この論文は、半世紀を超える日本のテレビ放送の歴史の中で、テレビCM(コマーシャル)というメディア・カテゴリーがその形式と内容においてどのように生成・変容してきたかを、放送技術、放送制度、テレビ産業・広告産業の仕組みなどの背景の構造と関連付けながら解明するメディア史的な研究である。同時に、そうして記述されたCMの歴史を、現物の保存・公開と二次使用を意図して構築されるCMアーカイブスの設計にどのように関連付けることができるかを考察する、文化資源学的な研究でもある。
現在のテレビCMの圧倒的主流は、番組の合間に流される数十秒の短編映像である。もし、歴史を通じて常にそうであれば、CM史は映像表現史であり、アーカイブスは映像データベースである。しかしテレビの初期においては、生コマーシャル、スライド(静止画)コマーシャル、文字列を流すテロップコマーシャルなど、短編映像以外のCM方法が数多く存在している。また、当の短編映像については、初期には提供番組と深く結びついた内容のものがあり、放送のシークエンスから取り出すと文脈を喪失してしまうケースが多い。これまでのCM史記述とCMアーカイブスは、こうした形式の多様性や番組に対する有機性を知りながらあえて捨象し、あるいは必要以上に周辺化することで、CM史を映像表現史の中に押し込めてきた。
しかし、そのように映像表現に特化された歴史認識では、CMというメディア・カテゴリーそれ自体の変動が見えない。初期独特の方法の多様性や番組との有機性は、当時の技術、制度、産業、文化などの背景構造から導かれることであり、逆に現在のCMが短編映像中心であるのも、それが適合的な背景の構造が存在するからである。そうした構造までを含んだ視座に立って歴史を記述することで、ある種の上部構造として展開する表象的なCM文化の基底が可視化されて、CMアーカイブスの存立条件も明確になるのである。
このような構想は、筆者が2004年から2007年にかけて京都精華大学と共同で行った、初期CMのデジタル・データベース構築作業の経験に基づいている。老舗プロダクション・TCJ(日本テレビジョン株式会社)が1954年(民放テレビ開始の翌年)から1968年にかけて制作した約9,000本の映像をアーカイビングする作業において、筆者らは番組ともCMともつかないような大量の“不自然”な映像に出会い、分類に苦慮することになった。その解決のために、各種の文献を調査して映像の存在構造を導き出し、映像内容との整合性を試みた過程が本論文の下敷きになっている。歴史観と資源化は相互規定的な関係性にある以上、メディア史と文化資源学は現物資料の価値を発見する両輪である。新出資料の豊富なTCJデータベースを最大限に活用しながら歴史を再記述し、その知見をデータベースのデザインにフィードバックする作業を繰り返して本論文は作られている。
さて、本論文は序論部(1~4章)、本論部(5~8章)、結論部(9章)に分かれる。1章ではまず、現在と初期のCMを簡単に比較することで、CMというカテゴリーが指し示す対象が歴史的に大きく変化している事実を指摘した。そこから、CM史の記述ではカテゴリー自体の変動を理解することが重要であり、背景となる諸構造や言説空間など、CMが存在する「場」をとらえる視座設定が必要であると論じた。2章では、メディア・カテゴリーの生成と変容を扱った先行研究を検討して、方法と問題の抽出を試みた。初期のメディアは形式と内容の結合がゆるく、物質的・技術的な成立と意味的・文化的な成立に時差があることが多いので、周辺領域にも目配りして形式と内容が一意に結合するまでのプロセスを正確に把握する必要があると論じた。また、歴史とは常に現在の視点から再構成される性質を持つことから、メディア史的な記述だけでなく、それが日常的な知としてどのように社会に還元されているかにも注意を払うべきだと論じた。それを受けた3章では、CM史の還元現場、すなわちCM史を記述した書籍の傾向と、CMの保存・公開および二次使用の現状を分析した。その結果、現状の歴史は短編映像型のCM、とくに名作・受賞作に偏っていて、ラインアップが固定化していることが明らかになった。そこで筆者らが構築したTCJアーカイブスについて説明し、大量の“平凡作”が従来の名作主義的な歴史観を解体して、番組との有機的な関係性を含んだより大きな視点でのCM史を可能にすると主張した。以上を踏まえた4章では、背景の構造や言説、番組との関係性を視野に入れたCM史記述の具体的な手順を説明しつつ、用いる文献資料を紹介して本論の導入とした。
本論部にあたる5~8章では、初期テレビCMの状況と、それが現在の状況に変動するプロセスを具体的に解明し、それを理解する方法を考察した。5章「CM概念の成立過程」では、戦後の民間放送開局をめぐる諸議論を検討して、民放テレビにおける広告が、番組自体が帯びる商業的な“性質”として想像されていたことを明らかにした。また、開局後に確立した広告料金体系の分析を通じて、その“性質”が多様なCM方法を通じてスポンサーシップを自由に発揮できる「一社提供番組」として結晶化したことを論じた。6章「番組のCM性」では、一社提供番組の具体的な状況を、番組のタイトルや設定、スタジオの看板、スーパーインポーズとワイプ、合成技術、スタジオCMなどの諸側面から分析して、それらが統合的に浮かび上がらせる像こそが視聴者に体験されていたCMであると論じた。そこにおいて番組とCMの二分法は成立せず、CM史と番組史は重なり合う。7章「CMの番組性」では逆に、短編映像型のCMに紛れ込む番組要素について論じた。番組のオープニング・エンディングと結合した映像、番組の出演者や設定が登場する映像を具体的に分析して、それらが番組と有機的に結合する様相を明らかにした。一方で長尺のアニメーションCMや歌番組的なCMなど、独自の内的論理を有して番組からの自立を果たしていた短編映像が初期から存在していることも指摘した。以上、番組とCMが結びつく初期状況に対して、8章「CMと番組の分離過程」では、1960年代以降の構造変動によってCMが番組から自立し、短編映像に一本化されるプロセスを、いくつかの主要な因子を中心に論じた。テレビ広告の需要の急激な拡大によって販売方法が変化し、機械的に挿入可能な短秒の映像パッケージが重宝されるようになったこと、広告代理店による戦略的な広告制作が普及し、計算と理論化が容易な映像表現にシフトしたこと、テレビ広告費の急騰によって一社提供が困難になったこと、それらの変化に対応するため放送制度が再整備されたことなどを示し、1970年代の半ばまでにCMは短編映像中心の構造に切り替わったことを論証した。そして1980年代以降、広告を文化的に受容する傾向の拡大とともにCMの「作品」化が進行し、最終的に著作権が宣言されることで、「CM=短編映像」という仕組みは制度的にも結晶化して今日に至るのである。
以上の議論から、現在のCM史記述およびCMアーカイブスの中心的な対象である短編映像について、その存在の文脈が歴史的にどのように変化してきたのか、その周辺にはどのようなCMが資源化されずに残っているのかが明らかになった。実際のところ、一社提供番組におけるCMを有効に資源化することは困難だし、短編映像の存在の文脈を文字情報などで分厚く補完するのも容易ではない。しかし少なくとも、それらに対する知識と想像力を有したうえで現状のCMアーカイブスとメタ的に向き合うことが、本論文によって可能になったのであり、今後の資源化の方向性と経営方針を策定するための基盤は整ったものと考えている。