本論文は、ソ連邦崩壊の前夜(1980年代後半)から2000年代前半までのロシア連邦における政治と宗教の関係を、制度と思想の両面からあきらかにしようとする試みである。1980年代のナショナリズム研究、1990年代から2000年代にかけての「帝国」研究の蓄積により、現代のロシア連邦を分析するひとつのアプローチが確立してきた。それは帝政期とソ連期と現代のロシア連邦のあいだに、断絶面ではなく連続面を見出そうとする視座に基づくものである。本稿も基本的にはこうしたアプローチを共有している。
これは、ソ連体制やその後のエリツィン政権、プーチン政権を否定的ニュアンスとともに「帝国」と断じるようなジャーナリスティックな用語法とは異なるものであり、「帝国」内の多民族統治をめぐる研究によって洗練されてきた視座である。多民族を統治する「帝国」的手法のひとつとして言語政策をあげることができるが、本論文では帝国による多民族統治における宗教の重要性に注目する。宗教を通じた帝国的統治という観点から、ソ連期および帝政期に遡り、その検討を通じて現代ロシア連邦における政教関係を分析する一助とする。導入がすすめられている公立学校における宗教教育をはじめ、現在の宗教政策は、西側の政教分離の理念からは逸脱とみなされうる。それは個人の信教の自由を侵害しているとの批判にもつながるが、そのような政教関係の素地をかたちづくってきた宗教政策の歴史を、帝国的統治という視点から明らかにするのが制度論を構成する第1部「制度論――政教関係の展開である。
第2部「思想論――ロシア正教思想とその周辺では、ロシア正教やその周辺の思想において政治と宗教がどのように考察されてきたのかを、帝国的統治という観点から検討している。政治と宗教の関係は、「世俗の世界」と「神聖なる世界の関係と言い換えることもできる。1950年代から1970年代前半までの宗教社会学の研究では、「神聖なる世界」の縮小ないし消滅、および「世俗の世界」の自律化ないし拡大が世俗化論として展開された。近現代世界においては政教分離が進み、世俗主義が中心となり、ウェーバーが世界の「呪術からの解放」と呼んだ近代化・合理化がますます進行するという考え方である。この潮流は1970年代後半頃に流れを変え、宗教復興という現象に注目が集まると同時に、西欧近代的な「宗教」概念が特殊西欧的な「近代の経験」に根差したものであることが指摘されるようになった。
そして、1990年代になると、「世俗の世界」が「神聖なる世界」から独立した自律的領域である、という考え方それ自体が西欧起源の考えであると、イスラムを対象とする人類学研究者T.アサドによって指摘され、世俗主義という概念の特殊性があきらかにされた。この考え方からすると、政治と宗教は、両者が互いに自律的で、明確に分離できるような問題構制ではない、ということになる。本論文では、こうした研究をふまえて、政治と宗教がそれぞれ独自の領域を形成しているという前提に限界があることに自覚的でありつつも、あえて両者を「と」で結ぶことによって、政治的なるもの(世俗の世界)と宗教的なるもの(神聖なる世界)をめぐって、帝国的統治と結びつくどのような言説が編成されてきたかをあきらかにする。分析の対象となるのは、ロシア正教会の公式文書(「正統な思想」)、ソルジェニーツィンのテキストおよび19世紀半ばの初期スラヴ派と呼ばれる思想家ホミャコーフのテキストである。

