し、その意義と課題を考察した。第3部第5章では、科学技術館サイエンス友の会の調査年度時及び10年から30年前の過去の会員を対象に、参与観察と質問紙調査、面接調査、聞き取り調査を実施して、記憶されている体験とそこから受けた影響を探った筆者の研究について解説した。調査協力者のバックグラウンドを調査し、過去の体験の意味付け、現在の意見、未来への展望についての語りを「コンテクストに基づいた学習モデル」[ii]という枠組みも用いて分析した。調査協力者が意味付けた友の会とは、日常生活や学校ではできない体験ができる場所、科学的なものの見方を楽しみながら育むことができる場所、疑問を抱く重要性を知った場所、科学と触れ合えた大事な場所、学外で「よい大人」に出会える場所、家族との思い出の場所、そして学校や家庭とは別の居場所であった。特に、参加者が自身で設定したテーマに継続的に取り組み、スタッフや参加者同士との関わりが濃厚なレオナルド・ダ・ヴィンチ教室は、論理的な思考方法を身に付け、科学研究に限らず生きていく上での作法を学べる場となり得ており、「科学する文化」を味わえる場となっていることを明らかにした。こうして、筆者の調査では、展示の理解度や理系への進学率、理科が好きになったかを選択式で問う調査は明らかにできない、活動の成果を掴むことができた。また、友の会と科学技術館が活動を進展させていくための提案をまとめられた点も、調査研究の意義と言える。しかし、課題もある。複数の手法を用いて他の要因にも目を向けた更なる分析をすること、調査協力者が調査者の意図を汲んで語ることを更に考慮して分析すること、そして、一般論ではなく、特定の人々の個人的な体験の意味を探ることで活動の意義を検証するという研究の意義を確認した上で、否定的な意見を持った人も含めてより多くの人に調査を実施することである。他分野の知見と調査手法を参考にし、またインターネットを利用したアンケートの実施や、インターネットでのモニター調査を実施する機関への委託調査を検討して、この課題に取り組んでいきたい。
第3部第6章では、「青少年のための科学の祭典」で実験演示を続けている奈良学園中学校・高等学校の「科学館を愛する生徒の会」のメンバーを対象にした、筆者による調査について解説した。サイエンス・コミュニケータとしての役割を担った生徒達にとっての3年半前から数カ月前の体験の意味を、面接調査によって明らかにした。彼らが習得していくのは、実験演示のスキルだけでなく、担当教諭や上級生を手本にした生き方に関わるものであることが明らかになった。更に、彼らは筆者の調査を受けたことで、この活動が記憶となって残る「未来」を想像し、「現在」の活動の意義を自ら考え始めた。サイエンス・コミュニケーションを実現するための学校教育の役割についても考察した。
第3部第7章では、10年以上前の科学館の思い出のエッセイを募集した名古屋市科学館による調査「なつかしの科学館 思い出募集」を、筆者による調査と比較し、調査の意義と課題を考察し、サイエンス・コミュニケーションを実現するための家庭の役割についても解説した。
以上のように、本論では、科学館の教育プログラムに関与した人々の記憶を調査研究することが、プログラムの成果を明らかにする方法であることを考察した。調査研究「記憶の中の科学館」で明らかにしたのは、必要な情報や知識を得る場としてだけでなく、「人」との関係において語られた体験の意味であった。21世紀に入り、「人」を介したサイエンス・コミュニケーションの場としての役割が重視されるようになったからこそ、尚更、教育プログラムの持つこの意味は重要である。
21世紀の科学館では、このような場の創出を意識すると同時に、過去と現在の活動を未来につなげることを意識した教育プログラムを組み、その成果を提示することで、社会から期待されている役割を超え、社会に不可欠な機関となり得るのではないだろうか。その評価では、長期的で幅広い成果を提示するだけでなく、そこから活動にフィードバックできる点を見出すことが重要である。筆者にとって人々の記憶を問うことは、ノスタルジックに思い出を集める行為とは全く別のものである。科学館体験の多様な意味を明らかにしたと同時に、友の会や科学館の運営を進展させていくための提案を導くための調査でもあった。語りの分析の方法や広く意見を求める方法の課題への対応に取り組み、科学館体験の記憶の調査研究をこれからも進め、科学館の教育プログラムの意味、科学館の存在意義を更に考察していきたい。