中国仏教史において元代仏教思想が果たした役割を如何に認識し、評価するのかという問いは、明清から現在までの近現代中国仏教思想研究にとって取り組むべき重要な課題である。元代の仏教思想は、その影響が明清時代、さらに現在にも及ぼしたものであるが、それについての研究はまだ多くない。
そこで、本論文は『蓮宗宝鑑』に見られる仏教思想を中心として、その根本である思想基礎を明らかにした上で、元代浄土教の全体像や元代仏教の時代的性格を分析し、その中に伝統思想との連続性や、新教説に象徴される創新性を見出そうとするものである。

以下に、各章における要約的な結論を示す。
第一章「普度の時代背景と伝記研究」では、元代から清代までの代表的な普度の伝記を挙げ、その生涯を紹介しつつ、白蓮教の禁止から普度による復教成功までの経緯を跡付けることによって、普度の精力的な活動を通じて、元代の白蓮教が最盛期を迎えたことを明らかにした。

第二章「普度の現存する著作に対する検討」では、主に『蓮宗宝鑑』の成立過程と、同書の内容および書名の由来について考察した。『蓮宗宝鑑』の成立年代についても検討しており、同書の成立が、普度による序文が付された大徳九年(1305)から、彼が同書を携えて大都に赴いた至大元年(1308)までの三年強の間であることを指摘した。また同書に引用されている経典や著書の特徴を検討することで、普度の浄土信仰の根底をなす思想を解明した。

第三章「念仏者是誰―その思想源流について―」では、禅と念仏の接点に着眼し、元代から現在まで続く「念仏者是誰」という教説の思想的源流を検討し、その思想が後代において見せた変遷を跡付ける。まず、教説の思想的源流への検討において、その内容が宋代以降、影響力を増した黙照禅や看話禅および在家者に広まった念仏を、南宋の茅子元が融合させたものであることを明らかにした。ついで、その後の思想的変遷を、念仏と参禅という極を行き来する展開として提示した。即ち、この教説は茅子元によって、浄土の念仏法門に参禅を取り入れた新たな修行方法として提唱されたものであったが、元末の果満以降、強調点が念仏から禅へと移っていき、明清期には徹底的に禅宗の公案へと変化した。中華民国期には念仏・浄土の伝統に復帰させようとする虚雲が現れたが、続く來果や、現代の南懐瑾は明清の影響から、純粋な話頭として説いているのである。

第四章「唯心思想」では、唯心念仏と唯心浄土を中心にして、元代における唯心思想の発展について論じる。まず、『蓮宗宝鑑』への検討によって、称名念仏ではなく唯心念仏を主張する唯心念仏思想が、主に華厳思想に基づいており、仏の本願力に頼らず、衆生自身の力を強調していることを明らかにした。『蓮宗宝鑑』は澄観や智顗の思想を基盤とし、唯心思想への多角的な解説を試みており、それを鮮明な唯心念仏説・唯心浄土説まで充実、発展させたことを明らかにした。続いて、『円融四土選仏図』における唯心浄土思想を検討した。同書は、智顗の影響を受けて、人々の根機の違いにより、往生できる浄土を四種に分けて、それが心以外に求められないと主張するものであった。また、浄土の他力修行も自力修行と同じく悟りに達し、仏に成りうると宣揚している点に特徴が見出せる。

第五章「臨終思想」では、中国浄土教における臨終思想の重要性を検討した。『蓮宗宝鑑』における臨終思想が、従来の臨終思想の集大成に留まらず、独自の発展を遂げていることを明らかにした。本論文が強調したその特色とは以下の三点である。一つが、普度の「臨終の際の見仏は、・・・ただ心の顕現にすぎない」という説明に見られるように、臨終思想中に唯心論が取り込まれている点である。また、この臨終思想が唯心思想の立場から、在家者に孝行を説いた点も注目される。最後に、浄土教の臨終思想の重点が平生の修行より臨終の念仏へ移っている点である。これは、宋末元初に至って、浄土教の臨終に関する考えの一般社会における受容が進むと、平生に念仏をしたことがない人を慰撫するために、浄土往生の過程の簡略化が進んだ結果として、説明することができるのである。