序章では、「世俗化」、「帝国」、ナショナリズムをめぐる議論を検討することで、本稿の分析視座を彫刻した。それらの先行研究をふまえつつ、筆者の関心は、帝国的統治における宗教の位置を制度史・政策史的視座からあきらかにすること、また、政治的領域と宗教的領域についてどのように語られてきたのかを系譜的にあきらかにする点にあることを論じた。後者は、広く従来のロシア文化論を相対化する意図も備えている。また、表題にある「ロシア<帝国>」という表現は、領土的には、ソ連邦崩壊後に縮小したものの、帝政ロシアとソ連期にはほぼ同じであること、また現代に至るロシアの統治体制を表現するには「帝国」的という言葉を用いたほうが適切であること、ただし、この「帝国」の理解のためには、「ロシア」や「ロシア共和国」の位置の特殊性の分析に基づく「帝国」モデルの練り上げが不可欠であることなどを論じた。
第1章においては、政治と宗教を制度史・政策史の面からみた場合、大きな変化があった時期をとりあげ、制度的・政策的変更がどのようなものであったか、それがどのように運用されていたか(あるいはされなかったか)について、大きく4期に分けて分析を試みた。とりあげたのは、ピョートル一世治世下(1682~1725年)の総主教区の廃止と宗務院(シノド)開設(1721年)をはじめとする制度改革、エカテリーナ二世治世下(1762~1796年)の対ムスリム政策からなる第一期、ニコライ一世治世下(1825-1855年)の「ロシア化」政策を画期とする第二期、帝政末期の宗教寛容令に基づく宗教政策が展開した第三期、ソビエト体制確立期の政教分離政策および、それに続く時期の民族政策からなる第四期である。これらの考察を通して、宗教政策から見た場合、多民族の統治は一律なものではなく、地域・民族によって異なっていたこと、ムスリムが支配的な地域においてはムスリム聖職者や知識人を通じた統治が行われたことをあきらかにした。そしてこうした帝国的統治のありかたが、現代における宗教政策と連続している側面を強く持つことを指摘した。
第2章においては、ソ連崩壊後の宗教関連法の整備について検討を行った。「良心の自由・宗教結社」法(1997年)をはじめとする宗教関連の法や政令が、ロシアの国力の衰退期に欧米諸国やローマ・カトリック教会の人権外交の攻勢を受けるなかでどのように成立し、運用されているか、という点をあきらかにした。
第3章においては、2000年前後より導入が試みられた国公立学校における宗教教育について考察を行った。当初、「正教文化」の教育として国公立の学校に導入された宗教教育は、「信教の自由」をめぐる問題を生じさせ、社会的摩擦を生んだ。この点について、国際比較の視点を交えながら、ロシアにおける問題の固有性をあきらかにした。さらに、この宗教教育の試みが、イスラム文化や仏教文化の教育の必要性の議論を活性化したこと、またその導入も地域による差異がみられる点を指摘し、そこにロシアにおける帝国的統治の連続性があることを論じた。
第2部の最初の章、第4章においては、ロシア正教会の正統的な思想における愛国思想を見たうえで、ソルジェニーツィンが政治的提言を試みている一連のテキストにおける政体論を分析した。政体論という観点からみた場合、彼の主張は地方分権的な民主主義と専制の共存を唱える点で独自である。この特異な共存を可能とするものとして、生来のものでもあり、かつロシア正教によって涵養される、民衆と専制君主それぞれの「徳」の重要性が強調されているのである。
そして、第5章ではソルジェニーツィンの君主政体論と対極にある、19世紀後半の初期スラヴ派論客ホミャコフの教会論を取り上げて検討している。ここでは、今日においても影響力の大きい「ソボールナスチ」論の先駆である彼の教会論が特殊から普遍への経路をつなぐことで今日においても示唆深い、独自の帝国論たりえていることを見た。
結語では、それまでの議論を振り返りながら、ロシア型の帝国モデルが(近年指摘されるような)「中心なき多元空間」としては捉えきれないものであることを論じた。確かに、多元空間は存在するものの、それは「中心なき」というよりは中心が十分な形で中心たりえないことの帰結であると言うべきである。すなわち、一方でロシア正教と結びついた中心化=ヘゲモニー形成の動きを有しつつも、中心化され得ない周縁の多様性のゆえに、それとの妥協や交渉を余儀なくされるのがロシア型の帝国モデルであると筆者は考えている。この帝国モデルは、宗教と国家の「パートナーシップ・モデル」でもある。これは西側の世俗国家原則からみた場合、逸脱であり、市民的公共性に対する抑圧をもたらしかねない脅威とみなされがちである。こうした評価は確かにその一面を言いあててはいる。しかし、考慮に入れられる必要があるのは、ソ連崩壊後のロシアの現実においては、西側の法的権利、自由といったものは、圧倒的多くのロシア人にとって、情け容赦もない「野蛮な」市場経済の只中に投げ込まれること以外ではなかったということである。こうした状況下では、医療、福祉、教育における宗教界の役割が市場経済に対するクッションにもなり得るのである。パートナーシップにもとづくロシア型帝国を圧倒的多くのロシアの人々が、市場社会の鉄の檻ほど過酷でないと思うことを、一方的な価値判断に基づいて裁断するのにも無理があるだろう。パートナーシップ・モデルがどのような展開をみせるかは、今後も注意ふかく検討していく必要がある。ただ、同時に、その素地をかたちづくるロシアの政教関係をめぐる歴史・思想史への理解を一層深めることを課題として、本稿をしめくくる。

論文の目次

序章
第1節政治と宗教をめぐる議論の現在
第2節帝国論の現在
第3節ナショナリズム論の射程
第4節各章の概観

第1部制度論――政教関係の展開

第1章ロシアにおける政教関係の歴史
~帝政期およびソ連期の政教関係,その連続性と非連続性

はじめに
第1節ピョートル一世(在位1682-1725)の世俗化政策
第2節エカテリーナ二世の対ムスリム政策
第3節ニコライ一世治世(1825-55)下のナショナリズムと宗教
第4節帝政末期の宗教政策
第5節ソヴィエト体制確立期における政教関係
第6節ソ連期における民族政策と宗教

第2章現代ロシアにおける政教関係その1~宗教法を中心に

第1節再聖化における擬態
第2節伝統宗教とはなにか

第3章現代ロシアにおける政教関係その2~宗教教育の導入を中心に

第1節概観とアプローチ
第2節公教育への宗教科目の導入
第3節宗教科目をめぐる批判~二つの事例から
第4節公教育と宗教教育~類型化の試み

第2部思想論――ロシア正教思想とその周辺

第4章ロシア正教会の「愛国主義」とソルジェニーツィンの政体論

第1節ロシア正教会における国家と宗教
第2節ソルジェニーツィンにおける政体論と正教

第5章ホミャコーフの教会論と「ソボールナスチ」

第1節<開かれた>教会~その成員と洗礼
第2節「教会」の空間的・時間的表象~ソボールヌィ論をめぐって
第3節聖霊論的教会論
第4節人体のアナロジーと「教会」
第5節教会論再考~特殊から普遍へ

結語