横光利一(一八九八~一九四七)の文学世界は一言でいうと、抽象化された表現の世界として定義することができる。横光は、時代の風潮と交通する、あるいは時に没交渉なところから抽象化された表現を獲得し、その表現をもって常に自我と世界との対立構造を考究していった人であった。初期に持っていた西洋文学への関心から、一九三〇年代前後に個と国家の問題を描き、戦中期には『旅愁』を書いて「日本」というものを表象していく動きを見せている。
注意すべきは、このような動きが小説の「形式」上の変貌をつねにもたらしていたという事実である。大枠でいえば、言語の多様な可能性を試みた短篇小説から、時代の問題に取り組んで長篇小説へと移動していった変貌がそれに該当する。本稿では、三つの部に分けて横光の作品を中心に、「短篇」と「長篇」の形式がいかに時代的コンテクストを構築していくのかを分析してみた。
第一部においては、主に横光の初期における短篇小説を対象に、小説言語の多様な可能性を検証した。初期の横光は西洋文学へ関心を示していたその一方で、芥川龍之介や志賀直哉などの大正期の先達の影響を大きく受けており、そこから自身の文学世界を差別化し、構築していこうとした。「新感覚派」時代における文学活動はそれを表している。対象にあらかじめ絶対的な意味を付与せずに、新しい「感覚」をもって対象をとらえていく「表現」と、それを導き出す「言葉」に重点をおいて、「虚構」と「象徴」の世界を描いている。『日輪』(「新小説」大正一二年五月)と『花園の思想』(「改造」昭和二年二月)を分析し、「言葉」によってつくられる抽象の世界が、内容を導き出す小説の「形式」的な側面へつながっていく論理を確認した。また、『機械』(「改造」昭和五年九月)における自己言及的な語りの構造を分析し、一人称の語りが物語空間に「虚構」性をもたらす仕組みを論じた。物語空間をつくる表現主体の問題が前景化しているこの時期の横光の問題意識は、来る長篇小説の時代を準備するものでもあったのである。
あわせて、大正末から昭和初年代にかけて高揚したプロレタリア文学にも視野を広げて分析をおこなった。横光はプロレタリア文学の反対側にいたようにとられがちだが、実際は互いに影響関係があり、そのなかで横光が小説における「形式」の問題を追究していった痕跡が見られる。とくに、早くに大正末から長篇小説の可能性を見い出していたプロレタリア文学側の論議は、示唆的な見解を示している。こうした観点から、「書く」ことを顕在化してプロレタリア文学における表現の新しさを試みている葉山嘉樹の長篇、『海に生くる人々』を分析した。
第二部においては、横光が本格的に長篇小説を書き始める時期を検討した。昭和三年から連載される『上海』は、「日本人」というアイデンティティが問われる租界都市上海を舞台に、東洋に於ける「近代」の問題を問うている。興味深い点は、「長篇」の形式をもって上海を書きたいと、横光が最初からこだわってその意志を表明していたという事実である。雑誌連載時の「ある長篇」から『上海』へいたる異同、また、近年公開された作家直筆原稿との照合を通して、『上海』という長篇小説が構築されていくプロセスを分析した。
『書翰』(「文藝」昭和八年一一月)においては、自作に対する自己批評を通して、表現行為自体を小説化していく創作方法が試みられている。人間関係の多様な断面をいかに描きえるか、いう問題が追究されているのだが、これは『紋章』(「改造」昭和九年一~九月)における「私」の、「書く」ことに対する意識が顕在化して立ち上がるテクスト空間の問題へと引き継がれていく。語りにおける「時間」の概念を分析して、長篇小説における「構成」の問題について考えてみたのである。
第三部においては、昭和一〇年代から終戦直後までを対象に、長篇という小説形式が如何に「日本的」な空間をつくりあげていくのかを論じた。この時期は、戦中の時局と連動して、「日本精神」によって西欧的「近代」を「超克」しようとする動きを見せている。しかし、日本文学における独自性はむしろ文学の叙述形態の差異から来るものではないだろうか。このような認識に基づいて、それを小説の形式から引き出すことを試みた。もっとも「日本的」な長篇小説の特徴を見せていると思われる島崎藤村の『夜明け前』を分析し、長篇小説の構成が、必ずしも語り手の統御によって小説全体が緊密に統一されることを前提にするものではないという結論にいたった。
横光は昭和一一年二月から半年間、欧洲へ旅だち、「日本的なもの」を求めていく。戦中から戦後まで書かれた『旅愁』には、このときの横光の思考が反映されているのである。しかし、『旅愁』のテクスト空間に表れている<空間の移動>という機制は、小説の語りを牽制する働きをみせ、語り手の意図とは別の次元で図らずも物語世界が出来上がっていく様相をも表している。日中戦争、太平洋戦争へとつづく戦時中に「古神道」などの観念を取り入れて「日本」を絶対的な世界として構築していこうとした語り手の意図とはうらはらに、相対的でしかない「日本」という概念を、この小説の「形式」ははからずも暴いて見せているのである。
横光の戦後は短い時間であったが、疎開先で書かれた小説『夜の靴』にはこれまで彼が培ってきた、その秀でた文学性がよく表れていると思われる。「日記」形式を用いて、「敗戦」を個の次元を超えた民族共同体の問題として「書く」ことの意味を問いかけている。横光はこの小説で、自身の「死」を予感しながら、生涯を締めくくる遺言のように「文学に勝つ」ことを述べているが、戦後に文学者としての再起をはかる意志が形造られていく様相を分析して、「文学」の概念についてあらためて考えてみたのである。
以上の分析を通して、「短篇」「長篇」という小説の形式は、単に分量の問題としてではなく、時代的な問題意識を描くための機能をそれぞれいかに果たしたか、という観点から認識すべきであるという事実をあらためて確認した。また、とくに長篇小説の形式において、小説の全体を統御する語り手をおかずにむしろ構成力を破棄することによって、作者が意図したものとは必ずしも一致しない世界が浮かび上がるプロセスが、戦中戦後期の長篇小説に表れている事実を確認し、これを小説における「日本的」な特徴として考えてみたのである。
「文学」をイデオロギーの装置として規定し、小説の言説をナショナルな意味づけのみに終わらせるのではなく、言語の多様な可能性をもつ形式として、あらためて「小説」を考えていきたいがために、本稿は書き上げられたのである。