第六章「元代仏教の特色―居士仏教のあり方」では、元代仏教の特徴―元代仏教には、在家信徒が主体となる居士仏教としてのあり方が顕著である点―を明らかにした。元代仏教は、在家信徒に、念仏を中心に、持戒・布施・放生・読誦・写経といった助行をも修行として勧めただけでなく、その世俗生活における実践をも規定した。そこでは、現実生活における責任が重要視され、自分で生計をたてること、親孝行を尽くすべきことが強調された。こうして、元代の白蓮宗によって在家仏教的なあり方が始めて確立・定着を見たのであり、それは明清代を経て、現代の中国においても行われている。『蓮宗宝鑑』に確立される在家仏教の雛型は、中国近現代居士仏教の基礎をなすものであると言える。居士仏教の系譜を考える上で、同文献の有する思想史的な意義が確認された。

いままで中国白蓮教についての先行研究は、或いは歴史学の角度から元以後の白蓮反乱事件を重点として、その巨大な政治意義を研究し、或いは宗教社会学の立場から白蓮運動の社会現実における大きな影響を研究しているものであり、いずれも注目されている研究成果をあげた。しかし、それらの研究は元代白蓮教の教理思想について、まだ深く追究されていない。
白蓮教が元代およびそれ以後の社会や政治にそれほど巨大な影響を与えた理由は、その教義には鮮明な特色と革新的なものがあるからにほかならない。しかし、元代白蓮教の仏教教義に対する貢献と価値はまだ明らかにされていない。
本研究は仏教学の立場から、元代浄土教の代表的な文献である『蓮宗宝鑑』を中心にして、元代浄土教教義にある革新的な理論とその特有な価値を解明するものである。
『蓮宗宝鑑』の思想に大きな影響を与えたものとして、本論文は二つの思潮を強調した。それは唯心思想と諸教融合の思想である。唯心思想とは、心性は本来清浄なものであり、解脱の道はその本心を悟ることにあり、一心の中に一切が存することなどを強調する。これが、『蓮宗宝鑑』の基本的な立場である。同書において、この思想は浄土教の枠内の教義、例えば、念仏や仏国土、臨終などに関する思想などを統一する基盤であるだけではなく、浄土教の念仏修行を、禅宗の黙照禅や看話禅と融合させる仲介ともなっている。諸教融合の思想について、普度が「真如本性者、……禅宗則曰正法眼藏、蓮宗則曰本性弥陀、孔子則曰天理、大易則曰太極。名雖有異、其実同一真如本性也」と述べているように、端的に言って、彼は真如本性という言葉を借りて、仏教と儒教、道教の統一を目指したのである。
『蓮宗宝鑑』は在家者に向けた著作であり、在家仏教の宣揚を意図したものである。この特徴から窺われるように、元代に至って、浄土教の主流はすでに在家仏教にあった・移りつつあったのであり、それこそ元代仏教の時代的性格として強調されうる。
中国仏教史を俯瞰的に見る際に、寺院仏教の歴史的記述は欠くことのできない部分である。仏教の教理を理解・継承し、修行・実践に専一する職能者を輩出した寺院仏教は、仏教の周縁・輪郭を大衆化・通俗化した民間宗教とする意味において、核となる部分だと言うことができるだろう。しかし、その一方で、中国仏教史における在家仏教の記述を欠いたならば、仏教の大衆層への受容、ひいては中国文化の一部分として発展して行く様子を等閑視することになる。インドから伝えられた仏教は宋元時代に興った在家仏教を通じて、教義の庶民化を遂げ、ようやく広く中国文化の中に取り込まれた。元代以前の仏教者による著作のほとんどが出家者に向けられたものであることに対して、『蓮宗宝鑑』は在家者に向けて仏教教義を解説することを意図して編まれている。このことは、正に上記の変容過程を反映しているのであり、つまり在家仏教が次第に寺院仏教に代わり仏教の主流となっていくという時代の潮流を示すものだと考えられる。
『蓮宗宝鑑』は、元代浄土教の全体像を把握する材料を提示している。この時代、浄土教は、朝廷からの強い支持を獲得した上に、独立している組織や特有の教義と、多数の在家信徒を有した。非常に多くの寺庵と、在家者の運営する堂が作られ、そこから浄土教の教義を広める典籍が適時出版され、毘廬大蔵経も再刻された。これらの記述は、元代浄土教の盛況を伝えるものである。
元代の仏教は宋代の思想傾向を継承し展開させ、明清の仏教思想に重要な影響を与えたものであり、近世仏教思想の基礎を築いたものとして、その意義が確認されるべきなのである。