本研究は、二十世紀のイタリア文学を代表する作家、イタロ・ズヴェーヴォ(1861-1928)の書いた三つの小説を主な研究対象として論じたものである。
イタロ・ズヴェーヴォは、その晩年、彼の人生において「一冊の小説」しか書かなかったのだと繰り返した。この言葉は何を意味しているのか。1929年、G・デベネデッティは、ズヴェーヴォ小説の主人公たちに共通する性格として「不適応者」inettoという概念を提出した。このときから、現在に至るまで、ズヴェーヴォの小説は、もっぱら、近代社会への「不適応」あるいは「不適応な男」という概念によって解釈されてきた。
そこで、本研究においては、デベネデッティの打ち立てた「不適応者」という大きな影から脱して、新たなズヴェーヴォ小説の解釈を提案しようと考えた。そこで、先行研究、またズヴェーヴォの残した資料の精読から、以下のような手掛かりを得た。
【1】ズヴェーヴォの小説は、しばしば、その時代に人気を博した小説をモデルとして書かれている。しかし、これらのモデルは意図的に転倒されて、ズヴェーヴォの小説は、パロディの要素をもった「書き直し」となっている。
【2】1880年から87年にかけて書かれた地方紙に掲載された記事において、ズヴェーヴォは、時代の「先入観」pregiudizioと、その「先入観」の下に隠されてしまう「真実」veritàに関する分析を繰り返しておこなっている。
ズヴェーヴォの小説は、時代の共通認識的な言説を皮肉な視線によって再解釈する、一種のパロディとして創作されたのではないか。そしてそれは、ズヴェーヴォの中に、一貫して、当時の社会に広く行き渡っている言説の真実性に対する、ある種の疑いがあったからではないだろうか。ズヴェーヴォの小説は、形式的には既存のテクストを模した形となっているが、その中では、先行モデルとなるテクストに異質の要素が導入され、本来のテクストが意図的に転倒させられる。このことによって、既存の言説、当時の人々が共通して抱いていた認識の虚構性が暴き出される仕組みとなっているのではないだろうか。
以上のような仮説が正しければ、「一生にひとつの小説しか書かなかった」という言葉は、デベネデッティが指摘し、これまで多くの研究者たちが追随してきた「不適応者」というテーマの一貫性ではなく、むしろ、小説を創作する際の問題意識の一貫性のことを指していると解釈するべきである。すなわち、ズヴェーヴォの小説は、社会に広まっている共通認識(「先入観」)の不完全性を明らかにし、「現実」の姿を明らかにすることを一貫して目指してきたのではないか。

上に述べた仮説を証明するために、ズヴェーヴォが小説を書く前に書いた評論記事、三作の小説、没後に発見された短編小説について分析をおこなった。長編小説三作品に関しては、まず、先行するモデルとなるテクストを挙げ、小説との比較検討を行い、次に、その比較に基づいて小説の新しい解釈を提示することを試みた。
第一章においては、1880年から1887年までに書かれ、トリエステの新聞に掲載された批評記事を、何度も批判の対象となる「先入観」pregiudizioという言葉を鍵として読み解き、若き日のズヴェーヴォの問題意識を明らかにした。この「先入観」は、社会の共通認識と言い換えられるものであるが、ズヴェーヴォにとっては、「真実」veritàへの到達を阻む障害、「真実」の上に被せられた覆いのようなものとしてとらえられている。この章ではさらに、同時期に執筆され、「先入観」と「真実」の二項対立が非常に明快に表現されている短い戯曲についても検討する。
第二章においては、「先入観」と「真実」に対する問題意識が、第一作目の小説『ある一生』においてどのように表現されているか検討する。ズヴェーヴォ小説の構造を簡単に説明すると、ズヴェーヴォ小説は二つの地層から成り立っていると言える。まず、第一の層においては、当時、一般的に普及していたモデル(「先入観」にあたる部分)がある。第二の層においては、そのモデルから逸脱してゆく物語(「真実」にあたる部分)がある。
まず、『ある一生』のモデルと考えられるフランス「教養小説」の代表的な作品と、『ある一生』との比較をおこなった。その結果として、『ある人生』においては、物語の舞台として「教養小説」のさまざまなトポスが踏襲されていること、一方で、この小説世界を動き回る主人公アルフォンソは、「教養小説」の従来の主人公たちとは異なる、弱い性格を有した登場人物であることを指摘した。それによって、この小説は「教養小説」にありがちな展開が転倒するように仕組まれているのである。
