視覚システムは注意を向けることで,行動に必要な視覚情報を選択し,認知することができる.しかし,視覚情報が高速に呈示される事態では,視覚システムは呈示されたすべての刺激を認知することができない.その理由として,視覚システムには処理資源の制約があること,視覚システムは高速に呈示される視覚情報に対して注意を適切に向けることができないことが挙げられる.最近報告された「注意の目覚め現象」は,後者に密接に関連していると思われる.注意の目覚め現象とは,高速逐次系列の初頭部分に挿入された標的が見落とされる現象であり,視覚システムが高速に呈示される視覚情報に対して,注意を最適化する過程を反映している可能性が高い.しかし,現段階では,注意の目覚め現象について解明されていない点が多い.そこで,本研究では,注意の目覚め現象から,視覚的注意の時間特性,特に視覚システムが高速に呈示される視覚情報に対して注意を向けるメカニズムを明らかにすることを目的とした.
第2章では,注意の目覚め現象の時間特性に注目し,高速逐次系列に対して最適化された注意が,系列の終了後にどの程度の期間維持されるのかを検討した.そのために,高速逐次系列に時間的空白(中断期間)を挿入し,中断期間の長さを操作することで,視覚システムが系列に対して最適化された注意の状態を維持することができなくなるまでの時間を調べた.その結果,高速逐次系列に1000msの中断期間が挿入されると,中断期間終了後に標的同定率は一時的に低下することがわかった(実験1).一方,1000msの中断期間終了後であってもプローブ定位課題の成績は低下しなかった(実験1-3).この文字同定課題に特異的な成績低下は,視覚システムにおける(覚醒水準の低下など)認知機能全般の不全では説明できず,課題に対して最適化された注意の状態が維持されなかったために生じた現象であると考えられる.つまり,視覚システムは,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態を,1000msの中断期間を越えて維持することができないことがわかった.第2章の結果から,視覚システムは,処理資源が利用可能な状態であっても,高速逐次系列に対して注意を最適化しなければ,標的文字に対して必要な処理資源量を投入することはできないことが示された.つまり,視覚システムは,課題に特異的な注意の状態を形成し,課題に対して処理資源を適切に投入することによって,情報処理を効率的に行うことができるようになると考えられる.
第3章では,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態が維持されるための条件を調べ,高速逐次系列における注意の時間特性を考察した.第2章の結果から,系列に対して最適化された注意の状態は,単一の系列内で維持されることが示唆されたため,実験4では,文字系列を単一のランダムドット系列の上に重ねて呈示し,注意の状態が維持されるか否かを調べた.その結果,視覚システムは,課題とは直接関係のない単一の系列に基づいて,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態を維持することができた.その後の実験では,ランダムドット系列と文字系列が完全に同期しない事態(実験5),また特定のランダムドットパターン(オブジェクト)がフリッカせずに連続的に呈示される事態(実験6)でも,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態は維持されることが示された.これらの結果から,視覚システムは,単一のランダムドット系列の開始と終了(実験4,5),あるいは単一のオブジェクトのオンセットとオフセット(実験6)によって定義された(区切られた)期間内で,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態を維持することができると考えられる.
さらに,中断期間のみにランダムドット系列を呈示し,系列のカテゴリを試行の途中で変化させたところ,1000msの中断期間終了後に標的同定率は一時的に低下した(実験7).つまり,系列に対して最適化された注意の状態が維持される期間は,同一カテゴリの刺激入力に依存することが示された.また,単一のランダムドット系列を文字系列とは異なる空間領域に呈示したところ,1000msの中断期間終了後に標的同定率は一時的に低下した.これらの結果から,視覚システムは,オブジェクトの継続性によって定義された期間,及び空間領域において,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態を維持することができると考えられる.最後に,実験9では,高速逐次系列に対して最適化された注意の維持は,オブジェクトの知覚に基づくことを示した.以上の結果から,第3章では,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態は,オブジェクトの継続性によって定義された期間及び空間領域において維持されることを明らかにした.
第4章では,第2,3章で得られた結果に基づき,視覚情報が高速に呈示される事態における視覚的注意の時間特性について議論した.視覚的注意の空間的側面に関する研究では,情報処理の階層性がこれまで指摘されてきた(オブジェクトベースの注意).つまり,視覚システムは,全体的な情報(空間的なまとまり)に対して優先的に注意を向け,その後,局所的な情報に対して注意を向けると考えられている.第3章では,高速逐次系列に対して最適化された注意が,オブジェクトの継続性によって定義された時空間的なまとまりに基づいて維持されることを明らかした.したがって,系列に対して最適化された注意の維持はオブジェクトベースであり,視覚システムにおける情報処理過程には,時間的側面においても一種の階層性が存在することが新たに示された.
近年,視覚における情報処理過程は再帰的なプロセスであるというモデルが,心理学と神経科学の双方の立場から提案されている.これらのモデルでは,視覚における情報処理過程は,低次の段階から高次の段階への逐次的な処理と,高次の段階から低次の段階へのフィードバックに基づく再解析の相互作用のプロセスであると考えられている.特に,高次の段階からのフィードバックは課題に特異的な注意を反映しているとされており,再帰的な情報処理の考えは,本研究の結果との整合性が高い.本研究では,視覚システムは,入力情報の逐次的な処理に基づいてオブジェクトの継続性を知覚し,系列に対して注意を最適化していたと考えられる.そして,最適化された注意に基づいて,入力情報の再解析を行っていたのだろう.加えて,本研究では,系列に対して最適化された注意の状態は,オブジェクトの継続性が知覚される限り維持されることが示された.
以上のように,本研究では,高速逐次系列に対して最適化された注意の状態がどのように維持されるのかを調べることで,視覚情報が高速に呈示される事態における視覚的注意の時間特性を明らかにした.