第1章:本論の背景と目的
本論で作動記憶制約の個人差を評価するために用いる日本語版リーディングスパンテスト(JapaneseReadingSpanTest,JRST)を解説し,統語解析についての本論の前提を述
べると共に,考察対象とする再解析文と不連続依存文を概観する。

第2章:再解析文処理における効率性(1):語彙的・統語的
再解析の両者を含む日本語再解析文処理
(1)に下線で示す様な語彙的曖昧性を含む日本語文を材料に,再解析における作動記憶制約の働きを考察し,文処理の「効率性」を議論する。

(1)a.曖昧語が名詞として解釈される文
R(egion)1
山田さんが
R2
自分の家に
R3
かえると
R4
とても
R5
きれいな
R6
熱帯魚を
R7
持って帰った
R8

b.曖昧語が動詞として解釈される文
R1
山田さんが
R2
自分の家に
R3
かえると
R4
とても
R5
きれいな
R6
奥さんが
R7
留守だった
R8

視覚提示による読文実験の結果,JRSTの得点が高い話者の方が再解析文を,より正確に理解する一方で,読文時間が長かった。JRSTの高得点者は一般に言語処理が正確かつ高速だと言われるが,再解析文処理に関する限り処理精度と処理速度は両立しない。また,高得点者は処理精度を,低得点者は処理速度を優先することから,作動記憶容量の大小に応じた処理資源の配分機序がある可能性を指摘する。

第3章:再解析文処理における効率性(2):語彙的再解析を含
まず統語的再解析のみを含む日本語文処理
純粋な統語的再解析における作動記憶制約の働きを考察し,統語解析一般における「効率性」を議論する。日英語の再解析における類型論的差異を指摘し,語彙的曖昧性を含まない再解析を操作できる日本語の特性を活かした再解析文を(2)の様に3種類作成する。四角枠が再解析が起こる位置を示す。

(2)a.主語再解析文
天野が進学を決意した後輩に資料を渡した。
b.主語・目的語再解析文
山田がミルクを冷やしたコーヒーに少し入れた。
c.主節主語が省略された主語再解析文
後藤が幼児を抱いていたとき荷物を持ってくれた。

視覚提示による読文実験の結果,前章と同様,JRSTの高得点者が低得点者よりも文を正確に理解する反面,長い処理時間を要する傾向が再現された。したがって,語彙的再解析を含まない場合でも,作動記憶容量の大きな話者の文処理は「正確だが遅い」と言える。但し,文内の位置によってJRST得点の効果は変化していて,処理内容によって作動記憶制約の働きは異なると考えられる。また,JRST得点の効果は処理負荷の大小によって変化しなかったので,Caplan&Waters(1999)の作動記憶モデルは支持できない。

第4章:不連続依存処理における作動記憶制約
不連続依存の可否判断に対する作動記憶制約の働きを考察すると共に,統語的制約の自律性を議論する。不連続依存に対する制約を統語的制約ではなく,作動記憶制約に還元しようとするKluender(1998)の妥当性を通言語的視点から検討する。(3)に例示する4種類の従属節を含む日本語の不連続依存文を視覚提示し,文法性判断を問う実験を行う。

(3)a.固有名を主節主題とし動詞補文を含む逆順文
筆箱を美幸は哲夫が盗んだとクラスメートに言い張った。
b.固有名を主節主題とし名詞補文を含む逆順文
親友を岡田は松井がだました事実に落ち込んだ。
c.「私」を主節主題とし関係詞節を含む逆順文
パーティーを私は白井が開催したリゾートホテルに宿泊した。
d.「私」を主節主題とし副詞節を含む逆順文
中学校を私は郁恵が卒業したとき卒業式に出席した。

実験文を文節毎に実験参加者ペースで視覚提示し,文法性を問う実験を行った結果,(3a)を「文法的」と判断する割合が90%を越えている一方で,(3c,d)を「文法的」とする判断は50%に満たなかった。また,この判断の割合に作動記憶容量の個体差は効果を持たず,構文の種類との交互作用も無かった。本実験の結果は,統語構造を反映し,かつ作動記憶制約とは独立した不連続依存制約の存在を示すものである。また,主節主題が変わることによる指示対象処理負荷の効果は読文時間に,JRST得点の効果は主に文法性判断潜時に現れることを示す。

第5章:総合考察
文処理の効率性について
1.言語処理の効率性をしばしば指摘される(J)RST高得点者は,低得点者よりも正確に文を理解する一方,文処理の様々な側面で低得点者より長い処理時間を費やした。したがって(J)RST高得点者の文処理を「正確かつ高速」と一般化するのは正確ではない。
2.但し,JRST得点とRTが示す相関が文内位置によって正負の両方で有意であることもしばしばであった。再解析の統語的特性や個々の語の構造的位置などに応じてJRST得点の効果は現れ方が異なる。また,質問文への回答を前提とした文理解(実験1,2)と文法性判断(実験4)ではWISの効果が異なるので,課題によって作動記憶制約の働きが変化する可能性もある。(J)RST高得点者が文章理解について有能であることが一般的に正しいとしても,文処理における作動記憶制約の現れは処理内容に応じて変化する。

文処理における作動記憶制約と統語的制約の自律性について
1.不連続依存の可否は作動記憶制約と作動記憶制約に基づく指示対象処理から独立している。したがって,言語運用上の制約には還元されない統語的制約が存在する。
2.但し,作動記憶容量の大小は文法性判断の遅速に影響しているし,指示対象処理の効果は読文時間に見られる。

引用文献
Caplan,D.,&Waters,G.S.(1999).Verbalworkingmemoryandsentencecomprehension.
BehavioralandBrainSciences,22,77–126.
Kluender,R.(1998).Onthedistinctionbetweenstrongandweakislands:Aprocessing
perspective.InP.Culicover&L.McNally(Eds.),Syntaxandsemantics29:The
limitsofsyntax(pp.241–279).SanDiego:AcademicPress.