次に、主人公アルフォンソと彼の動きまわる世界に焦点を当てて分析し、この小説において、登場人物たちの言葉や振る舞いの演劇性、すなわち虚偽性が強調されていることが明らかにした。スタンダールやバルザックの小説の舞台であるパリからは遠く離れた、辺境の町トリエステで、アルフォンソの世界は、パリの不出来な模倣としての姿を現す。ズヴェーヴォ第一作目の小説は、フランスの「教養小説」という、当時多くの人々が共有していたであろう人生解釈の仕方に一つの疑問を投げかけているのである。
第三章においては、第二作目の小説『セニリタ』を取り上げる。ここでは、まず、モデルとなる小説として、ヴェリズモ小説を書く以前のヴェルガが書いたメロドラマ風の小説群を挙げる。そして、これらの小説のさまざまな場面が、『セニリタ』においては、登場人物エミリオ、アマリアの空想や夢として現れ、彼らの夢と現実の落差が非常に皮肉に描かれていることを示す。
次に、この小説の題名『セニリタ(老衰)』の意味について考察する。これまで、「老いた」状態にあるのは、主人公エミリオの精神状態であると言われてきた。筆者は、もっと限定的に、エミリオの固定観念、すなわち「先入観」、そして、彼の思考を構成している新鮮味の失せた「言葉」と考えることを提案する。生半可な文学者であるエミリオは、現実をそのままに捉えることができないが、それは彼から繰り出される文学的な修辞に満ちた言葉が、現実に直接に視線を向けることを阻むからである。彼はアンジョリーナをヴェルガの小説に現れるような「運命の女」として捉えようとするが失敗する。小説の後半は、エミリオが絶望的にアンジョリーナという謎を追う展開となり、それは、「先入観」では捉えられない「真実」を懸命に追究することとも重なってゆく。つまり、この小説においても、「先入観」によっては現実の全体を捉えることはできないということが示される。さらに、「先入観」を構成するものとして、言葉、そして文学の価値が強く疑問に付されてもいる。
第四章においては、『セニリタ』から『ゼーノ』までの空白期間に書かれた短編小説を分析し、この時期のズヴェーヴォがおこなっていた試行錯誤の道筋を辿った。『セニリタ』で小説の「言葉」について否定的な自己言及を行ったズヴェーヴォは、この時期に小説の「新しい言葉」、新しい表現方法を模索していた。この章においては、『ゼーノの意識』がどのようにして生まれたかという疑問に対しても、新たな説を提出する。これまでは執筆の最後に一章、二章、そして最終章が「枠」として取り付けられたのではないかと言われてきたが、この空白期間の作品を分析することよって、『ゼーノ』の構成の明確なアイディアが、おそらく小説執筆の最初からあったと推測できる。
第五章においては、第三作目の小説『ゼーノの意識』を取り上げる。まず、この小説と、当時の精神分析、精神医学との関係を論じた。小説には明らかにフロイトの精神分析の影が落ちているにもかかわらず、患者に手記を書かせるという方法は、精神分析治療の観点から見て正統ではないという指摘がなされてきた。ここで、『ゼーノの意識』の創作にヒントを与えたものとして、フロイトが精神病患者を患者の自伝から分析した論考の存在を指摘した。この分析に材料となったのはD・P・シュレーバーの自伝(1905)である。『ゼーノの意識』は、この自伝を模しており、「精神を病んだ者」が、自らの意見を開陳すると同時に自己を弁護するために書いた「自伝」として書かれたと考えられる。すると、『ゼーノの意識』の解釈には、精神分析と並んで、当時の精神医学の影響も無視できない。そこで、当時の精神医学の立場からこの小説を解釈した。それによって、精神分析治療が諧謔的に皮肉られ、その信用性が揺るがされる仕組みになっていることが明らかになった。ここでは、「おしゃべり治療」talkingcureという枠組みの中で語られる「物語」がどれだけ意図的なものであるか、ということも問題化されている。つまり、この小説においても、「モデル」となる「精神分析」が、転倒される結果となっているのである。
次に、『ゼーノの意識』における「病気」と「健康」という言葉の考察を通して、この小説の皮肉の矢は、精神分析だけではなく、その先の、精神分析に代表される、ブルジョアの市民生活の価値体系全体を標的としていることが示される。
ズヴェーヴォは第三作目の『ゼーノの意識』という小説によって、20世紀のイタリアを代表する作家となった。そこで、従来から、第二作目と第三作目の小説の作風に「断絶」があること、この間に作家の中で何か変化があったことが強調されてきた。しかし、作家の執筆活動により忠実に寄り添った形で資料を読みなおせば、むしろ、彼は、「先入観」(当時の人々の共通認識)から「真実」を浮かび上がらせることのできるような小説を、一貫して追求していたことが明らかになる。ここから、ズヴェーヴォの「ひとつの小説」という言葉が、それまでの解釈とは異なる意味を持って、小説家の問題意識の一貫性として理解されるのである。